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今から三十年近く前1979年8月書道材料会社の企画で中国に行きました。これは山東省曲阜の孔子廟で拓本が採れるということで、私と拓本仲間2人、莫山さんとその知り合いの拓本家、書家成瀬映山さんと新倉姪斎さん、書道店の2人、団長に日中友好商社の青年の一行でした。東西の採拓できる5人と、書家二人の組み合わせでした。その頃は友好商社を通しての貿易がまだ続いていたのですね。
北京から青島、曲阜、南京、蘇州、南京、上海と回りました。どこの都市でも着くと公安委員会にパスポートを預けねばならず、窮屈な旅でしたが、多くの中国人と接し、とっても楽しく有意義でした。莫山さんはカメラを持たず、どこにいってもスケッチをされていて、素敵な絵を描かれていました。
曲阜には孔子の墓があり、紀元前5世紀からその周りには壮大な廟堂がたてられ、今や世界遺産に登録されています。書家にとっても聖地といってよく、漢代からの名碑が数多く残っています。
その碑を採拓できるということが最大の目的だったのですが、さすが中国採らせてもらえず、廟堂内にある摸刻碑を採拓するはめになりました。でもそこで中国で拓本を採ることを職業とする若き拓工たちに会えて、彼らの1000年伝わってきた技術を見られたことは貴重な体験でした。
拓本は採れない、では堂内の写真をと言ったら、莫山一人が代表でシャッターを押すだけということで落着しました。10年後には自由化の波で雑誌などでどんどん紹介されて、残念な思いをしています。
廟堂内の明代の建物に泊りましたが、世話してくれる若い人たちが、一生懸命ラジオを聴きながら勉強している姿を見て、この国は変わるんだと思いました。別れ際にちぎれるほど手を振ってくれた女の子たちの素朴さは変わらないでほしいと思ったのですが・・・。
商社の買い付けにも同道しましたが、南京では古い建物で、山のような素晴らしい骨董品を観ることができました。カメラもカバンも入り口で渡しての厳重な監視のなかでの見学でした。莫山さんと成瀬さんは印材に夢中、わたしも小さな鶏血を買いました。
蘇州でもお二人は筆の工場で書をしたためられて工場に贈られました。
たった一度の中国旅行、中国人すしづめの寝台車の旅、ブレーキが効きにくい、サイドミラーのない車での万里の長城、たったひとりで入った明の十三陵、行く先々での歓迎会での老酒乾杯・・・たぶん今はない中国でした。
随分前に新倉さん、そして拓本仲間田村さん、そして書壇の重鎮になられた成瀬さん、そして莫山さん、多くの方が亡くなりました。合掌!
(写真は拓工とわたし)
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2010年10月07日
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