どうせあまのじゃくですよ〜。

花のいろは うつりにけりな いたづらに 我が身よにふる ながめせしまに … 小野小町

動物たちと

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身近な動物について感じるままに書いてみました。
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10月19日の産経新聞の社会面に小さな記事が出ていた。以下、要約する。

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兵庫県豊岡市の海洋レジャー施設「城崎マリンワールド」で、人気のイルカショーに出演するイルカたちが、ショーの合間にプールに突き出たステージに勝手に上がり、勢いをつけて滑り込むハプニングが日常化しているそうである。ステージに上がったイルカの大半は自力でプールに戻るそうであるが、中には勢い余ってもがいてしまうお調子者のイルカもいるらしく、トレーナーを心配させているという。

19頭のイルカたちはメインプールで豪快なジャンプや回転運動を披露するのだが、トレーナーの合図でプールに突き出たステージに上がり、観客に愛嬌たっぷりの挨拶をする「ランディング」もショーの一部として行なわれている。

ところが、今年に入り、遊び好きな(?)イルカを中心に、観客やトレーナーがいないときでも、勝手にステージに上がるようになった。イルカたちはプールから勢いをつけてステージに上がり、体をくねらせてその後プールに戻るそうだ。

城崎マリンワールドのスタッフの1人は「合図もないのにステージに上がるのも遊びなのでしょう。ほうびをもらえたり、観客の拍手もない。何が楽しいのでしょうね」と苦笑いしている、と。

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そりゃスタッフは、ほうび(お金)もなく、観客の拍手もないところで働くのは楽しくないだろうが、イルカは人間とは違う。彼らは何かを期待したり、賞賛を求めたりはしない。純粋に、おもしろいからステージに飛び上がっているのだと思う。否、ひょっとして、ステージの向こうに大海があると信じているのかもしれない。

野良猫の最期

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わが家には、長年住み着いている野良猫一家以外にも数匹の雄猫が訪れてくる。餌を求めてやって来るのか、縄張りをパトロールしているのか、あるいは仲間を探しているのか知らないが、彼らはすべて体格がよく精悍な顔つきをしている。

片や、わが家の野良一家の父猫は気が弱く臆病である。もっとも野良猫の場合、そのほうが長生きできるのであろう。闖入者が来ると一応は縄張りを守ろうと立ち向かうのであるが、たいていは相手の威嚇に負けてしまい、その場から退散する。

近ごろは、大きくなった子猫が闖入者に対して立ち向かおうとしているようであるが、まだまだ経験不足のようで、相手に力負けしてまう。時として追いかけられ、捕まったあげく、体のあちこちに傷をつくっている。侵入猫は誰もいなくなった餌場で勝ち誇ったように食べ残しの餌をあさり、マーキングをして引き上げていく。

そのような毎日がつづく中で、数ヶ月前からわが家の餌場に白黒のぶち猫が現れるようになった。毛並みがきれいで人間慣れしている。私が撫でてもとくに嫌がるようすもない。おそらくどこかの飼い猫だったのだろう。ぶち猫は今までの闖入者をすべて蹴散らして、わが家の周辺を完全に自分の縄張りにしたらしい。当初は、この新参のぶち猫に対して野良一家は警戒をしていたが、敵意を持たないかぎりとくに攻撃を加えることもないようだったので、いつのまにか付かず離れずの奇妙な共存関係が生まれるようになった。

ところが、10日ほど前からぶち猫のようすがおかしくなった。餌時になるとやって来るのだが、食べ終わると、すぐにどこかへ消えてしまう。今までは、食後しばらくは毛づくろいなどしながら餌場で野良一家と一緒にくつろいでいたのに、彼らを避けるように階段を降りて行ってしまう。毛並みが乱れ、少し痩せて小さくなったような気がした。

一昨日の土曜日の朝、餌場に行くと、ぶち猫が猫小屋にうずくまって苦しそうな息をしていた。入口でチョコレート色の子猫が中のようすをうかがっている。ただの「風邪」だろうと思い、餌を置いてかたわらの子猫の頭を撫でて引き上げた。

昼すぎ、私が餌場に通じる裏のドアを開けると猫たちは一斉に階段から駆け降りてくる。足元にまつわりつく猫を避けながら階段を上り、餌を投げ与えると激しい争奪戦が始まる。猫小屋を見ると、ぶち猫の姿はなかった。「元気になったのかな」と思って、気にすることもなかった。

夕方、餌と水の補給のため、餌場に上がると、ぶち猫が猫小屋に横たわっていた。ようすがおかしい。手足をまっすぐ伸ばし、頭を左に向け目を見開いたまま動かない。手を持ち上げたが、何の反応もない。ほかの猫たちは餌場の下から落ち着かないようすで上をうかがっている。彼らには、「死」という概念はないだろうが、それでも異変が起きたことはわかるのだと思う。あっけない野良猫の最期だった。

翌朝、横たわっているぶち猫を小屋から出し、バスタオルに包んでダンボールに入れ、隙間をガムテープでふさいだ。長靴を履き、スコップを持って雑木林の奥に入り、穴を掘って亡がらを埋めた。跡に線香を立てて、供養の経を呟いた。……「オン ボウジ シッタ ボダハダヤミ オン サンマヤ サトバン」

思えば、奇妙な猫だった。なぜわが家の野良一家と共存し、わざわざ猫小屋で死んでいったのだろう? 普通、猫は人の目に触れないところでひっそりと死を迎えるものだと思っていたが…。いずれにせよ、猫は、独りで堂々と死んでいった。私に、あのような死に方ができるだろうか。 

ヘビと野良猫

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春が過ぎ、さらに暖かくなってくると、わが家およびその周辺に棲息しているさまざまな小動物が活発に動きだす。ゴキブリ、蚊、猫のノミ、アリ、毛虫、クモ、ヤモリ、ヘビなどなど。小動物がとくに嫌いというわけではないが、好きというわけでもない。できれば適当な距離を保ちながら共存したいものである。

ところでわが家には、子供のころ飼っていた猫の子孫と思われる野良一族が住んでいる。ブログを始めたころ、一族は雄猫が1匹、雌猫が2匹、生後2ヶ月くらいの子猫が4匹の7匹家族だったが、雌猫の1匹が死に、子猫が1匹行方不明になり、現在は5匹家族になってしまった。親猫は老いて体が小さくなった。3匹の子猫は元気に育ち、今では、私がお腹を撫でても、首を絞めても逃げることがないほどになついているが、すべて雄なので40数年続いた血統が絶えるかもしれないと心配している。

先日、屋上の餌場で猫たちに夕食をやったあと、いつものように水道の蛇口をひねり、ホースで飲み水を補給していた。容器からあふれた水道水は排水口から傍らの樋の継ぎ目に流れていく。何気なく、樋の継ぎ目を覗いてみたら、中からシマヘビの顔が見えた。流れ落ちる水を飲んでいるのだろうか? さかんに細い舌を出し入れしている。細い樋の内側をからだをらせん状にして地面から登ってきたようだ。このままでは猫に見つかり、もてあそばれて殺されるかもしれないと思い、ホースの水を顔にかけて下に戻そうとしたのであるが、そんな私の親切心を理解しようともしないシマヘビは、逆に上に登ってきた。

樋から出たシマヘビは悠々と餌場の端に沿って這っている。体長は1.5メートルくらいのまだ若いヘビのようだ。ほうきの先でヘビのからだを突つきながら「お前、下がれ。猫にやられるぞ」と言っても、全然動じるようすもなく、まったく私を無視している。「もう知らん」…捨て台詞を残して、下に降りた。しかし気になるので、10分ほどして再び餌場に行ったが、ヘビの姿はもうなかった。猫たちに訊いても「知らない」と言っている。無事にどこかに行ったようだ。

ヘビは不思議な生き物だと思う。いつも予期しないときに現れ、私を驚かす。こちらがじっと見ているとむこうも逃げない。だが、少し目をそらすと、どこかに消えてしまう。わが家には、ヘビの他にクモ・ヤモリなどが住みついている。駆除する気はないが、できれば顔を合わせたくない。ひっそりと生きてくれることを願っている。

野良猫の運命

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この冬、わが家の野良猫は、全員インフルエンザにかかった。顔中を目やにだらけにし、熱と咳と食欲不振に苦しみながらも、なんとか生き延びた。先週あたりから、目やにも止まり、食欲も出てきた。ようやく元気を取り戻したようである。

だが、2匹いる母猫の1匹は、痩せこけて、腰がふらふらしていたが、もう2週間ほど姿を見せない。猫は、死ぬとき、姿を隠すといわれている。おそらく家の裏の雑木林のどこかで息を引き取ったのであろう。

母猫が最後にえさ場に上がってきたときは、閉じた口から舌を出し、鼻水をたらし、痰の絡まった咳をしていた。いつもは、私が近づくとすぐに逃げ、一定の距離を保っていたのであるが、もう逃げることはなかった。好物の鶏肉の細切れを少し食べ、私の顔を見つめていた。最後の挨拶にきたのであろう。野良猫とはいえ、少し、心が痛む。

動物の一生はみごとである。

悲しい熊。

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10月24日付けの『産経抄』より引用する。

≪全国からクマ出没の報告が相次いでいる。キノコ採りに夢中になっているうちに、なんてケースだけではない。果樹園のリンゴを食べ尽くしたり、通学中の男子中学生を襲って重傷を負わせたりしているというのだから、もはや「非常事態」といえる。

やはり大量出没が話題になった2年前と同じく、ドングリなど主食の木の実の不作が指摘されているが、もちろんそれだけでは説明がつかない。そもそも、詳しい生態どころか、全国の生息数さえよくわかっていないというのだから。

本来、山奥で暮らす生き物だと思っていたが、どうも違うらしい。「人間の行動が全部見えるような近いところに暮らしている」。『クマにあったらどうするか』(木楽舎)のなかで、アイヌ民族最後のクマ撃ち猟師として知られる姉崎等さんが語っている。

それでも共存が可能だったのは、「人が来たら自分たちの姿はできるだけ見せないように逃げて歩く動物」だったからだ。アイヌの人たちが、クマを神の化身とあがめたように、クマもまた人間を恐れてきた。

ところが、過疎化が進むにつれて、集落近くの森林の手入れが行き届かなくなった。荒廃した里山は、もはや両者の境界の役目をはたせない。心ない人が、山に残してきた食べ物によって、新たな味覚を得たことも大きい。人里に誘っているのは、人間の方で、今さら大騒ぎされても困る。

口がきけたら、こんな文句のひとつも言いたいであろうクマと鉢合わせしたら、どうすべきか。死んだふりがいいといわれるが、姉崎さんによると、相手の目をそらさないで立っているのがよく、逃げるのが最悪だそうだ。もちろん、そんな非常事態にアドバイス通り行動できる自信は小欄にはない。≫

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熊に出会ったとき、死んだふりをするよりも目を熊からそらさないで立っているのがいい、逃げるのが最悪だといわれてもと言われても、私はやはり一目散に逃げるだろうな。

話題は熊である。いや、熊だけではなく動物のことである。すべからく人間は動物に出会ったらそっと道を譲るべし。「獣のように」「蝮のように」「ハイエナのように」「タヌキやキツネのように」などと人間の負の性質を動物に例えるのは、動物に対して失礼である。どのような動物も、その残酷さ・悪質さにおいて、人間にはかなわない。動物たちが言葉を喋れたら、仲間を非難するとき、きっと言っているだろう。「なんて残酷なことをするのだ! 人間の真似は止めろ」と。

先だって、消費期限切れの鶏肉のバラを持って、猫の餌場の階段を登っていたとき、子猫に指を引っかかれた。猫は私を攻撃したのではない。鶏肉が欲しかっただけである。指から流れる血を見ながらそう思った。油断していた私が悪い。猫を張り飛ばすのをやめた。

仏教は無益な殺生を戒めている。おそらく、人間の業の深さを知りぬいているからだろう。姿・形が気に入らないだけで、動物を殺すのはやめたいと思う。殺すのは、人間が生きていくためにやむを得ないときだけにしたいものである。

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