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5月5日に角島弾丸ツーリングに行った事は記事にしましたが広
島への帰り道に予てから行きたかった場所の近くを通りましたので
寄り道しました。場所は周南市須々万本郷にある須々万沼城です。
手前の小山です♪
ズーム♪
防戦に勝利した毛利軍は西へ西へと侵攻していきます。そしてこの
侵攻戦で1番の激戦になったのがこの須々万沼城攻防戦です。大内
家家臣の山崎興盛、江良賢宣らが籠城で対抗します。この城は沼と
いう名前が付いている通り、城の3方向を沼に囲まれて容易に近付
けない城でした。何処かの城に似てませんか?そう、備中高松城で
す。羽柴秀吉の水攻めで有名です。高松城攻めでは攻城軍、つまり
う秀吉が足守川がせき止め高松城を水没させていますが須々万沼城
では逆に籠城軍が近くを流れる小辻川をせき止め、水かさを上げて
防御力をあげています。これに対し毛利軍は秀吉のように水攻めに
する事なく落城させています。
では近付いてみましょう。
城中にあるお寺、保福寺の前に看板があります。 字が小さくて読みづらいでしょうが毛利元就の嫡男、毛利隆元は1 556年4月19日に兵50騎を率いて岩国を出発し20日に攻撃
を始めたと書いてありますが敵地で兵50騎とは明らかな誤記です
ね。僕が隆元であればそんな少数で敵地に行かないですよ。籠城兵
は3000とも10000とも。城が小さいので3000でも多い
かもしれません。この人数には鞍掛合戦での敗残兵も含まれている
ようです。ここで空撮を見て下さい。
確かに城の北側以外、平地になってます。当時は湿地帯だったんで しょう。毛利軍は北側の山に布陣して対峙。何度か攻撃をかけたが
落城する事なく健在でした。1557年2月に元就が直接指揮を
執ってようやく落城します。その攻城法ですが3方に布陣し、山口
から来るかもしれない敵にも備え包囲。2月19日から始まった攻
撃に籠城軍は頑強に抵抗し3月2日早朝の攻撃で毛利軍は筵(むし
ろ)で沼地を埋め立て城に迫ります。そしてこの合戦で初めて毛利
軍は鉄砲を使用しています。城に突入した毛利軍は籠城していた男
女1500人を斬殺しここに勝敗は決しました。まず城将江良賢宣
が降伏、城主山崎興盛はその後に降伏。城を出て開城して落城し
た。元就は興盛を部下にしようとしましたが拒否、切腹を望んで許
されて興盛とその子隆次は見事に果てています。
落城悲話として<沼を渉る女>という話があるそうです。山崎興盛
の子、隆次は新婚ホヤホヤであったようで籠城を前に妻との離別を
しています。離別された妻は夫に会いたくてある晩に沼の浅瀬を
渡って城に入ります。この様子を毛利軍に見られていて浅瀬の場所
から攻撃をされて落城したという事です。
城の近くに山崎興盛自刃の地がありますので行ってみました。城の
北側、徳山高校徳山北分校の北です。
その後も毛利軍はさらに西へと侵攻します。
さて僕の攻城ですが城址には登っていません。聞くところによると
遺構が残ってないのと民家やグループホームのような建物も建って
いるからです。
さて、帰りますか・・・
拝んでから広島に向けて帰路に尽きました。攻城は落葉後でしょう
ね。 |
戦国モノ
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少し間が空きましたがいよいよ最終回とします。
ジーパンに付いたひっつきもっつきを取る事15分。降りましょう。
馬のダバから来た道を引き返すと1ヶ所見てない場所がありました。
そちらへ行きます。
下のダバだそうです。ここにも井戸があります。
覗いてみると・・・
オオッ!1番深いぞ♪ちゃんと石組みがある井戸じゃ!
周辺も歩いてみましょう♪
下のダバの縁の端が周囲より若干高くなっているのが分かるでしょ
うか?これが土塁です。当時はもっと高かったはずですが・・・下
のダバの広さはこんな感じです。⇩
木は余計ですね。北側を見てみましょう。
竪堀が見えます。竪堀の正面に立ってみると・・・
やっぱ復元してもらいたいなぁ・・・
竪堀にロマンを感じるのは僕だけか?
西側を見ると・・・
切岸が見えます。この上は中のダバです。
これで鏡山城完全攻略です!では帰りましょうか。
実際に落城している城なんで帰りにはここで命を落とした武士たち
に黙とうをして帰路につきました。
帰りはほぼR2で帰りました。Vmaxも順調で良い1日になりました
♪
これで鏡山城編最終回です♪
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現在進行中の鏡山城シリーズではなく・・・この前福山に帰った時
にR486横にあった城を紹介します。以前通った時に看板があるの
に気付き、ネットで確認したところ、城址という事が分かりましたが
それ以上の説明はなかったのでその看板を見てみたいと思ってまし
た。Vmaxでこの近くの椋梨城址に行った時にここまで行こうと思い
ましたが時間の関係で断念しましたがそのチャンスが先週のみほりん
のクラブが府中市でコンテスト?に出るのを見に行った時に途中下車
して写真を撮りました♪
行武城祉
国道から見たらこんな感じです。⇧
早速、看板を見に行ってみましょう。
ズーム!⇩
毛利元就が生まれる前ですな。どちらにしろ、小早川氏の親族か、臣
下の城か??
上がってみようとしたところ・・・
写真ではよく見えませんが何やら電気柵のようなものが・・・
とすると上は畑?帰ってグーグルで確認すると・・・
やはり畑になってますね。小規模な城・・・というより屋敷のような
感じでしょうか。遺構もよく分かりませんでした。
この畑の持ち主は行武氏縁の人でしょうか・・・畑とはなんかもった
いないですね。これは戦国オタクの個人の感想です。
それでも500年以上前に武士がここに住んでいたとえると感慨深い
ものがありました♪ おわり
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では北郭群に行きます。案内板通りに降りていきます。
この道はあまり整備されてませんね。草ボーボーです。そういう道を
かき分けていくとまたもや井戸が・・・
あ〜ぁ、木が倒れてますわ・・・
中も見ましたが埋まってました。 先を進みます。
竪堀がありました。
これは竪堀が集まってる畝状竪堀群じゃ♪
あ〜これ、復元できんもんじゃろうか?
ちょうど御殿場の西側の下に出て来ました。岩が多いですね。 反対方向を見てみましょう。
尾根筋を切ってある。そう、これは堀切ですね♪ 看板が倒れてます。こっちの方にはあまり人が来ないようです ね・・・ここから先は自然地形の尾根筋になってますが・・・少し歩
いてみましょう。
写真のV字のところは堀切かも?
斜面は掘れてますね。
ここから井戸の辺りにある北郭群の方に戻ります。
下の方に明らかな平地がありますね。看板もあります。
降りてみましょう。
1番先端に行ったらまた下に曲輪を発見♫木が多くてよく見えません
が先端も広くなってます。
う〜む復元できんのかな。このままでは普通の山に戻ってしまう
が・・・さあ、中のダバまで戻りますか。戻って足元を見たら・・
ひっつきもっつき・・・雑草の種が付きまくりです。
しばらく中のダバでジーパンに付いた種を取る羽目になりました。
つづく
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さあ、いよいよ最頂部ですがその前に後ろを振り返ると・・・
さすがに広いですね。さてと・・・
これは石垣というより元々ある石を利用してたんじゃあないでしょう
か〜?では上がってみますか。
見えて来ました・・・
建物があったんで御殿場というそうですが戦時の建物なんでそんな立
派なものではなかったはずです。平素の居館は山の上ではなく、麓に
あったはずなので臨時的なものだと思われます。
西の端からは広島大学の建物が見えます。
本当の最後の砦です。ここで城主の蔵田房信は切腹したんでしょう
か?はたまた麓に降りてからか・・・
因みにこの鏡山城祉ですがヤフーで鏡山城と打ちこむと1番下に鏡山
城心霊と出ます。何でも夜は来てはいけない場所だそうですが昼間は
全然大丈夫です♪
さあ、中のダバまで降りましょう。御殿場に上がる前に気になる案内
板がありました。
北郭群か・・・
行きますか・・・ つづく
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