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「人の輪って大切です。嬉しいコメントが・・。」
http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/60490071.html#60490071 そのコメントの中に↓↓のようなコメントが・・。 早稲田大学「思惟の森の会OBの川島」と申します。 2011/4/12(火) 午後 4:26[ 川島 ] 以前、寮でのコンパや島越の海水浴でご一緒させていたただきました。 外川君のメールに関連しますが、OBが島越、羅賀の様子を3/25に撮影した動画をユー・チューブにアップしています。よろしければご利用ください。 また、アーラム大のホームページを見ると、心配している方が大勢おり、田野畑基金が設立されたと記載されています。 田野畑村で御世話になった方はみな、心配していることをお伝えしたくてコメントさせていただきます。 そのユーチューブからのルポ画像です。 また、その共通の友達からコメントが・・。 きんやさん。早稲田大学思惟の森の会OBの外川です。 我々も田野畑とともにありたい、少しでも恩返しがしたいという気持ちです。まずは義援金あつめを行っています。そして、これまで3人のOBOGが2回村へ伺い、支援物資(学用品・米・空気清浄加湿器など)を持参あるいはお送りしました。16日には早稲田で思惟の森関係者が集まって今後のご支援について打ち合わせします。 私も22日から数日、先遣隊として田野畑へ学生数人とともに入り、学生やOBOGでお役にたてそうなことが何があるのかを、あちこちから伺う予定です。 なお、早稲田大学としては、建築学科の教授が役場からの要請を受けて、避難所のパーテイションを作製し、13日から村へ持参します。 今後も連絡を取り合えたらと思っています。 2011/4/12(火) 午後 0:19[ 外川] どちらの、友も自分が20代の頃、早稲田大学「思惟の森の会」のメンバーです。森の入り、セミナーハウスで語り合ったり、田野畑村島之越の砂浜で遊んだり、アメリカのアーラム大学の学生と大いに青春を謳歌した仲間です。 これまで、付き合いが途絶えていましたがここで出会えました。 早速、その仲間がアップした動画をアップさせていただきます。 今日は、第一弾。田野畑村の中でも一番多くの被害の大きな島之越地区です。 僕の生まれたところで、舟を停泊していた港のある地域。実家もなくなり、舟も、水産倉庫2つ漁具を流出した地域です。 三陸鉄道の高架橋の上に「カルボナード島之越駅」があった。 海面からの高さは、24mあったのですが・・。 津波はそれ以上の高さがあったのです。 東日本大震災 岩手県田野畑村の津波被害 島越周辺 早稲田大学「思惟の森の会の記事」以前アップしたことが何度かあります。 「早稲田大学〜思椎の森の会 昨夜は裸の付き合い。」 懐かしい青春の思い出・・。 http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/60338574.html その歴史、思想などが記載されています。 これからも、頼もしい田野畑村の力になってくれるとおもいます。 アメリカのアーラム大学。も基金などを作って支援してくれるようです。 「Earlham College 長年にわたって緊密な関係があった、日本の田野畑村への救済基金の形成」最新版:2011年3月23日、午後4時00分 http://bit.ly/fvZHCs これまでの田野畑村の行って来た、「交流と教育立村」の思想と行動は世界に広がっています。 必ず、村民に大きな力になってくれると信じています。 そして、また、そのパワーは必ず村民の復興へのパワーになると確信します。 |
3.11東日本大震災関係
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昨日も、たくさんの訪問&コメント、転載拡散ありがとうございます。
なかなか、リコメできなくてホントに恐縮です。 さて、ようやく、田野畑村でも仮設住宅の工事が始まりました。 高校の校庭に建てられています。 ここで、だいたい50世帯分。 ↓↓ようやく始まった仮設住宅の建設 田野畑村の家屋蟻害は全壊517戸、半壊38、一部損壊52、大破4 ですから、全く足りない状況です。 ↓↓壊滅状態の沿岸地域。(島之越地域) ↓↓壊滅状態の沿岸地域。(羅賀、平井賀地域) まあ、村外への転出もあるでしょうが・・。高齢化した村ですから、今さら離れたくないひとの方が多いと思います。 ところが、人口密度が低い割には、山が多くて・・。外の用地がなかなか見つからない状態です。 で、漁師をやっていた人が多く、沿岸近くにと思ってる人も多いようです。 しかし、まだまだ、余震がある中、沿岸に建てることはできないしょうし、たぶん認可もおりないかと想います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー さて本震のあった、3.11からひと月以上経過して最近また余震が頻発しています。しかも、震源地が福島、茨木、千葉など首都圏近くままで南に南下しています。 まあ、今朝は04時37分岩手県沿岸北部でM5.4が有りましたが・・。 産経新聞 4月12日(火)21時52分配信 東日本大震災で、強い揺れの余震が収まらない。11日のマグニチュード(M)7・0に続いて12日もM6を超える大きな余震が立て続けに被災地を襲った。12日午後3時現在で、M5以上の余震は410回を数えた。日本で1年間に発生する平均数(155回)をわずか1カ月余で上回り、平均の2・6倍に達した。気象庁や専門家らは、世界最大級のM9もの本震で地殻のバランスがくずれ、放出された巨大なエネルギーの影響がなおも続いていることが相次ぐ余震の背景にあると見ており、警戒や注意を呼び掛けている。 気象庁によると、東日本大震災後の3月20日から4月10日の震度1以上となった余震の回数は1日当たり33〜100回で推移している。4月7日には宮城県沖でM7・1(最大震度6強)の余震が起きたほか、11日には福島、茨城両県でM7(同震度6弱)の余震があり、福島県浜通りを震源とする有感の地震だけで30回を超えて発生した。 12日も千葉県沖でM6・4(同震度5弱)など余震が相次いだ。気象庁では東日本大震災の余震域を東西約200キロ、南北約500キロと広範囲に及ぶと見て、「大規模な余震は今後、どこで起きてもおかしくない。震度7の想定も必要だ」と依然、警戒が必要だと注意を呼びかける。 ーー中略ーー 大きな津波についても、東北大地震・噴火予知研究観測センター長の海野徳仁教授(地震学)は「東日本大震災の津波は広範囲の海底が短時間で変動して発生した。今後もM8程度の余震が海底で起きた場合には、大きな津波が来る危険があり、引き続き注意が必要になる」として震源が海底となる余震に警戒が必要だとしている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 首都圏でも地震の揺れを感じているとおもいます。 大きな揺れがあれば・・。パニックが起きねければいいのですが・・。 すでに、また物資の買い占めがはい待ってるようです。 冷静になれという事は無理でしょうが・。過度の危機感も逆に良くないとおもいます。
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昨日は、3.11東日本地震津波からひと月。
14時46分 史上最大の地震と津波が東日本を遅い、未曾有の被害。 津波到達まで、30分もかからなかった・・。 震源地から三陸沿到達した距離と時間を計算すると、時速200㌔以上のスピード。新幹線よりよりも早い。 一瞬にして、多くのひとを飲み込み、建物は破壊された。 警察庁によると、10日午後7時現在、警察が確認した死者は1万3千人を超え、12都道県で1万3013人になった。行方不明者は1万4608人で、死者と合わせ、計2万7621人。負傷者は4684人。 都道県別の死者数は、北海道1人▽青森3人▽岩手3811人▽宮城7929人▽山形2人▽福島1211人▽東京7人▽茨城22人▽栃木4人▽群馬1人▽千葉18人▽神奈川4人。 避難所は18都道県で2364カ所に設置され、15万1115人が避難している。全壊建物は9都県で4万8734戸となっている。
昨日、14時46分。サイレンとともに黙祷を捧げた・・。 ↓↓避難所で、黙祷を捧げる避難民達・・。 その後、午後5時16分ごろ福島県を震源ととする震度6弱の地震の1分後と10分後に発生し、またこのような津波を連想しました。 ↓↓の動画は宮古市ではなくて、釜石のようだ・・。三陸沿岸にはどこにもこのような津波は襲来したのです。忘れてはならない、画像です。 津波ビデオ-宮古市、岩手県 地震:福島・茨城で震度6弱 土砂崩れ、2人死亡11日午後5時16分ごろ、福島県で強い地震があり、いわき市や茨城県鉾田市などで震度6弱を観測した。気象庁によると、震源地は福島県浜通りで、震源の深さは約6キロ、地震の規模を示すマグニチュード(M)は7.0と推定される。東日本大震災の余震とみられる。いわき市で2人が死亡し、福島、茨城、栃木、神奈川各県でけが人が出ている。↓↓余震が続く中続けられる、土砂崩れで倒壊した家屋に残された人の捜索=福島県いわき市で2011年4月11日午後10時54分 また、同17分と26分ごろには浜通りを震源とするM6.0、M5.6の地震が発生し、午後8時42分ごろにも茨城県北部を震源とするM5.9の地震があり、いずれも最大震度5弱を観測。その後も余震とみられる地震が続いた。気象庁は一時、茨城県に津波警報を出すなどしたが、津波は観測されなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 東北地方の太平洋沖を震源とする東日本大震災は、太平洋プレート(岩板)と陸側の北米プレートの境界で発生した海溝型地震だ。地震の規模はマグニチュード(M)9.0で、日本列島の周辺で起きる地震としては観測史上最大。東北地方の太平洋岸は地震・津波の多発地帯だが、これほど広範囲に津波被害を及ぼす巨大地震は想定されていなかった。 ↓↓地震のメカニズムと震源域の図 関連記事
記事本文の続き 地球の表面は十数枚のプレートで覆われているが、このうちの4枚が日本列島付近でせめぎ合っている。特に、太平洋プレートが北米プレートの下に潜り込む千島・日本海溝沿いと、フィリピン海プレートが陸側プレートの下に潜り込む相模・南海トラフ(浅い海溝)沿いは、海溝型地震が起きやすい。
3・11の巨大地震は、三陸沖から茨城県沖にかけての日本海溝の西側(陸寄り)で発生し、北米プレートが跳ね上がった。気象庁などによると、地震活動は3段階に分かれ、最初の破壊は宮城県沖から三陸沖へ北向きに進み、その後、南に向かって福島県沖、茨城県沖の震源断層が動いた。強い地震波は5〜6分も持続し、阪神大震災(平成7年)の16秒よりもずっと長かった。
震源域は南北約450キロ、東西200キロに及ぶ。海上保安庁によると、宮城県沖の震源海底は地震前に比べて24メートルも東に動いた。東北大学の観測では、震源付近の海底は約5メートル盛り上がったと推定される。また都司嘉宣・東大准教授の現地調査では、岩手県宮古市で標高37.9メートルの地点まで津波が到達していた。約2万2000人が犠牲になった明治三陸津波(明治29年)と同等以上の史上最大級の津波だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ひと月経過してもこのような余震が・・・・・。 これまで、岩手〜茨木県の沖で、小さい地震も合わせて、数千回の余震が観測されている・・。 気象庁では、今後もMの7.0クラスの地震の発生はあると言っています。 沖合が震源地となれば、また津波が来る可能性は否定できないと思う。 関東沿岸から三陸沿岸の避難地の人々は、それを恐れている・・。
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人の輪って大切な事を改めて学びました・・・・・・。
嬉しいコメントが・・。 いつも、転載&コメントいただいている 「三原色の会」のブログhttp://bit.ly/gqQBsN から美術ブログの関係からこのブログを見つけて、このブログ記事を観てくれていたようです。 そして、下記のような、[for**twind2*07]事。 鈴木さんから、嬉しいコメントがありました。 ※ヤフーブログは開設していなくていろいろ検索しましたが、連絡先が見つかりませんでした。なので、本人の承諾は得ていませんが・・。 もし観ていたら、許して下さいね。それを信じてアップすることにしました・。 田野畑村で「小中学校の体験学習修学旅行」は1986年に始まった事業です。 くしくも、これは僕が公僕の時(企画と広報を担当していた頃です) 1985年、先人が100年かかって日本で始めての第三セクターの三陸鉄道開通。全国に鉄路で結ばれた年です。 それを、記念してソフト事業をやりたかったのです。 この企画して役所内では、反対意見が強くありました。ホントに自分は、役所内でも浮いた状態に・・。 「新しいことはやりたくない」という役人思想からの事だったように記憶しています。 まあ、簡単にいえばワカゾウが何を出過ぎたことを言うか・・・。です。 しかし、その時の早野村長は偉かった。「交流と教育の村」を目指していたのです。 で、「ツルの一声」でやることが決定。 僕は、嬉しくて燃えました・・。 これは、三陸鉄道が開通してすぐに考えた企画です。 キャッチフレーズは「オープンステージ・たのはたの大地」でした。 交流を通じて、中学生の田舎の仕事や暮らしの教育とともに村民にも交流の中から農林業業のやりがいと意欲を高める。 まさに、村民教育の為にもなる。という確信を持っていました。 苦労したねーー。 受け入れてくれる農林漁業の家を一件一件、説得して周りはじめは30件の農林漁家から始まりました。その後、拡大して70件程に増えました。1件に4人のホームステイのプランではじまりました。 さて、今度は、来てくれる学校を見つけなければなりません。 関東首都圏の学校をほとんど一人で営業した覚えがあります。前もって文書は送ってあっても・・。ホントに苦労しましたねー。まあ、起動に乗るには3年以上かかった感じです。 そして、1987〜1993の8年間。この平井中学校も入って来たように記憶しています。 ↓↓シイタケ栽培の手伝いの生徒。 ↓↓海の体験に学習の中学生 今回の大津波で、下記のような輪が広がっています。 自分を顧みても中学生の頃の思い出・・。ってやはり記憶に残ってるものです。 ↓↓みんなでの記念撮影 この事業に携わった俺としては・。 なんか、時間を超えて。まさか、このような輪が広がっているとは・・・・。 嬉しい限りです。 田野畑村は、」今回の津波によって、寸断されました。カルボナード島之越駅はもう有りません。 漁師も今は、家も舟もなくした人が多く、漁業は出来ないじょうたいです。 しかし、人の心は確実に繋がっていました・。 まるで、少しオーバーですが映画のストーリーにもなりそうな話です。 ↓↓なくなった、鉄路(三陸鉄道・カルボナトード島之越駅) その、人と人の心の和、輪がとても嬉しいでのです。 下記のように、コメントが入っています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 大津波〜被災地の漁師の声。医療過疎 2011/4/4(月) 午前 7:03 # 被災地漁師の声〜東日本大震災津波 http://bit.ly/fgzNm に対するコメント。 1987~1993の8年間、修学旅行で田野畑村でお世話になっていた、東京の日の出町立平井中学校で修学旅行の担当をしていた鈴木と言います。 美術教師でしたので、三原色の会のブログからこのブログを見つけ、ずっと拝見しています。田野畑の様子が詳しく分かって、ただただ言葉を失っています。 当時は田野畑村の60数件のお宅にホームステイしながら一泊二日、農・漁・酪・林・炭の作業を手伝い、家族の一員のようにしていただくおつきあいをさせていただきました。田野畑村にはとてつもなく深いご恩があります。今、当時お世話になった教員仲間と卒業生とで、田野畑村へ少しでも恩返しができるようにと、取り組みを始めています。これからも、このブログを注目していきます。 2011/4/4(月) 午前 10:12[ for**twind2*07 ] ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー がんばれ ヒーロー # 2011/4/5(火) 午後 6:01 # 東日本大地震〜悲惨な現地動画 http://bit.ly/f4Q0yb 4/1から、修学旅行でお世話になった東京日の出町の平井中学校の職員OBと卒業生有志で、支援活動の環を広げています。子どもたち(といっても 15~20年前の中学生)は、みな待っていたようにその環に参加しつつあります。お互いの連絡つく仲間たちへメールで拡散しています。それは私の予想以上のうねりになりつつあります。 昨日、現在の平井中学校に伝えにいったところ、校長先生の配慮で、全校生徒にプリントを配ってもらえる事になりました。今の生徒は田野畑の事は知らない訳ですが、間接的にでも、ご近所の当時の家庭に届けば、という事で。 町役場の教育委員会も、全面協力した下さり、ポスターとプリントを置いてくれています。 町役場の職員になっている卒業生たちも、庁内のメールで連絡し合ってくれています。 ボランティアで田野畑に行けないかと、町役場に問い合わせてきた卒業生もいたそうです。 何人もの卒業生からも、「広げるよ先生!」という連絡をもらっています。みんな、あの悲惨なTVの報道から、田野畑の事を想像して、心落ち着かない日々を過ごしていたのかもしれません。2011/4/6(水) 午前 10:13[ for**twind2*07 ] しかし、そのパワーを引き出しているのは、 やはりあの時代の、修学旅行でお世話になった田野畑の人々の、 あたたかな、心に染みわたるやさしさと包容感に触れ合った体験なのではないかなと思っています。 15~20年も立っても、それぞれのこころの片隅に存在していた「田野畑での体験」です。 教育ってこういう事かなって感じています。 もちろん、私たちの力でなくて、 平井中の生徒も教師もともに学んだ、田野畑村の人々の教育力です。 近いうちに、わずかですが具体的な恩返しができるかと思います。 昨日、羅賀の広内さんとまた連絡がつきました。ライフラインが復旧したようで、何よりです。 田野畑の青い海原を頭に描いています。 2011/4/6(水) 午前 10:14[ for**twind2*07 ] ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー このような、平井中学校で当時、村を訪れた鈴木先生の声です。 人の教育。人の温かい心。素朴な村民の人たちへの大きな励みになると想いまして。アップしました。 やはり、人と人の輪は、たとえ鉄路が寸断されても、確実に繋がり、 広がってるのを感じました。 とても、嬉しいコメントでしたので紹介させていただきました。 かつては、マスコミによって「岩手県田野畑村はまさに陸の孤島であり、「東北のチベント」」であると、嬉しくもない報道をされてきました。 ↓↓まさに大きな自然は消えていません。世界になだかる北山崎は津波など寄せ付けないスケールの大きな海岸段丘。鈴木さんの言葉「田野畑の青い海原を頭に描いています。」 しかし、今は田野畑村は孤立していません。 むしろ交流の輪は世界と確実に繋がっている事を忘れてはいけません。 そのうち、交流の深いアメリカのアーラム大学、早稲田大学、日体大、松下政経塾なども支援に来てくれるはずです。
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避難所の気分転換〜自衛隊の慰問演奏
被災地になってる教育館ホールに教育委員会があり、。教育長さんと映画「風天の寅さん」の上映について、話をしたかったからです。 田野畑村出身の人が僕のブログにやって来て、映画のフイルムを渡し手あるが、どうなってるのか確かめたいということで・・。コメントがあったので、いつ上映するのか・・?確かめたかったからです。 その時に、丁度、避難所の気分転換と心のやすらぎを・・・。という事で自衛隊の音楽隊が来てくれました。 演奏してくれたのは第9師団青森駐屯地の音楽隊の方々です。 別の隊員に聞くと音学大学を、すべてトップクラスで卒業した人しか入れない、自衛隊でも狭き門をクリアして入隊した人ばかりなそうです。 人数は20名程でしたが、迫力鮮明な音は柴らしかったですねー。 3.11の津波災害〜避難所自衛隊の慰問演奏 ※ほんの一部ですいません。 被災地の人たちにとって、ホントに涙を流しながら感動したようでした。 「やはり、音楽には力があるなあ・・。」と実感しましたねー。 少しは、気分転換になったと想いますし、PTSDにも良かったのでは・・。PTSDには、音楽療法とかヨガ療法などの療法があります。 僕が、足の骨折で急性のPTSDの時は、心理療法士に勧められどちらもやりました。 ホントに心が癒せれるものです。少しでも、その役目は果たしたのではないかと思います。 自衛隊の方々はホントに頭が下がります。 遺体の捜査から瓦礫の撤去作業。ホントに献身的な活動です。 そしてこのような音楽の慰問活動など・・。ホントにありがたいことです。 そして、「いろいろな災害支援に行っていますが、このような大きな災害は初めてです。」とも・・・・。 「自衛隊の存在の大きさをほんとに感謝しています。 おそらく、長期戦になると思いますが・・。これからもよろしくお願いします。」 とお礼を申し上げました。 それにしても、 「音楽の力」って凄いと・・・・。 あらいためて痛感しましたねーー。
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