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兵庫県太子町、国道2号線沿いにある寝具と結納の専門店です。火曜日定休日。駐車場15台。お気軽にお立ち寄りください。

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我が故郷、龍野

我が故郷、龍野

先日の朝、ちょっと早く家を出たので龍野城、紅葉谷、聚遠亭を廻ってきました。
紅葉谷はまだでしたが、聚遠亭の池のところの紅葉はきれいに色づいて、、、
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いつも、きれいに掃除されています。遠来の方に対するおもてなしですね。
こういう方がいてくださるからこそ文化財が維持できるということ、
それを強く思います。
龍野の街は文化財が多くありますが、案外と地元では知られてないことが多く、
遠くの人の方がその良さを感じてらっしゃるということも。。。
今でこそ、観光マップを持った観光客の方が来られるようになりましたが、昭和40年代には斜陽を絵にかいたような街でした。
かつては、脇坂5万3千石の城下町として栄え、明治、大正時代には芸者の数が宝塚に次いで県下第2位、姫路からも人力車で夜な夜な遊びに来ていた。
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私の幼少の頃の昭和30年代でさえ、大相撲の全力士が野見宿祢参拝を兼ねて春巡業に、、、大鵬、柏戸、若乃花、栃錦、朝潮といった横綱が聚遠亭下の相撲場で相撲を取っていましたし、当時の下川原商店街の夜店はそれはそれはすごいにぎやかでした。
それが、昭和40年前後のモータリゼーションで一変しました。
市役所をはじめ官公庁がすべて川の東へ移転、ジャスコ、ダイエーといった商業施設が川東にでき、川西の旧城下町は火が消えたようになり、そこで営業していた店も次々と川東へ移転しました。
龍野城跡にあった龍野中学校も現在地に移転、城跡は一時はコールタール置き場になっていた時期もあり、荒れ果てていました。
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街の復活は、私が高校を卒業して龍野をはなれたあとに静かに進行していました。

帰省して、当時市会議員だった友達のおとうさんと話す機会があった時、姫路みたいに龍野にもお城ができないかと言った記憶がありますが、
その当時はほんとうにできるとは思ってもみませんでしたが、
徐々に現実になっていきました。

まずは、道幅の狭い城下町の道を通らずに赤とんぼ荘へ行ける道路ができ、昭和の築城で龍野城ができ、警察の広大な跡地が観光駐車場になりました。
播磨の小京都として全国に紹介され始め、観光客も徐々に増えてきました。
その価値を見出したのは、地元の人ではなく、どちらかといえば都会の方でした。

古い町屋を利用した店が増え、街並みも整備されきれいになってきました。
2年前から龍野に寝泊りするようになって思ったのは姫新線の利便性が数倍もよくなったということ、かつてのようなすれ違いの待ち合わせもなくなり速く、
きれいになり、本数も増え、利用客も多くなり、アクセスもよくなりました。
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イベントも数多くおこなわれるようになり、
観光客は凄い数に、、、
宿泊施設や夜の店もできてきて、、、
街は変貌しようとしています。
ただ私が思うのは、龍野の街の良さは外から見ないとわからないということです。
私自身、龍野に住んでいる時はわかりませんでした。
良さをわかって活性化を推進しているのは外から来た方が主になっておられます。
時代は変わりました。
龍野から出た人が外から街を見てその良さに気付いて戻ってきたときこそ、
この街がさらによくなると思うのですが。。。

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