復旧見通せぬ気仙沼線「廃線?陸の孤島…」住民に深刻な影響産経新聞 4月21日(木)9時6分配信
東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県北沿岸部のJR気仙沼線(72.8キロ)の復旧の見通しが立たず、沿線住民に不安が広がっている。とりわけ気仙沼線が唯一の鉄道だった南三陸町では、代替バスなどがないうえ多くの住民が津波で車を流されたこともあり、通院や通学への深刻な影響が出始めている。「町は『陸の孤島』になってしまうのか」。交通弱者である高齢者や子供を中心に、地域の「足」の回復を望む声は根強い。(佐藤裕介) 【写真】 津波で押し流されたJR気仙沼線の志津川駅 ーーー中略ーーーー JR東日本によると、宮城県内の在来線7路線のうち、全線で復旧の見通しが立っていないのは気仙沼線だけ。今後の復旧のあり方について同社の広報担当者は「街の復興と合わせて議論すべき問題。今後、地元自治体と協議する中で検討する」としている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー これは、対岸の火事ではない。 田野畑村にも、第三セクターの鉄道 「三陸鉄道北リアス線」が走っていた。 旧国鉄が廃止路線と決めて、なんとしても鉄路を・・。 ということで全国で初めて、第三セクター鉄道になった。全国から当時はその魁をみようと、全国の赤字ローカル線を持つところから、視察が相次いだ・・。 それが、100年の悲願であった願いがかない、昭和59年4月に開業にこぎつけて、通院、通学、通勤、観光の重要な足となっていた。 それは田野畑村はかつて「陸の孤島」と言われ続けてきた。鉄路で全国にむすばれて陸の孤島から脱却してのまさにそれは、田野畑村の黎明であった。 しかし、津波の以外で、現在時点では、復旧に約100億円必要だという。 特に、田野畑村は隣の野田駅〜小本駅の中間で、 島越駅はコンクリートの高架線の上(高さ15m)に設置されていたが,橋桁ごと流されてしまっている。 津波前は「カルボナード島之越駅」、「カムパネルラ田野畑駅」として、そのメルヘンチックな駅は若い女性を惹きつけたのだが・。 ↓↓津波前の「カルボナード島之越駅」 ↓↓津波で橋梁が大破。現在はこのような状態で何もなくなった島之越地区。 この、橋脚を作り直すとなるとかなりの予算と時間が必要になる・。 沿線の街づくりは,官邸に設置された有識者や被災地関係者による復興構想会議において,たとえば過去の街に隣接した高台に住宅地を作り,そこから漁港まで通うというようなものも含めて,検討が進められていくことになる。 当然のことながら,三陸鉄道の鉄道路線も,既存の駅と路線を復活するのではなく,新しい街づくりの中で交通機関の位置づけとともに検討されることになろう。 ひょっとしたら,鉄道の復興はあきらめ,道路を整備してバスなどで代替することになるかもしれない。
新しい街づくりが遅れてしまうと,どんどん港に近い便利なところからバラックが建つようにして,なし崩しに(災害に弱い)街が形成していってしまいかねないだろう。
すでに、
まさに、ここは政治力の見せどころであるのだが・・・・・・。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110421-00000503-san-bus_all
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3.11東日本大震災関係
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なんと、4月下旬なのに・・。
避難所に雪が20センチ積りました。(一昨日) 寒い日が続いています。今日はいくらはいいですが・・。 ↓↓このような雪が・・。避難所ではさむかったとおもいます。 そして今度は、今日と明日は大雨に厳重注意ですねー。 今日、明日は車で外に出ないほうが懸命です。 被災地の雨に厳重要注意!!〜余震も収まらない。=岩手・田野畑村の被災地の現場 http://yj.pn/n6wL0Z 全く気が休まることのない、また厳重注意です。ホントに自然に対して人間は無力です。 さて、昨日は、避難所に生の声を聞きたくて、ブログの為の取材に行ってきました。 行ったら、沿岸沿いにはない雪が・・。 標高110mあたりの避難所では雪が20センチ以上積もっていました。 ビックリでした。 これは、北リアス特有の海岸段丘の地形だからです。 今週に入って、寒い日ばかり・。3月中旬ころの気候です。 同じ田野畑村でも内陸に入ると、70センチのところもあったようです。 ↓↓避難所の外の様子。雪が積もっています。この他周りに3箇所の避難所があります。 避難所を見て まず思ったのは人が確実に減っています。 担当者に聞くと・。最近、減っていますねー。 現在、4箇所全部で270人位ということでした。 世帯の転出が・・。 自分の罹災証明を貰うために役場に行きました。 元同僚から聴いたら、かなりの世帯が転出してるようです。 これから、まだ増えそうな感じがあります。 首都圏にいる自分の子どものところに行く人。仕事を求めて転出す人。津波罹災区域に家も建てられないと知り、村を出る人などなど・・。 寂しいことですが、止むを得ないことでしょう。 僕も家はあっても 仕事もないので、まず当面は漁師はできません。 どこかにでなければならないと思ってる位ですから。 田野畑村の村税は、法人税、雇用者所得を除いて、7〜8割が漁業でしたらか・・。 その、漁業ができないとなれば・・。違う仕事を見つけるしかないのです。 避難所の一角には 「ハローワーク情報」の場所があり、ほとんど首都圏の求人がファイルになって並んでいました。 賃金の安さには驚きましたねーー。 いろいろ声を聞ききました やはり、「将来の不安」を訴える人が殆どで、人生の暗いトンネルに入り、動けない列車に乗ってるような感じです。 まあ、自分も同じですが・。 まだ、自分の未来のデッサンの描けない・。 そんな状況です。 具体的な、やるべきことが頭に浮かんでこないのです。まさに、「途方にくれてる」ということです。(詳細は、後でアップします) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 南国の花が そして、取材を終えて帰ろうとした時に、奄美大島の町から南国の花が届いていました。箱を見ると「あまみ農協 和泊」(鹿児島県、大島郡手々知名512-17)とありました。 ありがたことです。すごく離れた南国の島からの贈り物のようです。 少しで、「心を癒して欲しい」というメモが入っていました。 それも、たくさんの量です。 ↓↓奄美から届いた花々・。 それを、大きなバケツに入れて、避難所に飾るようです。 確かに、花は心をなごます。 避難所に、たくさん飾られると南国特有の花の香りがして、すこしはいやされるのかなあ・・? と、思いながら避難所を後にしました・・。
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津波到来時の様子〜上空からの撮影動画。
すでに、津波の大きな第2波が来た後のようです。
田野畑村の部分は、2分53秒あたり・。
我が家が、写っているのは。2;55あたりです。
すでに、前の家はなくなっています。
白い建物が見えるのがこれが12階のホテル羅賀荘
3;00あたりから
ここが羅賀地区。
そして、平井賀地区。
島之越の地区となり
田野畑村上空が終わりのが・・。明神岬あたりです。3;27です。
上空からの動画は初めてみましたが・・どこの漁村も津波が入りこんでいる状況ですねー。
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流された、石の看板・・。津波のパワーは凄いです。
津波前は、水面からの高さDL8mの防波堤(三陸沿岸はこの高さの津波防波堤がどこにも海岸にあったのです)の防潮林の黒松の木が、根こそぎ倒されて、家まで押し寄せて来ています。 なので、被害を拡大した大きな存在でした。 その黒松の整理もやや終わりです。そこで、整理されていろいろなモノが見えてきました。 家の前の、マレットゴルフ場が有りますが・・。 その中に、なにやら大きな石を発見しました・・。 なんで、こんな大きな石があるのかなあ・・。ここの沖の海底は砂浜です。 だから、こんな大きな石などないのです。 不思議に想い近づけていくと・・・・・・・・。 うーーん・・・・? これは、なんと海岸沿いを走る道の脇のキャンプ場にあった看板の石です。 ここから、約100mも先の海の近くに設置さてあった石の看板です。 ↓↓近づいて、確認したらやはり「北部陸中海岸」と書かれている大きな石の看板。 津波前は、陸中から三陸と名前の改称も論じられてきました。 世間での知名度は、陸中よりも三陸の方が、一般的な呼び名となっていたからです。 国立公園の名前は未だに「陸中海岸国立公園」です。 まあ、それはさておき・・・・。 改めて、津波のパワーを・・。ホントに驚きです。
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※この記事は、FC2ブログ 『犬猫救済の輪』 動物愛護活動ドキュメンタリー からの転載です
※嘆願呼びかけの三つの記事は、元記事より、嘆願書の部分だけを転載させていただきました
※斜体文字は、りく。が加筆させていただいた部分です
2011/04/11(月) 22:30
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