どうせあまのじゃくですよ〜。

花のいろは うつりにけりな いたづらに 我が身よにふる ながめせしまに … 小野小町

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「日本国」という場合、私などはどういうイメージを持っていたかというと、北は北海道から南は沖縄にいたる日本列島とその周辺の諸島、そしてそこに住んでいる人々、その人びとの言語・宗教・風俗・習慣…、そういったものをすべて含む総体であるというイメージを持っていた。「国家」とは、土地・文化・人種に至るまでをすべて包み込むもの、喩えていうと、国家とは国民のすべてを乗せた大船のようなものだと信じていた。国家から見放されると、大海に独り放り出されて溺れてしまう気になり、国家が滅びると、すべてが終わってしまうような感覚を抱いた。

私の国家に対するイメージはたぶん西欧のそれとは違い、アジア的というか、東洋的な国家意識だったと思う。

西欧思想の巨匠のひとりマルクスは、国家の本質を「観念(幻想)の共同体」であると述べた。人間は社会をつくり現実の生活を営んでいる。国家というのは現実社会の上に聳え立つ共同の幻想だと喝破した。「政府」とは人間の観念の共同体であり、それが「国家」だと考えた。したがってマルクスなどの西欧的感覚によれば、国家というのは国民のすべてを乗せる船のようなものではなく、その逆である。国家はつねに社会より小さいというイメージである。西欧の「国家」という概念は、たぶん私が「政府」とか「政治支配者」と考えていたものに近いのではないかと思う。

私はマルクス主義者ではないが、マルクスの国家の本質は「観念の共同体」であるという考えは受け入れている。「国家は社会よりも小さい」という概念は正しいと信じている。政治が正しければ社会がよくなるという話など嘘っぱちだと思うし、社会の諸問題が国家によって解決できるとはまったく期待していない。

政治指導者やその亜流たちは、事あるごとに「国家」「国益」「国民の利益」などの言葉を多用するが、果たして彼らのいう「国家」や「国民」とは何を指しているのだろうか。

閉じる コメント(12)

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成るほど?島国で育った僕には国家は漠然としたものでしか無かったです。

天皇を中心とした、神の国って感じですねかね?

2009/2/27(金) 午後 4:50 [ ガッチャマン ]

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理屈を言えば、国家は領域的には外延を持つ地理的なものですが、「自衛隊は国家は守るが国民は守らない」という自衛隊の来栖のかつての発言からすれば、国家は器のようなもので、中身の国民がどうなろうが、それは再生産できるという考えでしょう。実は、この考え方は、唯物論とも親和性がありますから、イデオロギーとしての右と左の国家観はよく似たものだと思います。私にとっては、国家より、郷土の高知のほうが身近ですね。一度国を出てみれば、日本を意識する時がありますが、それも私の場合一時的でしたね。国を出て、却ってナショナルな意識に囚われしまった有識者はいますが(西尾幹二とか藤岡信勝とか)。

2009/2/27(金) 午後 9:12 och**obor*maru

ほねやすめさんへ…今では「国家」と「祖国」は同じものではないと思っています。「天皇」についてはいろいろ感じるところがありますが、要するに「生き神様」じゃないのでしょうか。少なくとも昭和天皇まではそうじゃないかと思います。

2009/2/28(土) 午前 10:59 うしどし

NANAMIさんへ…「国家」という言葉は曲者ですね。同じ言葉なのに使う人によってイメージが異なってしまいますね。私は、国家というのは「観念の共同体」(吉本隆明さんなどの表現では幻想の共同体)じゃないのかなと思います。外国語については無知なのですが、西欧などでは、「国家」という概念は、アジアよりは狭い意味で使われるのじゃないですか?

2009/2/28(土) 午前 11:21 うしどし

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高福祉国家に住みたいです。老後を考えるお年頃w。

2009/2/28(土) 午後 0:46 虎皮のマリー

marieさんへ…老後のことを考えると不安ですか。私も老後について考えないこともないですが、脳天気なのか、無意識に老いた自分のことを考えるのを逃避しているのかわかりませんが、あまり深刻に考えないのです。ですから、ときどき周囲人から顰蹙を買うこともあるようです。

2009/2/28(土) 午後 2:23 うしどし

残念ながら極めて反マルクス主義的な思考の様に感じました。規定対象か難しい話ですから、相対的な問題になるのかも知れません。

2009/3/5(木) 午後 5:20 [ 獨評立論 ]

獨立綜合調査室様へ…マルクスの思想とマルクス主義は無縁じゃないですか? とくにロシア・マルクス主義はひどいものだと思っています。国家は社会によって生み出されたものには違いないでしょうが、国家が社会を生み出したものではなく、社会全体を覆うものではないと思います。

2009/3/5(木) 午後 6:33 うしどし

無縁ではないでしょう。ただマルクス主義とマルクスレーニン主義は異なると言いますからね。
私は、国家は社会の単位として規定されるべきだと考えます。もちろん社会というものがどの範囲を示すかに寄って変わってくるものだと思いますが。

2009/3/5(木) 午後 7:03 [ odo_t ]

獨立綜合調査室様へ…マルクスの思想とマルクス主義者の思想とは異なると思います。そういう意味で無縁と表現したのですが…。うまく伝える力がないものですから、ご容赦ください。

2009/3/6(金) 午後 0:41 うしどし

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的場氏の説明によるとマルクスの考えた資本主義の次に来る社会というものは、まだずっと先のことかもしれない、100年200年先かも知れないということです。
マルクスをマルクス主義者や社会主義運動家らの手から解放させ、自由に、より自由な社会への希望として見るべきですね。
リーマン、そして、グローバリズム、尖閣諸島の問題。国家とは所詮幻想に過ぎない。一人ひとりが大切。
やがて、資本は集中され、紆余曲折を経て一つの巨大な集合体となる。その時、一人の資本家と世界人民となる。
これは、ある種文学的な表現であり、まともに信じる必要もないが、資本主義社会とは、資本の法則が内在しているということだ。現れ方はいろいろだろうが。
これは想像できないことかも知れないが、世界を覆う巨大企業が出来上がった時、全ての商品は、その企業が生産したものになる。その時、国家というのは何の意味も持たない。
資本の力は、人種、民族、宗教、文化、言語、全てのものの垣根を越えていく。
国家とは?郷愁に過ぎないものとなる。遠い未来の話だ。

2010/10/1(金) 午前 11:44 [ nnh*k89* ]

nnh*k89*さんへ…的場さんは只今NHK教育テレビの「1週間de資本論」という番組に出演されていますよね。
経済と国家はまったく別物とは思いませんが、経済はとっくに国境を越えているのに、政治は依然として国境にしばられているということが、世界を住みにくくしている元凶じゃないのかなと思ったりもします。だからどうということでもありませんけれど。

2010/10/1(金) 午後 7:57 うしどし


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