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父との想い出

今日は、今年2月に亡くなった父との想い出を書いてみたいと思います。
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約3年前の11月、水曜日だったと思います。突然、母からの電話、ソファから落ちたんや、骨が折れとるかも、。。
救急車で病院へ行った結果は左大腿骨骨折、即入院し、それから3ヶ月入院、その間父が一人になるということで晩に私が泊まりに行くことになりました。
それまでから、よく喧嘩して決して仲良い親子ではなく、苦痛でした。
母は、3ヶ月後に一度退院しましたが、無理して歩いたり、自分でリハビリしたりで今度は折れてない方の股関節を骨折、再度入院の憂き目となりました。
その頃から、徐々に父が弱ってきました。

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そんなとき、ある先輩から言われました。わしも父親とは仲の良い親子じゃなかった。できる限りの介護はしたが、亡くなった今、なんか寂しい。悔いの残らないように精一杯介護せいよ、と、。、

その話を聞いて一月ちょっとしてその方は急に亡くなられました。
ですから、この言葉が遺言になってしまいました。
母は、再退院後は今度は慣れと用心で回復してきました。
1回目の退院時が要支援2、再退院後は要介護2、それが1年後には要支援2までよくなりましたが、反比例して父はだんだん外へも出なくなり、米寿の声を聞くようになってからは足が弱り、よくこけるようになり、立ち上がるのさえ苦痛に感じるようになりました。
これはヤバイと思いました。
今度の正月に米寿の祝いをするが、もしものことを考えてベッドと敷きふとん、まくらを御祝いした。
そして、正月2日に母と二人の子、四人の孫、二人の曾孫、義弟と娘婿も顔を揃え、御祝いをしました。

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その翌月、脳へ酸素が行かず、苦しんでいるとディサービスから連絡をもらい、医者へ連れていったが、そこでは異常なし、そういうことが2〜3回ありました。風呂で湯を落として座り込んでいたり、とにかく体力が目に見えて落ちてきました。そして2月8日ディサービスより再度、息苦しくて横になっている、病院へ連れていってあげてと、。。
またかと思いましたが、夕方近くの内科で診察してもらいましたが異常なし。大きな病院への紹介状をもらって、。、
ですがその一時間後、母との食事を終えたあと意識を失い、それでも救急病院で息を吹き返し、四日間頑張ってくれましたが、意識は戻ることなく、帰らぬ人となりました。享年89。合掌
亡くなる一月ちょっと、一生分ともいえるくらい話をしました。


オマエを見てるのがつらい、オマエの役に立ちたい、と、。。、
私のふとんに夜中に入って来たこともありましたが、すぐにトイレに行きたくなって抱えあげて、、。。、
もう一人では立てませんでした。
その日の深夜の会話が遺言になりました。今でも夢に出てきたり、声が聞こえたり、力になってくれています。
急死された先輩の遺言も果たせたかどうかはわかりませんが、その話も聞いててよかったと今しみじみ思います。

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