うしまるの新着情報

兵庫県太子町、国道2号線沿いにある寝具と結納の専門店です。火曜日定休日。駐車場15台。お気軽にお立ち寄りください。

全体表示

[ リスト ]

龍野城主赤松政秀について思うこと

イメージ 11月5日に始まったNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」ですが、主人公の黒田官兵衛が姫路の出身ということで地元では大いに盛り上がっています。
 
豊臣秀吉の軍師としての黒田官兵衛は私のような歴史好きにとりましては興味深いキャラクターであり、「播磨灘物語」をはじめ幾多もの本を読みましたが、今回はその敵役として描かれている赤松政秀という人物に非常に興味がわき、また昨今の天空の城のブームから有名になった但馬竹田城主であり、関ケ原のあと、徳川家康により切腹を命じられた政秀の次男の赤松広英にも興味がわき、いろいろと調べてみたくなりました。
イメージ 2
 
城下町播州龍野というと5万3千石の脇坂淡路守というイメージが強いですが、
古来よりの播磨国は南北朝の頃より赤松氏が守護職を務め、赤松満祐の時に将軍足利義教を殺して(嘉吉の乱)追討をうけ、一時は衰退するも再起して置塩城を居城としていましたが、その庶流として揖保川の西岸にある鶏籠山頂に築かれたのが龍野城で初代が村秀、二代目が政秀であり、本家の赤松晴政の娘を妻としていました。晴政と息子の義祐との間に争いが起きた時に晴政の味方をして龍野城に招き入れ、義祐と敵対したようで政秀の方が本家よりも勢力を持っていたようです。
義祐についていたのがかつては赤松家の執事であった浦上氏、そして官兵衛の黒田家が属していた小寺正職であったようです。
黒田官兵衛の祖父の黒田重隆は家伝の目薬を広峯神社の御師のお札と一緒に売ってもらうことで利益を得、それを元手にして低利で貸し付けることでさらに利を得、初めは龍野赤松氏の家臣だったようですが、その後小寺氏に仕官し、次の職隆は家老として姫路城代にまだなったとあります。
ドラマの第一回では、職隆が赤松政秀からヘッドハンティングされますが、頑として受け付けません。職隆は、「職」の字を主君からいただいており、小寺性もいただいていることから、かなり繋がりは深かったのではと推察いたします。
イメージ 3ドラマでは、敵役であるからか、なにか悪役っぽい感じで描かれているような気がしますが、私は、この赤松政秀という人物、龍野の殿様という身びいきもあるかもしれませんが、義理堅い、人望ある人物ではないかと思います。
JR網干駅の北に朝日山という山がありますが、その山の頂上に立つお寺の境内にある5体の石仏は赤松政秀の寄進によるものと案内板に書かれてありましたし、太子町斑鳩寺、いわゆるお太子さん(おたいっさん)の三重塔の再建に尽力したのも彼だとのこと、すごく信仰心の篤い人だったのではと推察します。
歴史に「たられば」は禁物ですが、政秀の龍野赤松家が本家であったなら、官兵衛の黒田家が赤松政秀の家臣であったなら、、、
イメージ 4青山の戦いもなく、そこそこの勢力のもとに宇喜多家クラスの地位は保ち得たのではないかと思うわけであります。
そして、悲運の将といわれるその次男の赤松広英ですが、秀吉の軍門に下って一旦龍野城は明け渡しますが、能力はあったようでのちに手柄を立てて但馬竹田城主となり、あの見事な石垣の城を築き、善政を施します。
ですが、関ヶ原の時に西軍に属して細川幽斎の丹後田辺城を攻めます。
当時の情勢を考えると仕方のないところがあったのですが、関ヶ原の戦いで大勢が決してのち、名誉挽回のため亀井何某の誘いを受け、鳥取城を攻撃、落城させるのですが、この時に城下を焼きはtらったことを徳川家康から咎められ、亀井何某からその罪をなすりつけられ、切腹を命じられ、39歳という働き盛りでこの世を去ります。学問を好み、儒学者藤原惺窩とは友人で、行政手腕に優れた人だっただけに惜しまれます。
ただ、その罪というのはこじつけで西軍に属したということが原因だったという気がしてなりません。
今回のドラマのおかげでまだまだ地元の歴史を知らないととがわかりました。
歴史というのは奥が深いですね。
黒田官兵衛のことももっと知りたいし、
赤松氏のこともっと調べてみたくなりました。

閉じる コメント(4)

顔アイコン

赤松広英は藤原惺窩が最も敬重した人物で木下長嘯子とも親しく
当時の第1流の人物。韓国の「カンハン」(光州の近くに内山書院あり)を庇護した。その学識は数万巻におよぶ歴代赤松氏の蔵書を元にしている。当時の学芸については今の学者も無知である。少なくとも
秀吉の軍師のレベルとは質が違う。

2014/8/23(土) 午後 8:53 [ takeda ]

顔アイコン

ついでながら藤原惺窩は龍野近くに領地あり青年時代に赤松氏と交流を始める。木下長嘯子は秀吉の甥ではなく若狭武田元明の出自で母は京極氏(秀吉の側室)ではなく三淵晴員の娘(三淵氏からは細川幽斎もでている)。赤松広英については事跡、思想(東大の故阿倍吉雄教授の研究書が基本)などはさておいて、本質は惺窩の赤松広英を悼む30韻に尽くされている。

2014/8/23(土) 午後 9:18 [ takeda ]

顔アイコン

takedaさん、ありがとうございます。奥が深いですね。歴史が好きなのでもっと勉強してみようと思います。

2014/8/30(土) 午前 11:15 [ うーやん ]

顔アイコン

赤松政秀は、私のご先祖様にあたるかたです。
この記事勉強になりました。ありがとうございます。

2018/10/18(木) 午前 0:46 [ akamatu ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事