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『流星ひとつ』沢木耕太郎(著)
流星のように消え去った藤圭子の「真実」を描く奇跡のノンフィクション。
(「BOOK」データベースより)
沢木氏が1979年秋、藤圭子に対して行ったインタビューに、いっさい地の文を入れず、インタビュー記事のみでノンフィクションを構成させようとした試みの原稿であった。
1979年当時、28歳であった藤圭子は、芸能界引退を決意し、そのいきさつをウォッカの杯を傾けながら、沢木氏と語り合った生の彼女の言葉がそのまま収録されている。
(あとがきより引用)
それによって、藤圭子という歌手が芸能界を去ることの、本当の意味がわかるようになっている。だが、藤圭子という、実際にインタヴューするまでは自分でも想像をしていなかったほどの純粋さを持った女性の姿を本当に描きえただろうか。私は、私のノンフィクションの「方法」のために、引退する藤圭子を利用しただけではないのか。藤圭子という女性の持っている豊かさを、この作品では描き切れていないのではないか。。。(引用終わり)
。。。という経緯があって、沢木氏は、出版を踏みとどまった。そして、いつか連絡の取れなくなった藤圭子へのこのメッセージは、葬られたままになっていた。
2013年8月22日、彼女の投身自殺を知るまでは。
実際、この長いインタビューのみで構成されたノンフィクションはよく出来ている。早すぎた結婚と離婚。あまりにまっすぐな心を持ったために、芸能界に長く居続けることができず、10年の歌手生活にピリオドを打ってアメリカ留学に旅立った彼女の選択は、彼女の娘の生き方と酷似している。
藤圭子と沢木氏の会話文の行間には、芸能界だけでなく、時代の世相が垣間見られ、懐かしくもほろ苦い我々の子供時代さえ、浮かび上がってくるのである。
本当に歌の上手い人であった。
できることなら、彼女が生きているうちに、出版できればよかったのに。そして、もっと高望みが許されるなら、もう一度、彼女の歌声が聞きたい、と思う。
私は、彼女の自死のニュースの後、何種類か週刊誌を手にした。その中に描かれている心を病んだ初老の女性と、『流星ひとつ』に登場する凛とした28歳の女性との間には、ものすごく乖離がある。その後の彼女の人生に何があったのか、今となってはもう知るすべはない。
ひとりの芸能人の死ではある。しかし、ひとりの芸能人が亡くなって、こんなにショックを受けたのは初めてである。自分の子供時代が終わったような気がする、と言えば大げさだろうか。
皮肉なことに、彼女の死によって世に出ることになったノンフィクション。
歌うこと、生きること、そして引退することを大真面目に考えていたひとりの女性、竹山純子さん(本名)に、哀悼の意を表したい。
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