どうせあまのじゃくですよ〜。

花のいろは うつりにけりな いたづらに 我が身よにふる ながめせしまに … 小野小町

教師・学校・教育についての話

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マスコミや社会の教師・学校批判に対して、元教師が愛情と憎しみを込めて語ってみます(^_^)。
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産経新聞(10月26日朝刊)の連続コラム【産経抄】とわたし(うしどし)の架空の会話である。

産経抄:  都立高校の新米音楽講師ミチルは、卒業式で国歌斉唱のピアノ伴奏をすることになった。式の直前にめまいを覚え保健室で休んでいると、今年こそ全員で「君が代」を歌ってほしいと願う校長や絶対反対の社会科教師らがやってきて大騒動になる。

うしどし: ……。
 
産経抄:  喜劇『歌わせたい男たち』は、平成17年の初演以来、数々の演劇賞に輝いている。作・演出の永井愛さんは、「君が代不起立」で処分された教師らに取材したそうだ。ならばぜひ、来月初旬に産経新聞出版から刊行される『学校の先生が国を滅ぼす』にも、目を通していただきたい。

うしどし: 喜劇『歌わせたい男たち』を観ることはないし、産経新聞出版の『学校の先生が国を滅ぼす』という本も読むことはないな。

産経抄:  著者の一止羊大(いちとめ・よしひろ)さん(66)=ペンネーム=は、大阪府の公立学校の元校長だ。国旗、国歌の指導ができない学校の実態をつづった自主制作本をコラムで紹介すると、大きな反響があった。読み返してあらためて、自分たちが多数決で決めたことが絶対、とやりたい放題の一部教職員の横暴にあきれかえる。

うしどし: 元校長の職場暴露本ということか。読んでいないし読む気もないからこの本の内容について文句を言う筋合いはないが、この種の本は、著者に都合よく編集されていることが多いからね。あまり信用できないな。 
 
近藤:   正常化を図ろうとする校長には、いやがらせを繰り返す。教育委員会はまったく頼りにならない。解説で櫻井よしこさんが指摘するように、「教育現場は想像を絶した荒廃のまっ只(ただ)中にある」

うしどし: 櫻井よしこさんの推薦か。あの方は大げさだからね。「教育現場は想像を絶した荒廃の真っ只中にある」なんて、よく言うよ。そんなことより、この校長が現役のとき何をしていたのか少しだけ興味がある。

産経抄:  民主党政権は、学力テストの縮小や教員免許更新制の廃止など、日教組の主張に沿った“改革”を進めている。マニフェストにはさらに、公立小中学校は、保護者や地域住民、学校関係者らが参画する「学校理事会」が運営する、との記述もある。

うしどし: 民主党政権や日教組の名を持ち出すまでもなく、ごく普通の教師なら、文科省の学力テストや教員免許更新制度にたいした意味などないと思っているはずだ。また民主党(別に自民でも共産でもどこの党でもいい)が提唱する保護者・地域住民・学校関係者らの参加による「学校理事会」というのは、学校の閉鎖性に風穴を開けるおもしろい試みになるかもしれない。

産経抄:  理事会がすべての決定権を持てば、多くの学校の式典で、「君が代」が歌えなくなるかもしれない。一止さんの第2作、『反日組織・日教組の行状』(飛鳥新社)もまもなく出る。学校の危機に警鐘を鳴らすために、永井さんには『歌わせない男たち』の上演をお願いしたい。

うしどし: 保護者や地域住民が学校経営に参加したからといって、「君が代」が歌えなくなるとは限らないだろう(むしろその逆の可能性が大じゃないか)。例えとして適当かどうかわからないが、東京のとある公立中学が行なった「夜スペ」なども、保護者や地域住民、予備校の先生などを巻き込んだ試みだったと聞いている。「夜スペ」は別に「反日」にはなっていない。産経抄が心配することはないと思う。…余談になるが、しばらく前、産経新聞に「障害者」を「障がい者」と表記する動きに異を唱える記事が出ていた。「害」を「がい」とひらがなで表記することの愚を訴えていた。そのことにとくに異論はないが、内容に少し違和感を感じる箇所があった。記事には「害」を「がい」と書き換える運動は、民主党政権と関連があるかのように書かれていたが、それは違うと思う。私が住む地域では、自民党政権のときからそのような動きがあった。産経新聞が民主党政権を気に入らないことは十分承知しているし、それが悪いとは言わないが、記事は正確に書いてほしいものだ。

<追記> ちなみになんで「障害者」を「障がい者」とひらがな表記にするのか知り合いの府や市の職員に聞いてみると、「詳しくは知らないが、“害”という文字には悪い印象があるので、障害のある人が不愉快に思うといけないからだ」と答えてくれた。

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立命館大教授の加地伸行氏が【古典個展】という標題のエッセイを連載している。氏は中国哲学とくに儒教研究でそれなりに名の通った学者さんであるが、専門分野以外でも単純明快な蛮勇発言で知られている(そうだ)。3月29日の【古典個展】は“教員は幼稚園に学べ”というテーマであった。以下は、加地氏と私(うしどし)の架空の会話である。

加地:   幼稚園児の孫の卒園式に出席した。ジジ馬鹿丸出しである。

うしどし: 別に馬鹿なことではない。

加地:   式典が進行し、ハイライトの在園児送辞、卒園児答辞となる。もういけません。眼頭が熱くなってきました。そして終盤に、園児全員の斉唱がはじまった。スクリーンにさまざまな情景が次々と映るなか、「思い出のアルバム」の歌声が流れる。

うしどし: 年をとると涙もろくなるものだ。私も、テレビのドラマでよく涙ぐむようになった。

加地:   この唱歌、私は大好きである。「いつのことだか、思いだしてごらん。あんなこと、こんなこと、あったでしょう」にはじまり、「春のことです…夏のことです…」と歌い継ぎ、最後に心を揺さぶる名句が現れる。「もうすぐ、みんなは1年生」−涙があふれた。彼らの希望に輝く門出を祝わずにおれようか。幼稚園には教育の原点がある。いや、人生の原点があると言っていい。この子たちは、これから人生を自分の力で切り開いてゆくことになるが、それを大きく受け止めて協力するのが、われわれ大人の役目である。

うしどし: 幼稚園に人間の原点があるなんて大げさなことを言わないで、可愛い幼稚園児の幸福を黙って願ってあげればいい。大人は時として彼らを見守り、時として彼らの前に立ちふさがるだけだ。

加地:   全国の新小学校1年生の中から、天下の大秀才が、他者の幸福のために生きる逸材が、高い志を抱いた教養人が登場することであろう。頼もしいかぎりである。

うしどし: そうかもしれないし、そうでないかもしれない。彼らの中から天下の大悪人や箸にも棒にも掛からないろくでなしも、また出現するだろう。

加地:   それに比べて、教員にはお粗末なのがいる。例えば大阪の門真市立第三中学校の教員ども。昨年の同校卒業式において、国旗に対して起立表敬をせず、国歌も唱和しなかった。理由は自分の良心に反するからだと。彼らの扇動があったのだろう。生徒も起立しなかった。1人をのぞいて。

うしどし: 一人を除いて生徒の誰もが国旗に対して起立をしなかったということのほうが驚きである。この中学校の生徒はそれほど先生の言うことに従順だったとは…。 

加地:   彼らの愚劣な行為の中で、たった1人で起立した生徒はお美事(みごと)。

うしどし: 一人で起立した生徒は勇気があると思う。だが、起立しなかった生徒たちは果たして愚劣なのかな? 先生の指導に従った素直ないい子かもしれないぞ。

加地:   そして今年、なんと教員も生徒も全員が起立したと伝えられている。おかしいではないか。去年、起立しなかった教員は処分を受けたとのことであるが、それが怖くて今年は起立したのか。己の良心に反するから起立しなかったと言うのであるのならば、今年も起立すべきではない。

うしどし: ちっともおかしくない。彼らは卒業式の会場にいなかったと思う。処分を受けた非起立の教員たちは転勤させられたかもしれないし、通常は同じ教師が連続して3年生の担任をすることなどまずあり得ない。3年の担任でないならば、会場警備や保護者の案内その他の業務が割り当てられ、卒業式に出席している可能性は少ない。 

加地:   なぜなら、良心は法律よりも上だからである。たとい処分を何度受けようとも、信念を持って良心に従って生きるべきである。ところが処分が怖くて起立したと言うのならば、その良心など口先だけの吹けば飛ぶような代物である。

うしどし: 良心は法律よりも上だというのなら、良心を法律で規制することは間違っていることになる。加地氏はまず非起立の教員を処分した教育委員会を批判すべきだ。私は国旗に対して非起立を指導した教師の行為を擁護しない。国旗に対して起立するかしないかが良心の問題であるというのなら、生徒に非起立を指導するのはおかしい。国旗に対して起立するかどうかは、良心の問題なのかそれともマナーの問題なのかは意見が分かれるところだろうが、いずれにせよ、良心の領域を法で規制することには賛成できない。ましてや、国歌の唱和を強制することはなおさらである。あなたは気まま勝手に振舞って今までやってこれた偉い学者だから“処分を何度受けようとも、信念を持って良心に従って生きるべきである”と簡単に言うが、ただの公務員にとって処分は怖いものだよ。

加地:   大学の教員にもおかしなのがいる。例えば浅井基文なる者が毎日新聞3月10日付「新聞時評」にこう書いている。「特に毎日、朝日は、他の全国紙に比べ公正性、中立性が高いとみられている」と。思わず嗤(わら)ってしまった。毎日、朝日といえば、左翼的であることは周知の事実。それを「公正性、中立性が高い」とは、見識のかけらもない。こういうのをチンドン屋と言う。

うしどし: 思想の視座というか視点によって、何が公正で中立かは異なってくると思う。朝日が左翼的だと思うのはあなたの視点がかなり右翼的だからかもしれないし、別の人は朝日はぬるま湯的中立に思えるかもしれない。公正性や中立性という言葉を持ち出すこと自体、ある種の偏りがあるともいえるのではないか。それから蛇足だが、笑うべき対象を「チンドン屋」と表現するのは感心しないな。

加地:   学校の種類を問わず、この種(て)の教員はいくらでもいる。教員として劣化しているわけである。彼らは教育を職業とする以上、研修させる必要がある。では、何を研修させればよいかといえば、教育のこころ、教育の原点であろう。人の子を教えるのなら、人間や社会や世界をまともに見ることができるように研修させねばなるまい。その研修の場としては幼稚園が最善。そこには教育のこころや原点すなわち教育の根本がある。『論語』学而(がくじ)篇に曰(いわ)く「本(もと)立(た)ちて道(みち)生(しょう)ず」と。

うしどし: 研修で「こころ」が身につくのかね。孔子が嗤っているぞ。最後に加地氏に言っておこう。釈迦に説法だろうが、思想・良心の問題のことだ。道徳は強制であり、倫理(良心)は自由である。道徳は他律であり、倫理は自律である。国旗に対して起立をし、国家を唱和することが良心の問題だというのなら、いかなる人間・組織も起立・非起立、唱和・非唱和を強制してはならないと思う。それらは単に道徳(マナー)の問題というのなら話が別であるが…。

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作家の曽野綾子さんは『透明な歳月の光』というエッセイを産経新聞に連載している。11月24日の記事は、“服装、髪型…教育とは非常識を許さぬ場所”という題で、少し前に話題になった神奈川県立神田高校の入試事件について書いてあった。以下は、曽野さんと私(うしどし)の断片的な架空の会話である。

曽野:   神奈川県平塚市の県立神田高校が、髪型や服装などで選考基準を超えていた受験者を不合格とした。この事で渕野辰雄校長が更迭になったことに対して、世間は大きな反応を見せたようだ。

うしどし: 更迭された校長に同情する声もあったようだ。

曽野:   産経新聞は、神田高校が、どのようなことを面接で問題にしたかをきちんと書いてくれた。それによると、眉をそっている、髪を染めている、爪が長い、態度が悪い、胸ボタンが外れている、服装がだらしない、ズボンを引きずっていいる、スカートが短い、というような点だったという。どれももっともな話で、もっと早くこういう常識が通用してくれたら、と私などは願っていたことだった。

うしどし: 私も産経新聞の記事を読み、ブログを書いたが、曽野さんは、大きな勘違い、否、わざと読み違えをしているようだ。記事によると、神田高校は受験生に対して「面接」などしていない。服装や態度が生意気な中学生をこっそりチェックして、合格点に達しているにもかかわらず、不合格にしていたことが、告発によって明らかになったということである。「常識が…」という前に、曽野さんは自分の常識が変だと悟ったほうがいい。

曽野:   私の生活の範囲に、上記のような服装の目立つ高校があって、私はかねがねこういう非常識を許しておく学校は、つまり教育をしていないと同じだと思っていた。これらは虚飾で、実生活に則していない服装や態度である。昔から髪を染めることが禁じられていたのは、そのヒマに勉強しなさい、ということだ。爪を長くして(髪を)染めている女性は、ヨーロッパではまともな生活者とは思われないものだという。(つまらない文章なので所どころ中略)ズボンを引きずるのはいなかっぺの証拠。スカートの短い娘は、レイプされても訴える資格なし、と怒っている人は世間にはいくらでもいる。

うしどし: 別に田舎っぺであっても、短いスカートをはいていようと私はかまわないけれど…。それにしても「スカートの短い娘は、レイプされても訴える資格なし、と怒っている人は世間にはいくらでもいる」という表現はいただけないな。

曽野:   教育は、すべての人を見捨てないのと同時に、人生の競争の結果を厳しく採点される場所であっていい。日教組のこれが結果かどうかはしらないが、最近、あまりの野放しに我慢に我慢を重ねさせられてきた世間の方が、反撃に出たという感じはする。

うしどし: 何が反撃だよ。馬鹿らしい。

曽野:   この件に関して、教育評論家の村田栄一という人が「『服装が乱れている場合は不合格とする』ということを事前に通知せず、独自判断で不合格にするのは問題」と言っている。いちいち条件を書かずともこれらの条件は昔からの常識の範囲だ。面接の目的はそれらを既に含んでいる。その常識も推測できない子は不合格として当然だろう。

うしどし: あのさあ〜、神田高校はこの時点では「面接」試験は行なっていないのだよ。服装や態度が悪い生徒をこっそりとチェックしておいて、合格点に達しているにもかかわらず不合格にしたということは、どう考えても「公正」じゃない。面倒を起こしそうな生徒を初めから排除しておいて、教育も何もあったものじゃないと思うのだ。

曽野:   村田氏はまた「校長の更迭は妥当な処分。更迭に反対する動きは、迷惑な生徒さえいなければいいという、ある意味で自分勝手な行動」だという。多くの子供たちを良識の範囲で育てるためには、意識的迷惑をかける人物は排除して当然だろう。迷惑な生徒を育てる場所は他にあるはずだ。

うしどし: 神田高校は他の高校と合併して来年には平塚湘風高校になる。「不公正な入試」を指示した人物が校長として新しい高校の入試にかかわるのは適切でないとする教育委員会の判断は、常識的なものだと思う。新しい高校では、面接試験が課せられようになった。合否の基準も明文化されている。「面接への積極的な態度」や「生活態度」が選考基準に組み込まれ、更迭された校長の方針が生かされているようだ。私は、生徒を厳しく指導することや停学・退学処分に反対はしない。しかし、たかだか服装や見かけが悪いというくらいで、意識的迷惑をかける人物と決めつけることには賛成できない。気に入らない人間を排除すれば良いという思考には組みしたくない。

曽野:   この校長は謝ったが、その気の弱さが一番残念である。

うしどし: 「まずい」と思ったから謝ったのだろう。曽野さんは謝らないだろうな。

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神奈川県平塚市のある県立高校が、服装や態度などに問題があると判断した受験者を、「入学後の指導が困難」との理由で合格ラインを上回っていたにもかかわらず不合格としていたことが、マスコミに報道されていた。事件は内部告発で明らかになったようであるが、11月3日の産経新聞【主張】は、“身なりチェック 規律ただす指導は当然だ”という記事を掲載し、日ごろの問題教師・指導力不足教師非難を忘れたかのように、当該の高校を擁護していた。以下は、産経新聞【主張】と私(うしどし)の架空の会話である。

主張:   神奈川県立神田高校の入学試験で、服装や態度に問題がある生徒を不合格としたことで、校長が更迭処分を受けた。

うしどし: 当然だろう。

主張:   学校生活にふさわしい服装、態度を含め規律を守ることは合否基準以前に当然のことだ。同校に限らず生徒への指導は毅然(きぜん)と行うべきもので、その原点を十分に議論することなく処分を先行させたのだとすれば極めて残念だ。

うしどし: 生徒への指導はむろん学校のするべきことだが、論点をすり替えてはいけない。この学校は生徒の指導をするのが嫌だから厄介者を門前払いしてしまったのだよ。
 
主張:   今回の更迭については、県教育委員会や同校に多数の電話やメールが寄せられ、9割は校長や学校側の判断を擁護する内容だった。生徒の間からも異動撤回の署名を集める動きがあるという。

うしどし: 学校に同情的な電話やメールが教育委員会に寄せられたからどうだというのだ。
 
主張:   神田高校では入学願書受け付け時や試験日に、髪を染める、ズボンをひきずるといった服装や態度で著しい問題がある受験生をチェックし、最終的に「入学後の指導が困難」として合格圏内でも不合格にした生徒が平成17、18、20年度入試で計22人いた。

うしどし: 髪を染める、ズボンをひきずる程度で、「入学後の指導が困難」ねえ(ニヤニヤ)。

主張:   同校は約340人の全校生徒のうち年間約100人が退学する問題校とされてきた。関係者によると、更迭された校長は規律刷新に率先して取り組んでいた。自身もまた「教員の生徒指導の負担を軽減し、まじめな生徒をとりたかった」と話している。

うしどし: いわゆる教育困難校というわけか。それにしても全国にこういう形の報道が流されて、卒業生や在校生はさぞかし悔しい思いをしているだろうな。気の毒なことだ。
 
主張:   ただ、入試時のチェックの際、問題のある生徒には直接告げるべきだった。入試のときまで、だらしない身なりや問題のある態度には、その場で一喝して正していくのが教師らの役割だろう。

うしどし: 自治体によって差があるかもしれないが、公立高校の場合、中学生といえども受験者(われわれは受検者というが)はあくまで一般市民として扱わなければならないと指示されている。受検上の指示違反や犯罪行為があれば別だが、髪の毛の色や服装などが変だという程度で、現場の教師は受験者に注意はできないのだよ。受験者に動揺や不信感を与える言動は厳禁されている。なにが「その場で一喝」だよ。ついでに教えてあげるが、私がまだ現役だったころ(たぶん今もそうだと思うが)、入試業務は教師の本来の仕事ではない。

主張:   こうした生徒を許してきた責任は家庭や中学校にもある。連携して教育、指導しなければ問題は解決できない。学校現場では厳しい生徒指導をためらう傾向がある。授業で騒いだ子を廊下に立たせるといった指導は体罰や人権侵害だと批判される。授業中にメールをしていた生徒から携帯電話を取り上げただけで保護者が抗議してくるケースもあるという。

うしどし: 入試のときに生意気な態度をとる中学生には、私とて腹が立つ。授業中に悪態をついた生徒を別室に閉じ込めて校長から注意されたこともあるし、携帯電話や単車、服装・態度などをめぐって、保護者とトラブルになったこともずいぶん経験している。生徒指導が困難なことは十分わかっているし、困難校の勤務がどれほど過酷なものかも承知しているが、そのことと受験生を服装や態度で不合格にすることとは問題が違う。 

主張:   いじめを行う生徒などへの指導もきちんと行えない現状が批判され、文部科学省は昨年、体罰の基準を明確化した通知を出し、指導が萎縮(いしゅく)しないよう求めた。規則を明確に決め、守らなければ厳しく対処する米国の「ゼロ・トレランス(非寛容)」を参考にした指導の必要性も通知している。

うしどし: ……。 

主張:   生徒指導では問題をあいまいに放置せず、粘り強く、ときに厳しく指導することが必要だ。そこから生徒や保護者の信頼も生まれてくるはずだ。

うしどし: 公立高校は学校独自の入学試験や合否基準を設定することはできない。当然、受験者の服装や態度で合否を判定することは制度的に許されない。神田高校は、服装や態度が悪くても合格ラインに達している生徒を不合格にするべきではなかったと思う。生意気な生徒はひとまず入学させてから思う存分しめあげるべきだった。産経新聞はこの学校長を「苦労が嫌で不正を働いた指導力不足の問題校長」と非難するのかと思ったら、案外同情的だったので拍子抜けした。

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ある日教組批判

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10月21日の産経新聞【正論】に、初代内閣安全保障室長・佐々淳行氏が『日教組よ、まず「自己批判」せよ』と題する記事を寄せていた。マスコミに登場する佐々氏は冷静沈着な元警察エリート官僚というイメージであったが、こと教育問題やわが子の問題になるとそうでもないことがわかって、なかなか楽しい内容であった。以下は、佐々氏と私(うしどし)の細切れの架空会話である。

≪政治信念貫いた中山氏≫

佐々:   中山成彬前国土交通大臣が、日教組(日本教職員組合)が日本の教育に及ぼした害悪を批判し、舌禍事件として騒がれた。確かにTPOが悪い。唐突で、麻生新内閣にはマイナスだった。だが中山氏は政治信念を貫いて日教組批判を撤回せず大臣を辞め、堂々と自らの責任をとった。その出処進退は九州男子らしく見事である。

うしどし: 中山氏の発言は唐突で的はずれなものに思えたし、突然の大臣辞任、その後の言動はみっともなかった。九州男児らしく見事な出処進退とはお笑い種だ。自分の発言が正当だと思うのならば、中山氏は罷免されるまで大臣の席に留まるべきだったと思う。

佐々:   中山氏の日教組批判は、表現はちょっと粗いものの、国民の大多数が日教組に対して内心で抱く気持ちを代弁したものだ。もちろん、文部科学省(旧文部省)も悪いが、日教組は教育現場で半世紀にわたり、子供の教育よりイデオロギー闘争を優先させ、初等・中等公立学校教育を今日のような荒廃に陥れた。明らかな日教組の弊害である。

うしどし: 今日の教育の荒廃は日教組のイデオロギー闘争のせいだったの?
 
佐々:   反体制的な自虐史観、日の丸・君が代反対、全国学力テスト反対、デモ・座り込みなどの校外での政治活動優先…と、いちいち、中山氏が指摘した通りではないか。日教組関係者は、道徳教育は反対ではないという。しかし彼らが半世紀にわたり、道徳教育の導入に時には集団暴力で、時には陰湿な抵抗運動で反対し続け、児童・生徒たちの公共心やモラル、愛国心の低下をもたらしたこと、これまた歴史的事実である。日教組が文科省との協調に路線転換したのは1995年。だが、公共心、愛国心、道徳教育を謳(うた)った一昨年の教育基本法改正を「改悪」といっているではないか。

うしどし: 佐々氏の日教組に対するイメージは、既成の型にはまった時代遅れの代物じゃないかなあ。もう日教組には往年の力はないと思うし、その影響力を過大評価しすぎだよ。子供は先生の言うことを鵜呑みにするほど単純じゃない。教師が学校で佐々氏が主張するような露骨な行動をすれば、生徒はそれに従うどころか反発するものだ。むろん中山氏や佐々氏のように先生の言うことを素直に聞くいい子もいるかもしれないけれどね。

≪警官の子を立たせる体罰≫

佐々:   (中略)当時警視庁警備課長だった筆者の息子が世田谷区立小学校で日教組闘士の女性教師Sから、警察官の子というだけの理由で、長時間居残り、立たされるという体罰を受けた事件だ。この教師は授業中、「お父さんが警官、自衛官の子は立ちなさい」と命じた。数人がオドオドしながら立つと、クラス全員に「この子たちのお父さんは、ベトナムで戦争し、学生を警棒でなぐっている悪い人たちです」といい、「立っていなさい」と理不尽にも放課後、夕方まで立たせていた。

うしどし: そんなことがあったのか。事実だとすればとんでもない馬鹿教師だと思う。

佐々:   帰宅した息子からこれを聞き激怒した筆者はN校長に抗議の電話をかけた。ところが校長は「相手は日教組、争わない方がよい」と応えた。筆者が「公立小学校で親の職業による差別・いじめ教育と、罪のない子供に『立たせる』という体罰について教育委員会に提訴する」と迫ると、校長は当の教師を拙宅によこした。そして彼女は日教組を盾に、「組織をあげて警察の権力的弾圧と闘う」と息巻いた。

うしどし: ……。 

佐々:   筆者が「私は一個人の父兄として貴方をクビにするまで闘う」というと、女性教師は突然、床に土下座して「クビになると食べていけない。みんな日教組の指示によるもの」と、泣訴哀願したのだ。

うしどし: 佐々氏の一言で、戦闘的な日教組闘士がいきなり土下座して愁訴哀願するというのもなんだか不自然な話だが、とりあえず氏の言うことが事実だと仮定しておこう。本当はSという教師の言い分も聞きたいところであるが、仕方がない。ところで佐々氏は、この事件に関して日教組に抗議をしたのだろうか? Sは、警官や自衛官の子供を立たせる行為を「日教組の指示によるもの」と明言しているのだから、私なら日教組に「差別」だと抗議する。佐々氏は、その教師をどうしたのか? 私なら、子供に謝ってもらう。佐々氏には、事の結末を書いてほしかった。

佐々:   また、京都では警察官の子は勉強ができても成績は「オール3」だったという事実もある。

うしどし: 本真(ほんま)どすか?

佐々:   自虐史観の日教組は、日本のアジア侵略について、やった方は忘れても、やられた方は忘れないと言っている。同様に子供たちも忘れていない。日教組は、何の罪もないのに理不尽に心を傷つけられた警察官、自衛官の子供たちに謝ってから、ものを言うべし。

うしどし: 女性教師Sの行為は日教組がどうのこうのという話じゃないと思うな。そのことは佐々氏が長年所属していた警察組織でも同じではないだろうか。組織の権威を傘に着て威張り散らす警官が少しくらいいたからといって、警察組織全体が直ちに悪とはいえないだろう。馬鹿者はどこにでも多少いるものだ。

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