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久しぶりに私の信仰の話です。
私は、聖書の中でとても好きなのは、目が見えない人や口がきけない人、病人、汚れた女、と言われた
人たちが、イエス様に触れて目が見えるようになったり口がきけるようになったりする箇所です。
こういう人たちの話はたくさんの箇所にでてきます。
マルコによる福音書10:46から
パルティマイという盲人の物乞いがいて、イエス様や弟子たちがその前を通ると「ダビデの子イエスよ、
私を憐れんでください。」と叫びます。
当時、盲人たちは罪びとと言われました。目が見えなくなったのはその人の罪のせいだと信じられていた
らしく、人々から忌み嫌われ家からも追い出され路上生活を余儀なくされていました。誰からも
相手にされず蔑まれその人たちはただただ力なく物乞いをして生きるしかありませんでした。
イエス様が、彼に向って「何をしてほしいのか?」と尋ねます。すると盲人は「先生、目が見えるようになりたい
のです。」と言います、イエス様は、「行きなさい、あなたの信仰があなたを救った」というと、盲人は目がみえるよ
うになりなお、道をすすまれるイエスに従った。とあります。
正直、私はイエス様が目をみえるようにさせることができたかどうかわかりません。そういう力があったという
話はよく説教などいろんなところでききます。(こんなことをいうと、「なんて不信仰な、それでもクリスチャンか」
とおしかりをうけるかもしれません。)
でも、私が信じられるところは、その人はイエス様に話しかけられて、自分の話に耳を傾けてくださったことで、
ほんとうに癒されたのだということです。路上で民衆から無視され蔑まれごみのようにしか扱ってもらえなかった
自分なのに、イエス様はこの叫び声に気づいてくださった。イエス様なら自分のこのような状態から救ってくれる
のではないか、そう信じ勇気をだして大声でイエス様に呼び掛けてみたのです。
聖書には書かれていませんが、たぶんイエス様はとても暖かいまなざしで彼をみつめたのだろうと思います。
決してエラそうにでもなく上からでもなく、自分を同じ人間として、いやそれ以上に大切な一人として接してくださ
っている。いつくしみや思いやりがイエス様の全身から感じられたのではないかと思います。
そして、イエス様から「何がしてほしいのか?」と問われます。彼の人生の中でこんな風に聞いてきた人は
おそらくいなかったと思います。主体性を求められたのです。あなたは何を感じどうしたいの?と。
イエス様は盲人に言います。「行きなさい、あなたの信仰があなたを救った。」
盲人は、イエス様を信じ癒されたのだと思います。絶望的な孤独、不安、寂しさ、悔しさにイエス様の愛が
注がれたのです。そして彼は人間としての尊厳を取り戻したのだと思います。
もしかしてもはや彼にとって目の見えないことなどもうたいしたことではなくなったのかもしれません。
イエス様は「安心して自分の生きたいところで喜んで生きていきなさい。」といわれたのだと思います。
その後、聖書ではイエスに従った、とあります。本当にイエス様の布教の旅に従ったのかどうかはわかりませ
ん。ただ、イエス様に従って自分の人生を歩んでいったことは確かだと思います。
私は以前からいつもここで子供のようにわんわん泣いてしまいます。私はこの盲人の気持ちに共感するので
す。神様と出会ってから私の人生は変わっていきました。主体性を求められる人生に変化したと思います。
自分で選択し決心し行動して責任をとっていく人生、たったひとりではなくたくさんの人と支え合って生きていく
人生になりました。
実は、私はモノづくりを仕事にしたくて今準備中です。こういう選択をするとは夢にも思っていませんでした。
どちらかというと会社勤めをしていた方がずっと安心で、そのうち誰かと結婚して私は家庭に入り夫に稼いできて
もらえればいいやと思っていました。その私がまったく違う選択をするとは、こんなことになろうとは自分でもびっ
くりです。どうして(自分にとっては)こんな大胆な選択をしたのか不思議です。
実はこれから始まるのでとっても今不安なんです。変化をすることに私はとっても弱いので、まいったなあと思っ
ていました。泣きたい気分でした。でも、やっぱり人生は一度きりだし、やりたいのです。モノづくりを。それに一人
ではないし。この選択をしてからじわじわ応援してくれる人が増えました。それが支えかな。
久しぶりに書いたブログ、しかも今年初めてのブログがこのとこなのが不思議です。
いや、今年の私の目標、進む道だからこの話だったのかもしれないなあ。
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インマヌエル
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今年も、いやいままで生きていてきた中で一番頑張ってつっぱしった年だったと思う。 本業の他に自分が所属しているボランティア団体の事務所の仕事を増やした。 事務所の職員が病気になり、代理として仕事をすることにした。そのほかにボランティア活動、 趣味のハンドメイド・・・・。その中で一番しんどかったのが、ボランティア団体の仕事。 以前の職員は週2日半だったけど、usakoは週1日。それなのに、以前と同じ量や質の仕事をしようとして 奮発してしまい、めちゃくちゃ忙しい生活を送ることになった。契約書以上の仕事を引き受けがんばって しまった。この忙しさのために、他のボランティアさんもめちゃくちゃ仕事が増え、みんなで疲弊した。 そして、心ない他の人や事情をよく知らないメンバーからは、きちんとなってないというお叱りの 電話が上司にかかってきたりした。 usakoは事務所の管理者で、いきなり事務所をてつだってくれているボランティアを管理する立場に なってしまった。 ボランティアたちも、いろいろ問題を起こしたりする・・・。あることを注意したら爆裂してしまった 人や、「あなたより私はここでやっている年数が長いのだから、私のほうが知っている」とusakoに命令 してきたり言うことをきいてくれなくて仕事ができなかったりして、困った。そんな経験したことない し、いきなり管理者と言われても何をどうしたらいいのかわからない。そんな器なんてないよ・・ これでよかったんだろうか?この行動は適切だったのだろうか?私の力量不足だろうか。 私は、こどもだったのだろうか。usakoは葛藤して神様にいつも問いかけていた。 人に対して伝え方や時があるなあと感じた。思いやりも大事だなとも感じた。 この事務所は自分たちの献金と献身でやっているので、お金もいつもぎりぎり、事務所で働く ボランティアもめちゃくちゃ少ない・・・ 会議中あまりの意見や言葉に泣きだしてしまったこともあった。 ストレスと疲れでいつもusakoは怒っているか寝ているかの日々。ハンドメイドしているときが 唯一のストレス発散だった。 でも、上司に泣いて「助けてくれ、これ以上仕事はできない。」と助けを求めたり、 仲良しのボランティアさんたちにぐちなどたくさん話を聞いてもらったりした。 他のボランティアさんから、たくさんの励ましがきた。 「あなたはとても大切な人だから無理なんかしないでほしい。」と言ってくださったときには、 本当に涙が流れた。これでよかっただろうかと相談したとき「それでいいんだよ、よくやっているよ。 それ以外誰も何もできなかったと思うよ。」と共感し肯定し続けてくれたメンバーたち。 自信をなくしていた時「あなたしかこの仕事ができる人はいない。あなただからできた。」と言って くれたときも涙が止まらなかった。 「こうしたらどうだろう」と具体的に仕事の量や質を考えてくれた上司やボランティアたち。 事務所に用事があるようにして心配して電話をかけてきてくれたメンバー。 「あなたの声をきけて安心した。」という言葉。 やっと献金をしてきてくれたメンバーたち。 usakoは一人ではやってこれなかった。1年間ありがとう。みんな、ほんとうにありがとう。 この言葉しか思いつかない。たくさんの出来事とメンバーの顔が次々浮かぶ。 usakoはこの事務所をどうしても開け続けていたかった。その思いだけで仕事を引き受けた。 誰も、当時引き受ける人もいなかったし。 この場所は、神様の愛の力が流れている場所だと感じているから。知っていたから。 めちゃくちゃ大変で渦中のときは、たくさんの愛や恵みをまったく感じられなかった。 先日クリスマスにあるメンバーからクリスマスカードをもらった。 そこには、「あなたががんばっていることは、よく知っているよ」というメッセージつきだった。 他のメンバーがそれをきいて、 「そのメンバーをとおして、神様がおもっていることをあなたに届けたんだとおもうなあ。」 といわれ、また泣いた。本当に何もかもすべてわたしのことを知っていてくださる神様。 すべて知っていてくださっている方がいると思えるだけで、usakoはうれしく安心する。 以前の職員さんは戻ってこないことになり、新しい事務員を雇うこともできない。 事務所を手伝ってくれるボランティアもますます減ってしまった。 この事務所をどうするのか?ということがこれからボランティア団体の中で考えて話し合って いくことになるだろう。ずっと以前からこの事務所はアップアップ状態でいつどうなるかわからなかった んだけどね。 usakoは2月で契約もきれこの事務所をやめることになっている。心残りが。 以前のままの状態で病気で休んでいた職員さん、もしくは新しい職員さんへ手渡したかった。 それがすごく悔しく残念だ。無念でたまらない。 でもね、usako, 本当にこの1年も精いっぱいよくやった。がんばった。 すばらしい経験をしたと思う。 誇りだ。
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えへへ♪今日、初めて人に教えるってことしちゃいました。 教会の、中・高生の教会学校で「羊毛フェルト教室」を開きました。 人に教えるなんてことできるかしら?と心配で、事前にワードで作り方を作成して配ったりしました。 でも、始まったら、みんなほんと上手でそんなに気張らなくても大丈夫でした。 これって、神様からのいただいた賜物だって思います。 羊毛フェルトをはじめ、ハンドメイドしているとき私は楽しくてうれしくて夢中になってやっています。 展示販売会やイベントに出展して、私の作品が売れて行ったり「かわいい」っていってくれるのが うれしい。それにハンドメイドを通して、ブログでもそうだしイベントでもたくさんの作家さんと仲良し になれて出会いがあって、それがどんどん広がっていく・・・そして、usakoは将来もこういうことに 携わっていきたいって考えているんです。 だから、羊毛フェルト教室もすごくできることがうれしくて。 「こうなりたい」「こうしたい」っていう夢が少しずつ叶っていく。 以前のusakoは、消極的で「どうせ下手だから・・」とかいって傷つくのがいやで、何もできなかった の。それに、他人がどう思うかにばかりとらわれていて、何がしたいのかがぜんぜんわからなかったの。 誰かがよしというもや世間ではやっているものなんかをやってました。 今のうれしい気持ちや将来の希望なんか、本当に、ただただ、神様が 私に与えてくださったものだと感謝です。 そして、これからが、羊毛フェルト教室の様子です♪ ↑「雪だるまうさちゃん」を今回はつくりま〜す。 ↑ちくちく、みんな夢中♪うさちゃんのお顔をちくちく中。あ、指にばんそーこ発見! ちくりとニードルで指を刺しちゃったKちゃん。羊毛フェルトつくってると油断もしてないのに、 なぜか私なんか、ちくりと刺しちゃうよ。 ↑教会学校は40分だけ。朝の礼拝が始まっちゃうよ。 う〜〜ん、やっぱり間に合わなかったかあ。目と鼻をつけるまでせめてやれればよかった。あとは、 お家で楽しくつくってもらうことにしました。 ↑ usakoもみんなと一緒にちくちくしながら教えてました。usakoもお家でうさちゃんつくりました。 見本からちょっとアレンジ。 私たちの羊毛フェルトの教室の様子をみていた、小学生のHちゃん、「私もやりたい〜〜」 と言ってくれて、なんと、1月に小学生対象にまたまた「羊毛フェルト教室」開催で〜〜〜す。
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usakoは、プロテスタントのクリスチャンです。 私の教会の牧師は、ホームレズ支援をしていて、週1回、夜にボランティアの人たちと夜回りに出かけ 食べ物などをもっていき、一人ひとりに声をかけています。 クリスマス礼拝は、そのホームレスの人たちを呼んで、一緒に礼拝をおこない、暖かい飲み物食べ物をプレゼントとして配りました。 usakoも礼拝後、ボランティアとして働きました。と、いっても、たくさんのホームレスの方と ボランティアと教会の兄弟姉妹とごったがえし、何していいかわからなくてうろうろしてた感じでした。 とほほ・・・
クリスマスは、イエス様がお生まれになった日。
そのイエス様は、貧しい馬小屋で生まれ、そのときお祝いにやってきたのは、羊飼いと異邦の博士たちでした。国の偉い王様や律法学者ではありませんでした。 当時、安息日には何もしてはならないという律法がユダヤの国でありました。羊には休みの日はありま せん。羊飼いは、安息日も働かなくてはなりませんでした。そのため、律法を守らない、貧しく汚い人間 として、律法を守るユダヤの人々からは忌嫌われていました。 でも、神様は、救い主が生まれたという知らせを一番に羊飼いへ知らせました。 救い主にもかかわらず、イエス様は、弱い人間として、しかも、貧しい大工の息子として 私たちの真ったなかに現われました。イエス様は、私たちと同じ痛みを知っています。 飢えや悲しみ苦しみ、ののしられたときのはじ屈辱、体の疲れ、神に見捨てられた絶望。 説教の中で牧師が「クリスマスは、もっとも弱い人たちのためにあります。」と話していました。 ホームレスの方たちへ「あなたたちのためにあります。」と。 私は普段ホームレスの方たちと関わっていないので、どんな理由でホームレスになったのかどうして働 くことができないのかがわかりません。
でも、姉妹から聞くと「リストラ、病気から働くことが困難になり、貧困から、住む所を失い、
住むところがなくなると住民票に住所が載らなくなる。(自分の住所がなくなる。)住所がないと仕事も雇ってくれない。悪循環なんだ。」と言っていました。 私はどこか、「自己責任だよ。だらしがない。働きゃあいいじゃん、怠け者だ。」とさげすむ気持ちが ありました。でも、こんかいのクリスマス礼拝で、人それぞれ事情があり、どうしようもなさを抱えてい るのだと感じました。そこに、痛みや悲しみがあるのだと。 そして、誰も、他人を裁けない。 聖書の中に、姦淫の罪を犯した女がいて、当時、姦淫の罪は民衆から石討ちの刑で殺されました。 その女にみんなが石を投げて殺そうとしているところへ、イエス様がやってきます。 「この中で、自分が罪を犯したことがないものから石を投げなさい。」というと、一人いなくなり二人い なくなり、みんないなくなりました。 罪とは、犯罪(盗みや人殺し)だけでなく、人を傷(精神的に)つけること、恨むこと、強欲さ、高慢 さなども含まれます。 また、イエス様は、「まず自分の目のハリを取り除きなさい。」といいます。 本当に、私は、人をすぐさばきます。何が正しさって、正しいことは、神様にしかわからないのに。 私は私と神との関係だけをみていくだけでいいのだと思い知らされました。 また、人の痛みを覚えました。イエス様はいつも私たちとともにおられ、私たちの痛みを知っていてくださ る。 だから、この方についていき、この方の生き方に従って生きていけるのだと思わされた、 クリスマスでした。
↑usakoの教会ではありませんが、いつもお世話になっているある教会です。↑
いつもこの絵をみると、しばらく見入ってしまいます。毎年クリスマス時期になると教会の外にこのように、イエス様誕生の絵が飾られます。 |

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