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ギリシャの哲学者エピクロスは「死はわれわれにとって何ものでもない。なぜなら、(死は生物の原子的要素への分解であるが)分解したものは感覚をもたない。しかるに、感覚をもたないものはわれわれにとって何ものでもないからである」と考え、有名な「私が存在するときには、死は存在せず、死が存在するときには、私はもはや存在しない」という言葉を残している。確かに、個人としての私の死はそのとおりかもしれない。しかし、人間は個人として生きて死ぬ存在であると同時に、社会的存在でもある。個人の死は程度の差こそあれ、他人に何らかの影響を及ぼす。「死なんか知らないぜ」と割り切ってみせても、どうしても割り切れないものが残る。 |
孤立無援の中で
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「日本国」という場合、私などはどういうイメージを持っていたかというと、北は北海道から南は沖縄にいたる日本列島とその周辺の諸島、そしてそこに住んでいる人々、その人びとの言語・宗教・風俗・習慣…、そういったものをすべて含む総体であるというイメージを持っていた。「国家」とは、土地・文化・人種に至るまでをすべて包み込むもの、喩えていうと、国家とは国民のすべてを乗せた大船のようなものだと信じていた。国家から見放されると、大海に独り放り出されて溺れてしまう気になり、国家が滅びると、すべてが終わってしまうような感覚を抱いた。 |
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1月26日の産経新聞の連続コラム『断』に、評論家の呉智英氏が、連合赤軍事件を取り上げた若松孝二監督の作品に関連して、【バカの勧め、知性の軽侮】という記事を寄せていた。以下は、呉氏と私(うしどし)の架空の会話である。 |
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私が日々の生活の中でひそかに楽しみにしていることがいくつかある。 |
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退職してもう2年が過ぎた。別にばら色の人生を夢見たわけでもないし、どうしてもしたいことがあって退職したわけではないが、辞める数年前から、そろそろ「潮時」だと思っていた。 |







