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高校の時の先生の叙勲祝いの会兼クラス会に参加

平成29年6月17日18時より、垂水の疆腸伊榲垢砲
われらが担任福永恒泰先生の叙勲お祝い会兼クラス会
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先生ご夫妻を囲んで16名が出席、欠席だが記念品代をいただいた方14名。

平成29年4月29日の新聞で叙勲の名簿の中に高校3年のときのクラスの担任福永先生の名前があり、叙勲のお祝いを兼ねたクラス会をやるという趣旨の回覧メールが来たのが5月2日、発起人はI. M両氏。6月の土日かお盆のころかという内容でした。
イメージ 3取り急ぎ先生にはお祝いのメッセージを入れ、近隣の仲間に連絡を取ったところ、気づいてない人が半分、賛成が半分で、当然のことながら反対はなし。
そして、その日が6月17日(土)18時より、垂水の先生の家の近くの和食の料理屋さんでという情報が飛び込んできましたので、はがきより先に取り急ぎ日程の連絡とスケジュールを空けてもらうことを交流のある仲間に連絡入れたところ、12名が参加表明し、スケジュールをあけておくと言ってくれました。これで発起人を入れて14名、
最低限15名以上は来ないと先生に恥をかかせることになると思っていたのでまずは安堵しました。そして、結果は16名。まずまずの人数となりました。
今後の課題は、記念品代のみいただいた方と交流ある人がひとりでもふたりでも一緒に引っ張ってきて組織を活性化させることでしょうか。

この会が始まったのは、にいろく会の会報の当番がトップバッターで廻ってきた10数年前のこと、記事の題材としてクラス会をやるというものでした。地元にいるということで私にお役目が降ってきて、、、大阪のM氏と相談しつつ、地元で商売をいているDさんの協力を得て依藤先生を取材に行き、私が記事を書き、残るはクラス会企画、これに関しては20代のころにクラス会を企画した経験を持つI氏に依頼、第1回目のクラス会が姫路キャッスルホテルでおこなわれました。
これがこの会の原点です。

結果は大成功、皆が喜んでくれて、大盛会、2次会、3次会まで大いに盛り上がり、
クラス会を題材に記事を作り、感想の生地をIさんに書いてもらってすばらしい会報ができました。
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そんななかで案内の名簿に抜けがあって、そのあとは常連となってくれて協力してくれたAさんから案内が来てないとあとで苦言をいただいたり、酔っ払って一人で帰れないN氏を先に家まで送っていったために帰りが遅くなり、いろいろと協力してくれていたDさんに迷惑をかけたり、いろんな失敗がありました。

それ以来、会を重ねるたびに人間関係が深まり、日ごろからの交流もできてきましたが、反面、メンバーが固まってくるという傾向も。。。

でもこのたび、欠席ですがメッセージをくれている人の言葉を見て、還暦を過ぎて、欠席だけれどもその人と交流のあるいつも来るメンバーの持っていき方しだいで交流の和が広がり、一度でも来て楽しければ次回も来る、その人がまたメンバーを連れてきてもっともっと組織が活性化し強くなる可能性も十分にあるのではと感じています。
いくらいい店をセレクトし、いい企画をつくっても人が集まるしくみを作らないとどうにもならないし、「してくれ、やってくれ」は大いに言うが、すべて受動態では幹事さんがしんどいだけ。
そうならないためには、幹事ひとりに丸投げではなく、数人が核になって検証を重ね、知恵を出しあって運営していくという組織も必要かなって思いますが、いかがでしょうか?




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父との想い出

今日は、今年2月に亡くなった父との想い出を書いてみたいと思います。
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約3年前の11月、水曜日だったと思います。突然、母からの電話、ソファから落ちたんや、骨が折れとるかも、。。
救急車で病院へ行った結果は左大腿骨骨折、即入院し、それから3ヶ月入院、その間父が一人になるということで晩に私が泊まりに行くことになりました。
それまでから、よく喧嘩して決して仲良い親子ではなく、苦痛でした。
母は、3ヶ月後に一度退院しましたが、無理して歩いたり、自分でリハビリしたりで今度は折れてない方の股関節を骨折、再度入院の憂き目となりました。
その頃から、徐々に父が弱ってきました。

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そんなとき、ある先輩から言われました。わしも父親とは仲の良い親子じゃなかった。できる限りの介護はしたが、亡くなった今、なんか寂しい。悔いの残らないように精一杯介護せいよ、と、。、

その話を聞いて一月ちょっとしてその方は急に亡くなられました。
ですから、この言葉が遺言になってしまいました。
母は、再退院後は今度は慣れと用心で回復してきました。
1回目の退院時が要支援2、再退院後は要介護2、それが1年後には要支援2までよくなりましたが、反比例して父はだんだん外へも出なくなり、米寿の声を聞くようになってからは足が弱り、よくこけるようになり、立ち上がるのさえ苦痛に感じるようになりました。
これはヤバイと思いました。
今度の正月に米寿の祝いをするが、もしものことを考えてベッドと敷きふとん、まくらを御祝いした。
そして、正月2日に母と二人の子、四人の孫、二人の曾孫、義弟と娘婿も顔を揃え、御祝いをしました。

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その翌月、脳へ酸素が行かず、苦しんでいるとディサービスから連絡をもらい、医者へ連れていったが、そこでは異常なし、そういうことが2〜3回ありました。風呂で湯を落として座り込んでいたり、とにかく体力が目に見えて落ちてきました。そして2月8日ディサービスより再度、息苦しくて横になっている、病院へ連れていってあげてと、。。
またかと思いましたが、夕方近くの内科で診察してもらいましたが異常なし。大きな病院への紹介状をもらって、。、
ですがその一時間後、母との食事を終えたあと意識を失い、それでも救急病院で息を吹き返し、四日間頑張ってくれましたが、意識は戻ることなく、帰らぬ人となりました。享年89。合掌
亡くなる一月ちょっと、一生分ともいえるくらい話をしました。


オマエを見てるのがつらい、オマエの役に立ちたい、と、。。、
私のふとんに夜中に入って来たこともありましたが、すぐにトイレに行きたくなって抱えあげて、、。。、
もう一人では立てませんでした。
その日の深夜の会話が遺言になりました。今でも夢に出てきたり、声が聞こえたり、力になってくれています。
急死された先輩の遺言も果たせたかどうかはわかりませんが、その話も聞いててよかったと今しみじみ思います。

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ベッドの幅のこと

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母の骨折から2年、夜は龍野で泊まってます。
2月に父が亡くなり、使ってたベッドを私が使ってますが、
最近気づいたことがあります。

床で寝ていた頃は、なにも思わなかったのですが、ベッドになると同じシングルでもフロアよりも狭く感じるとあうこと。
寝返りを打つのが怖いし、現に何度も足が床に落ちました。
お年寄りでベッドから落ちて骨折した人もいるとのことで怖いです。

お歳をめして、立ち上がりがしにくくなり、ベッドにする方が多いですが、
スムーズに寝返りを打つなら、スペースさえゆるせばセミダブルがお薦めです。

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にも拘らず、介護ベッドというのは
幅91かもっとせまいのになれば83というものも、。。
柵があるからもっとせまいような感覚があります。
ちなみにシングルは100、セミダブルは120です。
私見ですが、介護というのは、快眠健康より事故防止、介護される人よりも介護する人が介護しやすいということを重視してるように思います。
私的には、高齢になってもできるぎり健康で自立していく、そのためにはどうすればいいのかを考えていきたいと思っています。

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美人とブスの違いとは。。。

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おもしろい記述を見つけました。出所はわすれましたが。。。
なるほどと思いました。
美人、ブスとは、通常は女性の容貌のことを指す場合が多いですが、
これを見るとそうではないですね。男女問わず該当しますし、
私は人間性のことだと思います。

美人とブスの違いとは。。。

①相手の気持ちを何も考えずにそのまま口に出すのがブス
 相手の気持ちを察して、ふさわしい言葉を選ぶのが美人

②批判しかしないのがブス。
 相手の立場を尊重しつつ、アドバイスするのが美人、

③自分のことばかり話して相手の話を聞かないのがブス、
 相手の話を引き出し、求められることを話すのが美人。

④他人を妬むだけで何も行動しないのがブス、
 出来ることから始めるのが美人、

⑤自分のことしか考えないのがブス、
 周囲のことも考えるのが美人。

⑥周囲に期待して自らは動かないのがブス、
 自分から声をかけるのが美人。

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人間ですから全部美人に該当する聖人君子のような人はいませんし、
全部ブスに該当するよな人もいないと思います。。

世の中、うまくいくときばかりではなく、何をしてうまくいかない時もあります。
うまくいってる時に美人である人が、うまくいかなくなるととたんにブスに豹変することも。。。誰しもブスにはなりたくないし、ならぬよう努力している。
大事なのは、うまくいかず、ブスになりかかった時に
いかに美人になれるよう努力できるかということ、
それによって、その後の人生が変わってくると思います。

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順風満帆に人生を生きてきた人が、自分に自信を持ち周囲を見下し、
相手の気持ちを考えずに好きなような言動で相手を傷つけるも、勢いがあるから周囲は逆らわず、辛抱してきた場合、味方はなく、少し逆風になっただけで意見が通らなくなったり相手にされなくなったりする、そうすると自信を無くし、周囲を妬んだり恨んだりして自分の美人の部分さえ否定し、どんどんとブスになって落ちていきます。
日頃から美人であるための努力は惜しんだらいけません。。

私は、容姿ではなく、おこないの美しさにこそ美人の称号は与えられるべきと思います。ブスのおこないをしないよう、身を美しく、いわゆる躾を自分自身におこなうことをできることから無理なくやっていくことが大切だと思うのですがいかがでしょうか。


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夜の龍野の街

夜の龍野の街

母が足を骨折して急遽入院したのが今から2年前の11月5日。
朝かかってきた母からの電話ですぐに駆けつけました。
2Fにいた父はまったく気づかず、鍵を持っていなかったので家へ入れず
救急車は呼んだものの難儀しました。
外から大声で呼んで開けてもらいようやく事なきを得ましたが。。。
父をひとりおいておけないということで、それから龍野での泊りが始まりました。
太子で晩御飯を食べてから龍野へ行くという日々が続きました。
翌年2月に退院するも5月には骨折でまた入院、
今度は庭の花が枯れないように朝の水やり、そして朝の配膳、ご飯さんのお供えと慣れない生活が。。。商売との両立は厳しかった。
やることなすことうまくいかず、心身ともに疲れ果てて、、、
夜は寝られず、昼は眠くなり、体調もボロボロに。。。
そんな時にちょっと息抜きをする店がないかなと探して、、
とはいえ、元城下町の揖保川西には夜のお店はほとんどありません。
昔は、兵庫県で宝塚に次いで芸者が多く、姫路からも客が来ていたという話も今は昔、そのあたりは街灯のみで真っ暗です。
どんな田舎でももう少し明るいんじゃないでしょうか。
それでも2軒見つけました。以来、ちょこちょこ行っています。
一軒はお好み焼き屋、おかみさんと会話をしつつ生ビールでストレス発散。
もう一軒はショットバー、
ここは音楽を聞きつつ、静かにカクテルを飲みます。
マスターと酒の話やいろんな話を。。。
帰りはまた真っ暗な龍野の街を歩いて。。。
風情があっていいもんです。
あらためてその良さを感じました。
おかげで泊まりも慣れて精神的にも落ち着いてきました。

今では、太子での行きつけの店も太子で泊まる時は顔を出すようにしています。


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