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			<title>どうせあまのじゃくですよ～。</title>
			<description>私は、正直・優しい・気が利く・まじめ・すなお・礼儀正しい・謙虚・おおらか・包容力がある・可愛い、などと人から評価されますが、これらは全て私の弱点、不徳の致すところと反省しています(^_^)。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ushidoshimoo0210</link>
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			<title>どうせあまのじゃくですよ～。</title>
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			<description>私は、正直・優しい・気が利く・まじめ・すなお・礼儀正しい・謙虚・おおらか・包容力がある・可愛い、などと人から評価されますが、これらは全て私の弱点、不徳の致すところと反省しています(^_^)。</description>
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			<title>女性を怒鳴るなんて…。</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-84-17/ushidoshimoo0210/folder/1489763/23/49307423/img_0?1257147249&quot; width=&quot;64&quot;&gt;&lt;br /&gt;
産経新聞（朝刊）に【ｆｒｏｍ　Ｅｄｉｔｏｒ】という小さなコラム欄がある。産経新聞の編集幹部が執筆する短いエッセイのようなものだ。１１月２日は社会部長の近藤豊和さんの『秋冷の「体感治安」』という文章が載っていた。以下は、近藤さんとわたし（うしどし）の架空の会話である。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
近藤：　　　贅肉（ぜいにく）が付きすぎたわが身を清めてくれるような早朝の心地よい冷気の中、氏神様に参拝したときのことだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　運動不足じゃないのか。そろそろ肉体労働に変わった方がいいぞ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近藤：　　　参道へとつながるケヤキ並木を歩いていた。突然、幹の陰から派手な色柄の丈の短いワンピースを着た厚化粧の女が、笑みに妖気を漂わせて姿を現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近藤：　　　「おにいさん、おにいさん、マッサージしませんかぁ～」妙なイントネーションで声をかけてきた。朝の６時ごろである。通勤で駅へと向かう人の姿もチラホラ見え始めていた。秋冷はすぐにどこかに吹き飛んだ。怒りがこみ上げた。頭に血が上り頭皮がチリチリとした。上気した勢いで、「あっちへ行け！」と怒鳴ってしまった。声をかけてきた女は、中国語で何やら口早にわめくように言い返してきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　危ないなあ。早朝の冷気の中で、しかも肥満体の身で、そんなに頭に血を上らせたら、脳卒中か心筋梗塞を起こすかもしれないぞ。それにしても、いかがわしげな女性に声をかけられるのがそんなに腹立たしいのかい？少しは話を聞いてやってもよさそうなものを。私なら「しませんよ～」とやんわりと断るけどなあ。声をかけてきたのが中国人（らしい）女性でなく、強面の日本人男性であっても近藤さんは「あっちへ行け」と怒鳴ったかな？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近藤：　　　厳粛な早朝の参拝が穢（けが）されたという思いと、近隣にこうしたグロテスクな環境が形成されていることへの悲嘆にも似た思いとがない交ぜになり、仰いでしまった青空の澄み渡った美しさがまた悔しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　はいはい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近藤：　　　「体感治安」という用語がある。犯罪件数の増減など統計に表れたものではなく、日常生活の中で感じる治安の良しあしに関する感覚のことを意味する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　はいはい。&lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
近藤：　　　早朝のわが身に起きたことは、まさに「体感治安」として、地域の治安悪化を突きつけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　たった一人の妖しげな女性に声をかけられたくらいで、そこまで大げさに言わなくてもいいのに。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近藤：　　　ところで、警察庁が先月公表した「平成２１年上半期の犯罪情勢」によると、全国で発生した刑法犯の認知件数は、平成１５年から昨年まで減少が続き、今年上半期も前年同期比に比べて、４万３１９件（４・６％）減少している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　マスコミの犯罪過剰報道のおかげで、純情な人たちは「近ごろは物騒になった」と思い込んでいるようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近藤：　　　統計的には、犯罪は減少しているのだ。しかしながら、“犯罪臭”を身近でかいでしまうと、途端に「治安の悪化」を思い悩むようになる。また、東京・秋葉原での無差別殺傷事件に見られる「動機なき凶行」や、インターネット上の特異な犯罪などがクローズアップされると、「体感治安」がさらに悪化する要因となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　近藤さんもマスコミ情報に踊らされているお一人なんだね。お気の毒に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近藤：　　　先日会った警察幹部の一人は、「本来ならば、統計的な犯罪の件数減少と、治安改善の実感とが一致するような状況こそが望ましい」と話していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近藤：　　　冒頭に書いた朝の出来事には続きがある。その日の夜、所轄警察署の当直の方に電話で出来事を伝えた。たまたま電話に出たその方は、「明朝、その場所に行ってみます」と即答してくれた。「体感治安」は明らかに改善した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　警察も大変だな。こんなことを言いたくないが（本当は言いたいのだが）、近藤さんは物欲そうな顔をして歩いていたから、いかがわしい女性に声をかけられたのかもしれないと思う。失礼。やはり声をかける女性がよくない。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ushidoshimoo0210/49307423.html</link>
			<pubDate>Mon, 02 Nov 2009 16:34:09 +0900</pubDate>
			<category>防犯</category>
		</item>
		<item>
			<title>何もかも日教組のせいにしないでよ。</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-84-17/ushidoshimoo0210/folder/1497685/56/49270456/img_0?1256541106&quot; width=&quot;158&quot;&gt;&lt;br /&gt;
産経新聞（１０月２６日朝刊）の連続コラム【産経抄】とわたし（うしどし）の架空の会話である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
産経抄：　　都立高校の新米音楽講師ミチルは、卒業式で国歌斉唱のピアノ伴奏をすることになった。式の直前にめまいを覚え保健室で休んでいると、今年こそ全員で「君が代」を歌ってほしいと願う校長や絶対反対の社会科教師らがやってきて大騒動になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　……。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
産経抄：　　喜劇『歌わせたい男たち』は、平成１７年の初演以来、数々の演劇賞に輝いている。作・演出の永井愛さんは、「君が代不起立」で処分された教師らに取材したそうだ。ならばぜひ、来月初旬に産経新聞出版から刊行される『学校の先生が国を滅ぼす』にも、目を通していただきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　喜劇『歌わせたい男たち』を観ることはないし、産経新聞出版の『学校の先生が国を滅ぼす』という本も読むことはないな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
産経抄：　　著者の一止羊大（いちとめ・よしひろ）さん（６６）＝ペンネーム＝は、大阪府の公立学校の元校長だ。国旗、国歌の指導ができない学校の実態をつづった自主制作本をコラムで紹介すると、大きな反響があった。読み返してあらためて、自分たちが多数決で決めたことが絶対、とやりたい放題の一部教職員の横暴にあきれかえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　元校長の職場暴露本ということか。読んでいないし読む気もないからこの本の内容について文句を言う筋合いはないが、この種の本は、著者に都合よく編集されていることが多いからね。あまり信用できないな。　&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
近藤：　　　正常化を図ろうとする校長には、いやがらせを繰り返す。教育委員会はまったく頼りにならない。解説で櫻井よしこさんが指摘するように、「教育現場は想像を絶した荒廃のまっ只（ただ）中にある」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　櫻井よしこさんの推薦か。あの方は大げさだからね。「教育現場は想像を絶した荒廃の真っ只中にある」なんて、よく言うよ。そんなことより、この校長が現役のとき何をしていたのか少しだけ興味がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
産経抄：　　民主党政権は、学力テストの縮小や教員免許更新制の廃止など、日教組の主張に沿った“改革”を進めている。マニフェストにはさらに、公立小中学校は、保護者や地域住民、学校関係者らが参画する「学校理事会」が運営する、との記述もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　民主党政権や日教組の名を持ち出すまでもなく、ごく普通の教師なら、文科省の学力テストや教員免許更新制度にたいした意味などないと思っているはずだ。また民主党（別に自民でも共産でもどこの党でもいい）が提唱する保護者・地域住民・学校関係者らの参加による「学校理事会」というのは、学校の閉鎖性に風穴を開けるおもしろい試みになるかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
産経抄：　　理事会がすべての決定権を持てば、多くの学校の式典で、「君が代」が歌えなくなるかもしれない。一止さんの第２作、『反日組織・日教組の行状』（飛鳥新社）もまもなく出る。学校の危機に警鐘を鳴らすために、永井さんには『歌わせない男たち』の上演をお願いしたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　保護者や地域住民が学校経営に参加したからといって、「君が代」が歌えなくなるとは限らないだろう（むしろその逆の可能性が大じゃないか）。例えとして適当かどうかわからないが、東京のとある公立中学が行なった「夜スペ」なども、保護者や地域住民、予備校の先生などを巻き込んだ試みだったと聞いている。「夜スペ」は別に「反日」にはなっていない。産経抄が心配することはないと思う。…余談になるが、しばらく前、産経新聞に「障害者」を「障がい者」と表記する動きに異を唱える記事が出ていた。「害」を「がい」とひらがなで表記することの愚を訴えていた。そのことにとくに異論はないが、内容に少し違和感を感じる箇所があった。記事には「害」を「がい」と書き換える運動は、民主党政権と関連があるかのように書かれていたが、それは違うと思う。私が住む地域では、自民党政権のときからそのような動きがあった。産経新聞が民主党政権を気に入らないことは十分承知しているし、それが悪いとは言わないが、記事は正確に書いてほしいものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜追記＞　ちなみになんで「障害者」を「障がい者」とひらがな表記にするのか知り合いの府や市の職員に聞いてみると、「詳しくは知らないが、“害”という文字には悪い印象があるので、障害のある人が不愉快に思うといけないからだ」と答えてくれた。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ushidoshimoo0210/49270456.html</link>
			<pubDate>Mon, 26 Oct 2009 16:11:46 +0900</pubDate>
			<category>その他教育</category>
		</item>
		<item>
			<title>ブログ開設3年目</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-84-17/ushidoshimoo0210/folder/1489763/22/48782822/img_0?1248674381&quot; width=&quot;64&quot;&gt;&lt;br /&gt;
しばらくブログから遠ざかっていた。別にブログに飽きたわけではないのだが…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
留守中にもかかわらず、ブログに訪問してくださった方々には厚くお礼を申し上げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
早いもので、ブログを開設してから３年が過ぎた。初めのころは仕事を辞めたばかりでエネルギーが有り余っていたこともあり、つまらない内容ではあったが、かなりの記事を量産した。そのうちにぺースは落ちたが「架空の会話」形式の自分なりのスタイルができたように思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
頻繁に記事の更新をしていたが段々とペースが落ち、やがて休止状態になった人たち(わたしもその一人である)、さまざまな理由でブログを閉鎖した人たち、私の記事やコメントが気に入らなかったようで過剰な反応を示した人たち、愉快な記事や個性ある記事で私を愉しませてくれた人たち…。この人たちはいったいどのような貌をし、いかなるくらしをしているのだろうか？　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私の拙いブログを読んでくださったすべての人たちにあらためて感謝したい。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ushidoshimoo0210/48782822.html</link>
			<pubDate>Mon, 27 Jul 2009 14:59:41 +0900</pubDate>
			<category>その他文化活動</category>
		</item>
		<item>
			<title>夢のキッチン</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-84-17/ushidoshimoo0210/folder/1489763/23/47517623/img_0?1239967883&quot; width=&quot;331&quot;&gt;&lt;br /&gt;
建ってから４０年以上たつわが家は、骨組みなどはまだまだ頑丈ではあるが、どことなく薄汚れくたびれてきた。住んでいる私自身がそうであるからしかたがないことかもしれないが、それでも使い勝手がよく、きわめて居心地のいい空間である。マッチ箱をいくつか重ねたような無骨な外観であっても、さまざまな思い出が詰まり、共に歩んできたこの家が私は好きだ。できることならあの世に持って行きたいくらいだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、頑丈なはずのわが家であったが、昨年末あたりから台所の床がしなりだし、歩くたびに食器棚が揺れ、年が明けた２月にはとうとう流しの排水パルプから水が漏れだすようになった。缶のふたやプラスティックの容器などで落ちてくる水滴を受け止め、水漏れの箇所を防水テープで被って急場を凌いできたが、うまくいかなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なじみのガス屋さんにリフォームについて相談すると、冒頭の画像のような流しと床暖房を勧められた。私は物持ちがよく、普段はあまり物を買い換えたりしないのであるが、ひとたび買い換えるとなると、どうも歯止めが緩むようだ。はじめは流しを新しくし、床を補強するだけのつもりであったが、結局、天井や壁、台所全体の改装に及んでしまい、とうとう冷蔵庫・食卓・食器棚なども買い換えてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ということで、機能的で清潔な台所が完成した。目下のところ、料理をつくったり、食事をしたり、後片付けや掃除をすることが楽しくてしかたがない。ひとりきりの食事ではあるが、ちっとも寂しく感じない。一度の食事のたびに台所の隅々を眺め、２時間くらい入り浸っている。私はわが家の台所が好きだ。今は明るくきちんと整頓されたこの場所が一番いい。食卓の椅子に座りながら、ぼんやりと「夢のキッチン」とつぶやいてみる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
吉本ばななさんの初期の作品『キッチン』は、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
“私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事をつくる場所であれば私はつらくない。できれば機能的でよく使いこんであるといいと思う。乾いた清潔なふきんが何枚もあって白いタイルがぴかぴか輝く”&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
という書き出しで始まり、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
“夢のキッチン。わたしはいくつもいくつもそれをもつだろう。心の中で、あるいは実際に、あるいは旅先で、ひとりで、大ぜいで、ふたりきりで、わたしの生きるすべての場所で、きっとたくさんもつだろう”&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
という結びで終わる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は、もはやいくつものキッチンを持つことはないかもしれない。しかし今、確かに「夢のキッチン」を手に入れ、その場所にいる。私は予感するのだ。いつか病に伏せ、もはや元気に過ごすことができなくなったとき、きっと台所で過ごした日々を懐かしく想うだろう。そして、そっとつぶやく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「夢のキッチン。…幸せだったなあ」と。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ushidoshimoo0210/47517623.html</link>
			<pubDate>Fri, 17 Apr 2009 20:31:23 +0900</pubDate>
			<category>修理とリフォーム</category>
		</item>
		<item>
			<title>軍事オタクの勘違い</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-84-17/ushidoshimoo0210/folder/1489556/00/47497800/img_0?1239836587&quot; width=&quot;64&quot;&gt;&lt;br /&gt;
本年の２月末で産経新聞のコラム【断】は中止となり、その二番煎じとして、不定期掲載のコラム【断層】が登場した。今のところ執筆者は、呉智英、宮崎哲弥、大月隆寛、潮匡人などの各氏であるが、どうも人気が出ないまま中断しそうな感じがする。そんなことはさて置き、４月１６日の【断層】は、元自衛官で評論家の潮匡人氏の“政府高官のための教科書”という記事を載せていた。以下は潮氏と私（うしどし）の架空の会話である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
潮：　　　　北ミサイル「発射」誤情報に振り回された先々週末。５日付各紙朝刊には「防衛省、情報伝達ミス」（朝日）、「空自担当官が勘違い」（毎日）などの見出しが躍った。なかでも、毎日社説は「『勘違い』ではすまない」と題して「お粗末というだけではすまない」と酷評した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込む可能性はゼロだと思っていたから、私はまったくミサイル騒動には関心がなかった。したがって、誤情報に振り回されることもなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
潮：　　　　だが、弾道ミサイルに関する勘違いを責めるなら、むしろ先の「政府高官発言」だろう。「鉄砲を撃ってきたのを鉄砲で撃っても当たらない。ミサイルを撃ってきたら当たるわけがない」とした発言だ。本当に「当たるわけがない」なら、政府は何のために、自衛隊の迎撃部隊を展開させたのか。税金の無駄遣いではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　ミスをした自衛官が皆からいじめられないことを願う。人間は緊張すると間違いを犯しやすいものだ。間の抜けた政府高官の発言などを今さら怒ってもしかたがないが、潮氏の「本当に当たるわけがないなら、政府は何のために、自衛隊の迎撃部隊を展開させたのか。税金の無駄遣いではないか」という指摘はそのとおりだと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
潮：　　　　先月、鴻池官房副長官は国会で「ピストルの弾同士が当たるのは、なかなか難しい」と答弁した。中曽根外相も「難しいのは事実だ」と述べた。もし本当に「難しい」のなら、巨額な国費を投入して防衛網を整備するのは国家的な背任に当たる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　ミサイルをミサイルで迎撃することは困難だが、迎撃網を整備することが国防上どうしても必要だ、と政府が判断したとすれば、べつに背任にはならないと思う。税金がもったいないとは感じるけれど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
潮：　　　　彼らは最新の迎撃技術をまるで理解していない。鉄砲に例えるなど、恥ずかしい「勘違い」である。それこそ「お粗末というだけではすまない」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　私は別に恥ずかしく感じないけれど。ミサイルをミサイルで撃ち落すことと、ピストルの弾をピストルの弾で撃ち落すことは原理的に同じと思うけれどなあ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
潮：　　　　迎撃ミサイル部隊とミサイル防衛の統合任務部隊指揮官の配置任務を歴任し、実際にテポドンの航跡を追尾した唯一の専門家は田母神俊男前空幕長である。果たして『自衛隊はどこまで強いのか』（講談社＋α新書）。そう題した新刊の著者こそ田母神氏。政府高官には必読の教科書といえよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　あなたは田母神氏の何なのさ。田母神氏が実施に発射されたテポドンを撃ち落したわけでもないのだから、そこまでヨイショと持ち上げることはないと思う。今どきこれほどのゴマすり文章は珍しい。読んでいるこちらが恥ずかしい。あっそうか。『自衛隊はどこまで強いか』は、潮氏も著者なのか。それなら納得。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
潮：　　　　ど素人が専門家を統制しながら、北を利する暴言を吐く。この国の「文民」は大きな「勘違い」の上に居直っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　潮氏は、政治家を軍事のど素人と思っているわけだ。それなら、北を利するどころか、アメリカをはじめとする国際社会から孤立するかもしれない核武装論を吐く田母神氏（潮氏もたぶんそうだろう）こそ政治のど素人の暴言ともいえるのじゃないか。潮氏は「文民統制」を勘違いし、戦闘と戦争の区別もつかないでいる。戦争は、軍事オタクが考えるほど生易しいものではないと思う。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ushidoshimoo0210/47497800.html</link>
			<pubDate>Thu, 16 Apr 2009 08:03:07 +0900</pubDate>
			<category>アジア情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>感情的自殺方法論</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-84-17/ushidoshimoo0210/folder/1561879/77/47440577/img_0?1239485519&quot; width=&quot;64&quot;&gt;&lt;br /&gt;
警察庁のまとめでは、わが国の平成２０年中の自殺者は３万２２４９人であった。対前年比で２・６％減少したとはいえ、これで平成１０年以来、１１年連続で３万人を超えたことになる。本年度の自殺者は急速な景気の悪化にともない、おそらくこの数字を上回ることは間違いないと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
男女別では男性が対前年比２・８％減の２万２８３１人、女性が前年比２・０％減の９４１８人。全体の約７１％を男性が占めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１０００人以上の自殺者が発見された都道府県は、東京が最多で２９４１人。以下、大阪（２１２８人）、神奈川（１８１８人）、北海道（１７２６人）、埼玉（１６５３人）、愛知（１５５５人）、千葉（１３４２人）、福岡（１３１１人）、兵庫（１２９８人）とつづく。最も少なかったのは、徳島の２０２人。以下、鳥取（２１２人）、佐賀（２１４人）である。月別では１０月が３０９２人で最多。以下、３月が２９３９人、４月が２８５４人となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警察庁は自殺に関する詳しい統計を毎年６月に発表しているが、自殺防止対策のために大まかな実数を４月に前倒して発表したらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて…、産経新聞のコラム【断層】に、民俗学者で札幌国際大学教授の大月隆寛氏が、“再浮上する「近代」”という記事を寄稿していた。以下は、大月氏と私（うしどし）の架空の会話である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大月：　　　自殺大国といわれるわがニッポン。福井の東尋坊でも保護される人が増えているとか。そんな中、なぜかこのところ身投げや飛び込みがにわかに目につくような気が。報道の濃淡などの理由もあるでしょうが、都内でもよく電車や地下鉄が止まるのはみな何となくご存じでしょうし、鉄道関連の自殺はいや応なく身近な感じがする分、やはり気になります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　自殺したことがないから当てずっぽうのようなことしか話せないけれど、自殺をするのなら、普通は、容易で確実に、しかもできるだけ苦しまない方法を選ぶと思う。列車への飛び込みはその条件を満たしているのじゃないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大月：　　　少し前、問題になった硫化水素を発生させる自殺方法。おかげで関連の薬品が生産中止になったりしましたが、あれは比較的新しいやり方で、それに比べると、身投げやこの飛び込みはある意味古典、伝統的とさえ言える手口です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　警察庁は毎年自殺白書のような概要資料を発表している。自殺の動機などは調査されているが、どうも方法についてはまとめていないようだ。自殺の方法に目をつけるとはさすが民俗学者だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大月：　　　それにしても、どうしていま、あえて鉄道なのか。思えば、同じ乗り物でも自動車を使った自殺は日本じゃ少数派で、使うにしても排ガスを引き込んだり練炭をたいたり、要は「個室」として使うのがせいぜい。ヤケクソの暴走の果てに激突、ないしは自爆、といった乗り物本来の派手なパターンはまずない。このへん、何か根深い理由があるような気もします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　自殺の方法については、流行のようなものがあると思うし、時代の影響を受けていることは確かだろう。大月氏の言うように自動車を激突させての自殺はわが国では少ないような気がするけれど、自殺者は、手軽で確実で苦しまない方法を好むと思う。自殺の方法がいくらでもある日本では、わざわざ自動車を走らせて激突したり、派手な死に方をする必要はないのだろう。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
大月：　　　ともあれ、速度と重量と質感、ついでに轟音（ごうおん）などもひっくるめて、「近代」を最も身近に、具体的に体現してくれるメディアが鉄道でした。ポストモダンだバブルだとうかれているうち、「近代」はしっかりひとめぐりして再び身近に浮上しているような面が、もしかしたらあるのかも。とすれば、タヌキが夜中に汽笛の物まねしながら走っていた、てな、開化期ならではの都市伝説の現代版も、すでにどこかでそっとささやかれているのかもしれません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　自動車だって近代の産物だぜ。でも、大月氏の言いたいことは少しわかる気がする。歴史は単純に後戻りすることはないだろうが、後戻りさせたいと願う雰囲気が、この国の為政者などに薄っすらと見られるものね。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ushidoshimoo0210/47440577.html</link>
			<pubDate>Sun, 12 Apr 2009 06:31:59 +0900</pubDate>
			<category>事件</category>
		</item>
		<item>
			<title>死刑の基準</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-84-17/ushidoshimoo0210/folder/1530224/40/47389340/img_0?1239164654&quot; width=&quot;240&quot;&gt;&lt;br /&gt;
４月２日の産経新聞のコラム【断層】は、評論家の宮崎哲弥氏の“最高裁は「死刑の基準」を出し直せ”という記事を掲載していた。以下は、宮崎氏と私（うしどし）の架空の会話である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮崎：　　　３人で共謀して１人を殺害した事件の判決で、もし犯人全員に死刑判決が下されたら、これは不合理か？　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　しばらく前に話題になった「闇サイト殺人事件」の判決を踏まえた問いかけだな。死刑制度の是非はともかくとして、わが国の刑法では殺した人数に関係なく人殺しを死刑に処することは合法的だ。不合理かと問われれば、必ずしも不合理ではないと答える。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
宮崎：　　　被害者は１人なのに刑罰で３人の命が奪われることに、どうも納得ができないと考える向きは、命の価値の意味を再考すべきだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　私は納得できるが、それとは関係なく命の価値の意味を考えてみたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮崎：　　　そのように算術的に足したり引いたり、天秤にかけて比較したりすることはできないのが、人の命の重みだからである。仮に、命の重みの算術を認めるのならば、１００人を救うために１０人が殺されることも是なり、としなければならないだろう。これは全体主義の発想に通じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　確かに人の命を算術的に足したり引いたり、天秤にかけて比較することは道義的にはできないと思う。しかし私（たち）は、計量できない命の価値を数字で表し、比較している。極端な仮の話を持ち出されると困るが、１００人を救うために１０人を犠牲にすることも時としてあり得るのではないか。そう考えることが必ずしも全体主義の発想に通じるとは、私には思えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮崎：　　　闇サイト殺人事件の一審判決について、朝日新聞社説は「１人を殺害した犯行について、２人を死刑、自首したもう１人を無期懲役にした厳しさ」を殊更に強調した（３月１９日付朝刊）。この論説は命の算術の罠に陥りかかっている。死刑を適用すべきか否かを決めるのは命の重みではない。悪の重みである。単純に死者の数が問題なのではなく、悪の度合いがどれほどだったかが問題なのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　朝日新聞社説の筆者はおそらく死刑判決は軽々しく下すべきではない、あるいは死刑制度そのものに反対の意見を持っているのかもしれない。そのことの是非はともかくとして、宮崎氏は「悪の重み」こそが死刑判決の基準であると言いたいのであろうが、死者の数は「悪の重み」を表わしているのではないか。１人殺すより２人殺すほうが悪いに決まっているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮崎：　　　然るに最高裁が示した死刑判決の基準のガイドライン、いわゆる「永山基準」に被害者の数が考慮すべき要素として挙げられていたため、まるで単純な１人殺では死刑が適用されないかのような、誤った「相場観」が広がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮崎：　　　しかも最近の一審では、乳児２人を含む５人殺の事件（中津川一家殺人事件）で、無期懲役の判決が出ている。人数の問題としても混乱の極みである。裁判員制度の開始を目前に、この職業裁判官の揺らぎは何か。最高裁は一般の裁判員の動揺を防ぐためにも、死刑判断の基準を出し直すべきだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　「永山基準」が広く採用されてきたことは私も知っているし、時として疑問に思うこともある。残虐な方法で人を殺しておいて、反省しているからとか自首したからといった理由で刑罰を軽減することは支持できない。しかし裁判は、「判例」に影響を受けるとはいえ、個々の事件の審理については（法律に則るという前提であるが）、担当の裁判官の裁量に任されている。たとえ最高裁といえども、事前に下級裁判所の判決に圧力をかけることは司法の独立を危うくするのではないか。もし最高裁が死刑の基準を考え直そうとするのならば、上告された具体的な事件に対して新しい見解の判決を出せばいい。たぶん宮崎氏はそのような趣旨で記事を書いたつもりだろうが、私のような読解力の足りない読者に誤解を与えやすい表現だと思う。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ushidoshimoo0210/47389340.html</link>
			<pubDate>Wed, 08 Apr 2009 13:24:14 +0900</pubDate>
			<category>事件</category>
		</item>
		<item>
			<title>国歌の強制には反対だ。</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-84-17/ushidoshimoo0210/folder/1497685/10/47371210/img_0?1239056176&quot; width=&quot;64&quot;&gt;&lt;br /&gt;
立命館大教授の加地伸行氏が【古典個展】という標題のエッセイを連載している。氏は中国哲学とくに儒教研究でそれなりに名の通った学者さんであるが、専門分野以外でも単純明快な蛮勇発言で知られている（そうだ）。３月２９日の【古典個展】は“教員は幼稚園に学べ”というテーマであった。以下は、加地氏と私（うしどし）の架空の会話である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加地：　　　幼稚園児の孫の卒園式に出席した。ジジ馬鹿丸出しである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　別に馬鹿なことではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加地：　　　式典が進行し、ハイライトの在園児送辞、卒園児答辞となる。もういけません。眼頭が熱くなってきました。そして終盤に、園児全員の斉唱がはじまった。スクリーンにさまざまな情景が次々と映るなか、「思い出のアルバム」の歌声が流れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　年をとると涙もろくなるものだ。私も、テレビのドラマでよく涙ぐむようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加地：　　　この唱歌、私は大好きである。「いつのことだか、思いだしてごらん。あんなこと、こんなこと、あったでしょう」にはじまり、「春のことです…夏のことです…」と歌い継ぎ、最後に心を揺さぶる名句が現れる。「もうすぐ、みんなは１年生」－涙があふれた。彼らの希望に輝く門出を祝わずにおれようか。幼稚園には教育の原点がある。いや、人生の原点があると言っていい。この子たちは、これから人生を自分の力で切り開いてゆくことになるが、それを大きく受け止めて協力するのが、われわれ大人の役目である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　幼稚園に人間の原点があるなんて大げさなことを言わないで、可愛い幼稚園児の幸福を黙って願ってあげればいい。大人は時として彼らを見守り、時として彼らの前に立ちふさがるだけだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加地：　　　全国の新小学校１年生の中から、天下の大秀才が、他者の幸福のために生きる逸材が、高い志を抱いた教養人が登場することであろう。頼もしいかぎりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　そうかもしれないし、そうでないかもしれない。彼らの中から天下の大悪人や箸にも棒にも掛からないろくでなしも、また出現するだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加地：　　　それに比べて、教員にはお粗末なのがいる。例えば大阪の門真市立第三中学校の教員ども。昨年の同校卒業式において、国旗に対して起立表敬をせず、国歌も唱和しなかった。理由は自分の良心に反するからだと。彼らの扇動があったのだろう。生徒も起立しなかった。１人をのぞいて。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　一人を除いて生徒の誰もが国旗に対して起立をしなかったということのほうが驚きである。この中学校の生徒はそれほど先生の言うことに従順だったとは…。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加地：　　　彼らの愚劣な行為の中で、たった１人で起立した生徒はお美事（みごと）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　一人で起立した生徒は勇気があると思う。だが、起立しなかった生徒たちは果たして愚劣なのかな？　先生の指導に従った素直ないい子かもしれないぞ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加地：　　　そして今年、なんと教員も生徒も全員が起立したと伝えられている。おかしいではないか。去年、起立しなかった教員は処分を受けたとのことであるが、それが怖くて今年は起立したのか。己の良心に反するから起立しなかったと言うのであるのならば、今年も起立すべきではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　ちっともおかしくない。彼らは卒業式の会場にいなかったと思う。処分を受けた非起立の教員たちは転勤させられたかもしれないし、通常は同じ教師が連続して３年生の担任をすることなどまずあり得ない。３年の担任でないならば、会場警備や保護者の案内その他の業務が割り当てられ、卒業式に出席している可能性は少ない。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加地：　　　なぜなら、良心は法律よりも上だからである。たとい処分を何度受けようとも、信念を持って良心に従って生きるべきである。ところが処分が怖くて起立したと言うのならば、その良心など口先だけの吹けば飛ぶような代物である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　良心は法律よりも上だというのなら、良心を法律で規制することは間違っていることになる。加地氏はまず非起立の教員を処分した教育委員会を批判すべきだ。私は国旗に対して非起立を指導した教師の行為を擁護しない。国旗に対して起立するかしないかが良心の問題であるというのなら、生徒に非起立を指導するのはおかしい。国旗に対して起立するかどうかは、良心の問題なのかそれともマナーの問題なのかは意見が分かれるところだろうが、いずれにせよ、良心の領域を法で規制することには賛成できない。ましてや、国歌の唱和を強制することはなおさらである。あなたは気まま勝手に振舞って今までやってこれた偉い学者だから“処分を何度受けようとも、信念を持って良心に従って生きるべきである”と簡単に言うが、ただの公務員にとって処分は怖いものだよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加地：　　　大学の教員にもおかしなのがいる。例えば浅井基文なる者が毎日新聞３月１０日付「新聞時評」にこう書いている。「特に毎日、朝日は、他の全国紙に比べ公正性、中立性が高いとみられている」と。思わず嗤（わら）ってしまった。毎日、朝日といえば、左翼的であることは周知の事実。それを「公正性、中立性が高い」とは、見識のかけらもない。こういうのをチンドン屋と言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　思想の視座というか視点によって、何が公正で中立かは異なってくると思う。朝日が左翼的だと思うのはあなたの視点がかなり右翼的だからかもしれないし、別の人は朝日はぬるま湯的中立に思えるかもしれない。公正性や中立性という言葉を持ち出すこと自体、ある種の偏りがあるともいえるのではないか。それから蛇足だが、笑うべき対象を「チンドン屋」と表現するのは感心しないな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
加地：　　　学校の種類を問わず、この種（て）の教員はいくらでもいる。教員として劣化しているわけである。彼らは教育を職業とする以上、研修させる必要がある。では、何を研修させればよいかといえば、教育のこころ、教育の原点であろう。人の子を教えるのなら、人間や社会や世界をまともに見ることができるように研修させねばなるまい。その研修の場としては幼稚園が最善。そこには教育のこころや原点すなわち教育の根本がある。『論語』学而（がくじ）篇に曰（いわ）く「本（もと）立（た）ちて道（みち）生（しょう）ず」と。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　研修で「こころ」が身につくのかね。孔子が嗤っているぞ。最後に加地氏に言っておこう。釈迦に説法だろうが、思想・良心の問題のことだ。道徳は強制であり、倫理（良心）は自由である。道徳は他律であり、倫理は自律である。国旗に対して起立をし、国家を唱和することが良心の問題だというのなら、いかなる人間・組織も起立・非起立、唱和・非唱和を強制してはならないと思う。それらは単に道徳（マナー）の問題というのなら話が別であるが…。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ushidoshimoo0210/47371210.html</link>
			<pubDate>Tue, 07 Apr 2009 07:16:16 +0900</pubDate>
			<category>中学校</category>
		</item>
		<item>
			<title>銀行でのトラブル</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-84-17/ushidoshimoo0210/folder/1489763/97/47123597/img_0?1237489496&quot; width=&quot;64&quot;&gt;&lt;br /&gt;
とある日の夕方の出来事である。生活費を引き出すために行きつけの銀行に出かけた。ＡＴＭコーナーには誰もいなかったので「ラッキー」と喜びながら５台並んでいる一番右端の機械の前に立つと、誰かが忘れていったキャッシュカードが目に入った。後で行員さんに届けようと思い、とりあえずそのカードをポッケットに入れて、まず自分の預金を引き出していたら、３０歳くらいのいくぶん派手な格好をした女性があわてて駆け込んで来た。以下は私（うしどし）と女性たちとのそのときの会話である。実際には地方語（方言）丸出しのいささか品のない言葉が飛び交っていたが----。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女：　　　　ここにカードを忘れてなかった？&lt;br /&gt;
うしどし：　忘れていたよ（心の声…チェッ、いきなりタメ口かよ）。&lt;br /&gt;
女：　　　　それ私のよ。返して。&lt;br /&gt;
うしどし：　いきなり私のって言われても、簡単に渡すわけにはいかない。&lt;br /&gt;
女：　　　　なぜよ？&lt;br /&gt;
うしどし：　あなたが本当にカードの持ち主かどうかわからないじゃないか。&lt;br /&gt;
女：　　　　私はその機械でたった今お金を引き出したところなの。そのときカードを忘れたのよ。訳の　　　　　　わからないことを言ってないで早く返して。&lt;br /&gt;
うしどし：　訳がわからないのはそっちだよ。カードは渡さない。行員さんに渡す。&lt;br /&gt;
女：　　　　信じられない。連れを呼んでくるわ（彼女は憤然として銀行を出て行った）。&lt;br /&gt;
うしどし：　どうぞ（心の声…信じられないのはこちらの方だ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不愉快な気分でＡＴＭの呼び出しボタンを押し、出てきた行員にカードを手渡しながら事情を説明していると、先ほどの女性が強面の男性を連れて再び現れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女：　　　　こいつよ。　&lt;br /&gt;
男：　　　　お前、なんでカードを返さないのだ？&lt;br /&gt;
うしどし：　カードの持ち主かどうかわからないのに簡単に渡せるわけがないだろう。&lt;br /&gt;
男：　　　　忘れた本人が返せと言っているのだ。嫌がらせをしているのか？&lt;br /&gt;
うしどし：　嫌がらせも何もないだろう。カードは行員さんに渡した。後は勝手にしろ。&lt;br /&gt;
男：　　　　……。&lt;br /&gt;
行員：　　　事情をお聞きした上でカードをお渡しいたしますので、どうぞ中にお入りください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
行員に促された２人は私を睨みつけながら通用口の奥に消えていった。別に感謝しろとは言わないが、常識知らずの恩知らずの無礼者め（ケッ）。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ushidoshimoo0210/47123597.html</link>
			<pubDate>Fri, 20 Mar 2009 04:04:56 +0900</pubDate>
			<category>その他災害</category>
		</item>
		<item>
			<title>国防の素人の素朴な質問</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-84-17/ushidoshimoo0210/folder/1530224/35/47016735/img_0?1236801296&quot; width=&quot;61&quot;&gt;&lt;br /&gt;
産経新聞の【正論】に帝塚山大学名誉教授・伊原吉之助氏の“日本生存のための自助努力”という文章が掲載されていた。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
以下は、伊原氏と私（うしどし）の架空の会話である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊原：　　　昨年１２月２７日付本紙の「緯度経度」で、「発展には軍事力が必要」と題して、中国総局の伊藤正記者が中共軍長老、遅浩田の「戦争が正にわれわれに向かってやってくる」という講演の論旨を紹介した。その後、ネットで遅浩田講演の邦訳が２種類流れた。私は北京語の原文を参照して邦訳に手を加え、「２１世紀日亜協会」のホームページ「コラム」にある私の「読書室」に掲載した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　「２１世紀日亜協会」？　えらく大げさな名前だな。そんな協会のホームページなど見たことがない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊原：　　　伊藤記者が書いているように、２００５年４月に中共中央軍事委員会拡大会議で行われた遅浩田講演は、その後日本にも伝わったが、荒唐無稽（むけい）と無視されて現在に至っている。それが昨年１２月３日、『解放軍報』が遅浩田の回想記を掲載した後、シナ（中国）のネットにこの旧講演が流れ、削除されぬままなっているので、さては「公認」の論かと注目された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　どこの国でもそうだと思うが、軍の長老というのは大言壮語したがるものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊原：　　　その過激論とは－。シナはアヘン戦争以来、過去１６０年間、発展を列強から抑えられてきた。発展は反撃力なしにはあり得ない。だから毛沢東以来、われわれは営々と軍備を築いてきた。今やわが国は、台湾・南沙諸島・尖閣諸島の「３島」を奪取する道理も力も備えた。これを妨害する者（米国、日本）には反撃する。戦争は、われわれが欲せずとも向こうからやってくる。われわれは日本を殲滅（せんめつ）し、米国の背骨をへし折らぬと発展できない。過去２０年の平和発展は例外的時期である。シナ脅威論が高まってきた現在、平和発展の時代は終わった。米日は今後、本気で中国の発展を抑えにかかるはずだから、中国は戦争に備えよ－。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　「シナ」ね。それはともかくとして、この軍の長老が日本政府に対して発言したというのなら少々問題があるのだろうけれど、自国の軍事委員会での講演なんだろう？　そんなもの田母神さんの発言と同じことさ。気にすることはないと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊原：　　　共産主義は、１９世紀のロシアのニヒリズム・テロリズムの系譜に連なり、必要に応じてあらゆる縛りを無視して自分らの構想を実現しようとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　共産主義じゃなくてロシア革命と表現した方がよさそうだ。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊原：　　　人民は搾取の対象でしかないシナの伝統的人民観も受け継いでいる。かつてレーニンは「資本家は甘い。資本家をつるす縄でも喜んで売る」とあざ笑ったものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　そうですかい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊原：　　　後の国防部長、彭徳懐も手の内を見せた。第二次大戦後、内戦が始まる前の上海で、苗剣秋（張学良の参謀・西安事変を演出）にこう語った。「例えば、このコップだが、君ら非共産人士は割らずに手に入れようとする。われわれ共産人士は、相手に渡るようなら、たたき割る覚悟で奪い合う。結局、コップは無傷でわれわれの手に入る。少なくとも、君らの手には絶対に入らない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　戦争になれば、共産主義者でなくても軍人はその程度の覚悟は持つのじゃないかな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊原：　　　聞くところによると、中共の軍人は接触する米国軍人に始終、「核戦争するか」と脅すらしい。自由民主国は核の恫喝（どうかつ）に弱いとなめているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　「聞くところによると…」か。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊原：　　　この種の話は前からあった。１９９５年１０月、熊光楷副総参謀長が、訪中したチャス・フリーマン前国防次官補にいわく、「米国は台北よりロサンゼルスを心配しなさい」。２００５年７月１４日に国防大学高級幹部、朱成虎少将が香港の外国人記者団にいわく、「われわれは西安以東の全都市の破壊を覚悟しているが、米国も当然、西海岸の都市１００か２００かそれ以上を破壊される覚悟が要りますな」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　そりゃあ軍の幹部の立場とすれば、強がるしかないだろう。伊原さんはせっかく私などの素人が知らない話を持ち出したのだから、アメリカ側の軍人たちの発言も紹介してくれればよかったのに…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊原：　　　米国が中共軍人から核威嚇で脅されているのなら、核を持たぬ日本はもっと脅されているはずなのに、その緊張感すらも伝わってこないのは、日本は一人前と認められていないからか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　アメリカが中国の核脅威に脅かされているとは知らなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊原：　　　シナを「普通の国」と信ずる人が多いわが国では、中共政権が日本人皆殺しを本気で考えていると思う人が少ないが、いまのように無防備のままでいいのか。退役ながら軍部の指導的人物が「日本殲滅」を公言する国の隣国として、日本はどう対応すべきか。日本の周囲は核武装国ばかりである。米国、ロシア、シナに、北朝鮮もそうだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　井原氏は、天が落ちてこないか心配で夜も眠れなくなった杞の住人のようだ。そんなこと心配していたら体に悪いぞ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊原：　　　米国がシナ軍人から核威嚇を受けているのなら、日本は米国を説得して核武装に踏み切るほかない。核抑止力は核保有あるのみだからだ。まず、米国から核を持ち込み、英国式に核発射ボタンを米国と共有する。そして自前の核を急開発する。核シェルターも各都市に造る。断乎日本を守るという意思表明が要るのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　アメリカが日本の核武装を容認するとは思えないし、伊原氏の主張を実現するためには、どれだけのお金がかかるか具体的に数字を挙げてほしいなあ。自民党の幹部の言い草じゃないが、抽象的な言葉だけじゃ他人を説得することはできない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊原：　　　もう一つは、シナの周辺国と友好を深めること。日米同盟を軸として、海洋アジア・内陸アジア・イスラム文化圏など。慈悲と美の文明を擁しつつ、それを侵す力を排除できる実力を備えることだ。自分で自分を守らぬ限り、亡（ほろ）ぶほかないのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　日本が本格的に核武装すれば、アジア諸国との友好関係はかえって損なわれるような気がする。要するに中国を圧倒する軍事力を持てということだろうが、でもさあ、そのためにはどれだけの時間と費用が必要なの？　「大砲かバターか」と選択を迫られたら、私はバターを選ぶよ。「自分で自分を守らぬ限り、亡（ほろ）ぶほかないのである」というけれど、そんなことをいってた大日本帝国は滅んだじゃないか。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
伊原：　　　古人いわく、「天ハ自ラ助クル者ヲ助ク」。日本政府は日本国の生存をどう考え、どんな対策を打ち出しているのか。マスメディアは、国民を代表してそれを国会議員と政府に問い質（ただ）して頂きたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うしどし：　「天ハ自ラ助クル者ヲ助ク」という言葉を引用するのなら、あなたもマスコミ任せにしないで、自ら国会議員や政府に問い質したらいい。日本の生存というが、そもそも守るべきものは何か。国家の面子？　国民の命？</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ushidoshimoo0210/47016735.html</link>
			<pubDate>Thu, 12 Mar 2009 04:54:56 +0900</pubDate>
			<category>その他国際情勢</category>
		</item>
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