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産経新聞は、『産経抄』『正論』などを通して、「慰安婦問題」をはじめとする旧日本軍の行為に対する外国からの非難に反撃をしようとしている。その一環だろうが、連続コラム『断』に文芸評論家・富岡幸一郎氏の文章が掲載されている(3月11日)。例によって、富岡氏と私(うしどし)の架空の会話である。
【“南京の真実”は政府の手で】
富岡: アメリカの議会でマイク・ホンダなる下院議員が旧日本軍の従軍慰安婦問題を取りあげ、日本に謝罪を求める決議を出している。またドキュメンタリー映画「南京」が米国などで公開される。南京陥落70周年ということで、同じような映画が中国やカナダでも続々と作られ、世界中で上映されるという。
うしどし: ……。
富岡: 慰安婦問題は、平成5年の河野談話が「旧日本軍が直接あるいは間接に関与した」として謝罪したが、談話の根拠は元慰安婦女性からの聞き取り調査だけで、証言の裏付けはないというから呆れた話である。タイミングの問題はあるが、政府として再調査をやるのは当然だろう。
うしどし: 河野洋平氏は、平成5年当時、自民党政府の官房長官だった。「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も甘言、強圧など、官憲等が直接これに加担したこともあった」という河野談話は、当時の政府の公式見解と考えてよい。どのような政治的背景があったにせよ、政府は公式に謝罪をした。当然、その後に起こりうる事態に対する責任を負うべきである。それができなければ、謝罪などしてはならないのだ。富岡氏は、元慰安婦の聞き取り調査だけで、証言の裏づけがないというが、戦後50年近くたった元慰安婦の証言を裏付けることが簡単にできるはずがない。それに証言の裏づけがないからといって、元慰安婦の証言が虚偽であるという証明にはならないのではないか。政府が再調査をするというのはいいことだと思うが、調査は公正で政府とは無関係な専門家に任せるべきである。そして、日本にとって不名誉な結果が判明したとしても、隠蔽したりごまかしたりしないことである。
富岡: 「南京」の映画に至っては、あきらかな反日キャンペーンであり、これは一種の情報戦である。南京事件については国内外ですでにさまざまな議論がなされてきたが、「日本軍の残虐非道な殺戮(さつりく)による犠牲者は20万人以上」という東京裁判での数や、南京の記念館では30万人という数が掲げられている。
うしどし: 日本を快く思わない外国人がいたとしても、当然のことである。富岡氏は今までそのようなことに気づかなかったのか。
富岡: 記念館は1985年に建てられているが、虐殺された死体を埋葬したという南京江東門の遺跡の上にある。しかし、実際に行けばわかるが、展示などで不自然な誇張された部分が目立つ。
うしどし: そりゃそうだろう。首都・南京を攻略された中国が、日本の立場を考慮して、記念館の展示を控えめにするはずがない。
富岡: 安倍政権が戦後体制の克服をいうのであれば、南京事件に関して、政府として具体的に調査し、歴史の事実を世界に向けて明確にすべきだろう。日本でも「南京の真実」という南京攻略戦を検証した映画の製作が予定されているが、民間レベルだけでなく、日本政府が主体的に歴史的検証をなす必要がある。そうでなければ「主張する外交」など空語ではないか。
うしどし: 南京事件については、虐殺はなかったという説から、日本軍に殺された中国人は5万、25万〜30万、40万と諸説あるのが現状だが、南京侵攻の経緯を考えれば、当時の日本軍はかなり感情が高ぶり、疲労困憊(ぱい)していた。おまけに国民軍の司令部は逃亡し、中国兵たちの相当数は便衣兵となっていた。そのような状況で市民を巻き添えにしないで掃討戦ができるとは考えにくいし、多数の捕虜を保護することは不可能に近い。私は、市民を含めてかなりの中国人兵が日本軍に殺されたと思うが、戦闘によるものか虐殺であったのか、まだ確信をもって判断できないでいる。富岡氏が主張するように、日本政府が自分たちにとって不利な事実に顔を背けないのであれば、主体的に南京事件の歴史的検証をすることに賛成する。私は、自虐史観も自虐現代史観(自虐史観を批判する人の歴史観、うしどしの造語である)も嫌いである。本当のことが知りたいだけなのだ。
【参考資料】
慰安婦関係調査結果発表に関する
河野内閣官房長官談話
平成5年8月4日
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
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歴史は勝者のものであり(歴史は勝者のものによって好きなように書きかえれるものであり)ますが、仏陀のようにさんと同じで本当のこと(真実)が知りたいと思っています。只、外交や国内の国内の政争に利用してほしくはないです。→やはり、タイムマシーンがあるわけでもなく、イラクのことにしても常に強いものが事実を捻じ曲げているようにみえることから不毛な議論におち得るだけのように思います。⇒
2007/3/16(金) 午前 1:35
「証言」は、歴史学的にはオーラルヒストリーと呼ばれているもので、単なる面接などではなく、周辺史料や他の証言なども踏まえた綿密な史料批判を踏まえます。実際フィリピンあたりでは慰安婦と認定されなかった人の数も多いと思います。「家から連れ去られた」「兵隊に殴られた・妊娠させられた」などという被害そのものについては、概ね当事者しか知らないわけですから、これを示す公文書がないことを理由に国家が逃げるわけには参りません
2007/3/16(金) 午前 2:02
「狭義の強制性を示す文書がない」を理由に、国家の責任を回避しようとする政府の論理は、「公」の歴史が正しいのだという、国家主義的歴史観以外の何物でもありません。事実、証言その他により、官側の史料の問題点が浮き彫りになる場合もあります。それに、もともとオーラルヒストリーは、政府などが公文書を焼却・破棄したりしていた場合に、被害者の権利回復をいかにしてはかるかという社会的要請から出てきたものでもあります。
2007/3/16(金) 午前 2:04
(つづき)現状、テレビ放送などをみていると大虐殺(ホロコースト)があったのか、なかったのか (ゼロなのか、100なのか、或は、ゼロなのか、200なのか) という議論になっているように思います。 つまり、戦時下において20はあったが、大虐殺(ホロコースト)はなかったと言っているのに感情的になりゼロと受け取ったり (ゼロともとれる表現を行なったり)しているということです。⇒
2007/3/16(金) 午前 3:16
⇒言いかえれば、 戦時下において(20が軽いとか重いとかというのではなく、)20はあったことは問題だが、大虐殺は なかったという主張がしたいのに表現力が乏しく責任逃れをしていように受け取られたり(受け取らせてしまったり)しているようです。(戦争なのだから責任がゼロということはないという常識をモトにした発言でしょうがそれを理解できないものもいるという前提で発言することが必要だと思います。) モンゴルの問題だとは簡単に言い逃れできない元等の侵略行為の歴史も抑え、そういう不毛な論議はやめてもらいたいです。
2007/3/16(金) 午前 3:37
ハイ、でも、当時と、今をくっつけて、混同論議とか、人道の観点からですと、慰安婦問題って、日本人婦女子のことは、どうでもいいって、その日、食うにもこまってて1910年当時の、朝鮮国は、平均年齢24歳と言う資料見ました、日本統治により急激に、平均寿命が,伸びたこと、医療って事を始めて知ったのに、歴史の大事なことを、忘れてる、 台湾人は、正しく伝えてるよ、
2007/3/16(金) 午前 6:51
南京攻略で、日本兵士の多くの犠牲を,出した、って、状態は、民間人を、数珠繋ぎして、その影から、人質って、中国人ジャンその中から撃たれたって、当時の、心ある日本軍人って、すでに死ぬ事を覚悟の上戦地に大モン向いた以上卑怯は、恥だったでしょうね
2007/3/16(金) 午前 6:57
でー元、旧日本軍人って、言うお人のテレビに出てきて、また聞きを、もっともらしく話すって、本当の事実を話して欲しい、足を、縛ッたママ殺すのは、日本軍のやり方で無い
2007/3/16(金) 午前 7:04
住民を盾に利用するのは、中国人の戦の戦法そのものです、当時中国国内では、八路軍・中国共産党・日本軍でしょ、日本の、当時戦い方その後のことを、推測する時、非戦闘員の虐殺なんて、絶対にしない、人民そのものも、財産資源と考えてて、占領後、多くの、労働力を、必要としてて、占領後まず、鉄道の施設、街の整備を考えるのが、当時の日本デ、アングロサクソンの,武器を持たない非戦闘に震え上がってるのと心がちゃう、
2007/3/16(金) 午前 7:17
higasitoyokazuさんへ。勝者と敗者の歴史は、まるで違いますね。歴史は、過去の事実をありのままに記述した(そんなことは不可能です)ものではなく、現代の視点から過去を解釈したものだと思います。だから歴史は、そのときの状況によってたえず書き直されるということでしょうね。
2007/3/16(金) 午前 10:45
NANAMIさんへ。冷静なコメント、ありがとうございます。歴史問題だけでなくさまざまな事がらを考えるとき、先入観やムードに惑わされず、自分の頭で冷静に考えることが大切ですね。自戒の意味を込めて、そう思います。
2007/3/16(金) 午前 10:55
べるるさんへ。コメントありがとうございます。私は先の戦争で死んでいった兵士を無視したり、辱める考えには同調できませんし、戦勝国の言うことがすべて正しいとは思っていません。ただ、いいことも悪いことも含めて本当のことをもっと知りたいと思います。それだけです。
2007/3/16(金) 午前 11:05
慰安婦の証言についてですが、言うことが二転三転したり、連行されたとした年が戦前だったりと不一致してたりしては信用できないですよね?だから裏づけを必要とするのではないでしょうか?
2007/3/20(火) 午後 2:57 [ robamimi ]
それから南京虐殺ですが、当時25万位といわれた南京市民をどうやったら30万人も殺せるんでしょうか?さらに南京陥落後人口は35万に増えたとか…。虐殺があったところに人は集まらないでしょうし、虐殺後に大人数の移動の移動があったなら何か資料が残ってますよね。それも存在しない点を考えると大虐殺はデマとしかいえません。ただし、小虐殺位はあったと思います。なぜなら敵兵を生かして自分自分が死ぬか、自分が残るか。戦争だから殺さざるをえないでしょうね。
2007/3/20(火) 午後 3:05 [ robamimi1119 ]
robamimi さんへ。ごく最近起こった大事件でも、その本当の姿はなかなかわからないものです。まして、70年もたった昔のことについては、なおさらですよね。中国側の心情や主張はわからないこともないですが、すべて事実だとも思わないです。かといって、南京事件がなかったとも思わないですけど…。ただ、日本が国民政府の首都に侵攻したことは拙かったのではないかと考えます。
2007/3/21(水) 午前 9:11
富岡幸一郎氏が、ウソの報告をしています。ご参考までに。
http://blogs.yahoo.co.jp/satoatusi2006/21038179.html
南京大虐殺 カール・バルトから堕ちた「富岡幸一郎」のウソ報告「光華門の戦闘」「夏淑琴一家の虐殺事件」、劇画本『1937南京の真実』から
2008/12/22(月) 午前 2:08 [ イエスちゃん ]
sat*atu**200*さんへ…参考資料ありがとうございました。
2008/12/25(木) 午前 10:26
上海事変で勝利した日本軍は、敗走する国民党政府軍を追撃し、国民党政府の首都であった南京を攻略し、1937年十二月十三日に南京占領。このとき敗残兵が住民に対して略奪、虐殺を行なった。
それらの敗残兵が民間人の衣服を奪って便衣兵(ゲリラ)となったことから、日本軍は便衣兵の掃討作戦を行った。
便衣兵(ゲリラ)の殺害は国際法上認められているものであり、一般住民を虐殺したのはこの敗残兵達(督戦隊が撃ち殺したのは、逃亡中国兵であった。)であった。しかし、こうした事実が歪められて、情報謀略戦として、「南京三十万人虐殺説」が流布されたのである。
そもそも既に南京を攻略した日本軍にとって、南京で虐殺行為をする理由はない。一方、通州事件や大山大尉惨殺事件、第二次上海事件などでの日本人に対する残虐行為には、日本軍を挑発し、国民党政府軍との戦争に引きずり込むというコミンテルンの明確な意図があったのである。
『本当の日本の歴史 理論近現代史学』より引用
2017/2/26(日) 午前 9:27 [ 日中国交正常化45年南京80年に学ぶ ]