うしまるの新着情報

兵庫県太子町、国道2号線沿いにある寝具と結納の専門店です。火曜日定休日。駐車場15台。お気軽にお立ち寄りください。

太子、龍野散策

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3月15日朝、氏神様である粒坐天照神社に参拝して来ました。
ここは、宍粟市の伊和神社、垂水の海神社とともに播磨三大社のひとつ。こういう由緒あるお宮の氏子であることを誇りに思います。


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不二家が閉店

2018年1月14日にて不二家太子町店が閉店とのニュースを聞いたのは

昨年の年末のこと。
昭和56年にオープン、私たちの結婚と同じ年でした。

以来37年間、深夜2時まで開いてて、この辺りはずっと不夜城のようでした。
唯一大晦日だけは早く閉まって辺りは漆黒の闇になり、存在感がよくわかりました。
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時代の流れで徐々にお客の流れが変わり

、閉店時間も12時、そして今は10時になりました。
地元の人は閉店をほとんど知りません。
もうこの日曜で終わりなのに、。。
これだけ長くやってた店だから、最後は超満員で終わって欲しいですね。

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龍野オータムフェスティバル

11月18〜20日の3日間、実家の玄関先を借りて
初めて龍野オータムフェスティバルに参加しました。
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これまでから何度もお誘いを受けてきましたが、出店=利益が先に立ち、
太子の店での商売にしわ寄せがくる、そんな暇はない、そんなことしても何のメリットもない、と私が最も嫌う「今だけ、カネだけ、自分だけ」の発想になっていました。

名前を売るといったって、うちの店を知らない人はいないと、世間知らずな発想をしていました。

昨年、街探検での小学2年生の店見学を依頼に来た先生から、店があるのは知っているが、何を売っているのかは知らないと言われ、ショックを受けました。
婚礼の専門店からまくら、敷きふとん、肩こり腰痛の人の健康相談といった方向に舵を切りつつの時期、新しい方向性の商品をアピールする目的もありました。
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展示のテーマは、
「快眠まくらと敷きふとんの試し寝体感」

現在930個売れている安眠まくらと
これも月に10本ペースで売れている
B-AIRPRO(WS)<快楽Ⅱ>を
一人でも多くの人に体感してもらうべく準備しましたが、
播磨の小京都の街並みを愉しむという
ことで一日に何万人もの人が龍野を訪れる、そういった人相手にまくらの体験アピールやってもあかんという母の意見で、いろんな小物を創ってくれ
にぎやかしもできました。
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そして本番初日、一個50円の小物を玄関先の道沿いに出してお客様の足を止めさせ、小物を手に取ってもらうところまではいきましたが、こちらが近づくとさっと逃げるように立ち去っていく人が多く、それよりも街に出てたまたま会った知り合いを店まで引っ張ってくることで買ってもらったりしました。
2日目は、本来ならものすごい人出になるところですが、天気が悪く、人出は初日よりも少なく、初日の反省からできるだけ入って来られるまで近づかないことに。。。
そのかわり、他の店の「くつの無料測定いたします」にヒントを得て、
「あなたに合ったまくらの高さ、無料測定いたします」と。。。
それを見て二人づれのお客様がそれぞれ安眠まくらお買上げ、
まだまだまわりたいからということで、高さを合わせてまくらをおつくりし、
帰りに店に寄っていただく事に。。。
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3日目は、一歩引いて興味を示された人にだけ声をかけるという店接客の教科書から逸脱して、前に出て目が合った人に声をかける、積極的に話しかける、自分もお祭りを愉しむというやり方に変えてみました。
店先に「うしまる」のパンフレットも置いて、うしまるがやっていることを前面に出しました。店のアピールという当初の目的にはこれが一番合ってたようです。
最後になって初めてしっくりとした商売ができました。
母も商品作りの準備段階から接客もと3日間、デイサービスも休んで手伝ってくれました。あとで疲れが出ないことを祈ります。
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これからも自分も愉しみながら自分の店、商品をアピールしていくというやり方でうしまるのファンを一人でも多く増やしていきたく思っております。

貴重な体験をさせて頂いたことに感謝!


このまくらが、うしまるオリジナル安眠まくらです。
正式名はブレスアジャスター枕、
それまでは、西川製品ばかりを販売していましたが、5年前、この枕に出会い、
中材のシリコンパイプの何とも言えぬ弾力性に感動し、製造工場に
「これが気に入った。このまくらをメーンとして売っていきたいので、
うしまるオリジナルの冠をつけさせてくださいとお願いして快諾していただき、改良に改良を重ね、今に至っています。現在の販売総数は930個超。
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安眠まくらのネーミングは、まだ初期の頃、このまくらを気に入ってくれて10個以上買って下さった神戸の会社社長さんが命名してくれました。
このお客様は、以来うちのお得意様になり、なにか要るときには神戸から来て下さいます。
通常、まくらは経年劣化もあり2年で買い替えなのですが、このまくらは、首の部分がへたったら補充パイプを足すと元に戻ります。
私の使っているまくらは約5年使っています。
今ではまくらも2〜3万もの高額なものが出ていますが、5年前は、5000円でも高いと言われました。

今では、高さを調整するまくらは1万以上が普通になりましたが、うちはこのまくらは値上げせず、5400円(税込)そのままで通しています。
安物扱いする人もいますが、きちっと調整してあげると2〜5個くらい追加が来ることも。。。うちも2万くらいする他社のまくらも置いていますが、安眠まくらが一番の売れ筋です。今年2月に「まるはり」という雑誌に掲載してもらい、ラジオ関西の谷五郎の朝の番組で放送してもらってから半年少々で200個ほど増えました。
11月30日に発刊されるまるはり年間保存版の健康特集でまた載せていただいております。よかったら見てみてください。

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我が故郷、龍野

我が故郷、龍野

先日の朝、ちょっと早く家を出たので龍野城、紅葉谷、聚遠亭を廻ってきました。
紅葉谷はまだでしたが、聚遠亭の池のところの紅葉はきれいに色づいて、、、
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いつも、きれいに掃除されています。遠来の方に対するおもてなしですね。
こういう方がいてくださるからこそ文化財が維持できるということ、
それを強く思います。
龍野の街は文化財が多くありますが、案外と地元では知られてないことが多く、
遠くの人の方がその良さを感じてらっしゃるということも。。。
今でこそ、観光マップを持った観光客の方が来られるようになりましたが、昭和40年代には斜陽を絵にかいたような街でした。
かつては、脇坂5万3千石の城下町として栄え、明治、大正時代には芸者の数が宝塚に次いで県下第2位、姫路からも人力車で夜な夜な遊びに来ていた。
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私の幼少の頃の昭和30年代でさえ、大相撲の全力士が野見宿祢参拝を兼ねて春巡業に、、、大鵬、柏戸、若乃花、栃錦、朝潮といった横綱が聚遠亭下の相撲場で相撲を取っていましたし、当時の下川原商店街の夜店はそれはそれはすごいにぎやかでした。
それが、昭和40年前後のモータリゼーションで一変しました。
市役所をはじめ官公庁がすべて川の東へ移転、ジャスコ、ダイエーといった商業施設が川東にでき、川西の旧城下町は火が消えたようになり、そこで営業していた店も次々と川東へ移転しました。
龍野城跡にあった龍野中学校も現在地に移転、城跡は一時はコールタール置き場になっていた時期もあり、荒れ果てていました。
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街の復活は、私が高校を卒業して龍野をはなれたあとに静かに進行していました。

帰省して、当時市会議員だった友達のおとうさんと話す機会があった時、姫路みたいに龍野にもお城ができないかと言った記憶がありますが、
その当時はほんとうにできるとは思ってもみませんでしたが、
徐々に現実になっていきました。

まずは、道幅の狭い城下町の道を通らずに赤とんぼ荘へ行ける道路ができ、昭和の築城で龍野城ができ、警察の広大な跡地が観光駐車場になりました。
播磨の小京都として全国に紹介され始め、観光客も徐々に増えてきました。
その価値を見出したのは、地元の人ではなく、どちらかといえば都会の方でした。

古い町屋を利用した店が増え、街並みも整備されきれいになってきました。
2年前から龍野に寝泊りするようになって思ったのは姫新線の利便性が数倍もよくなったということ、かつてのようなすれ違いの待ち合わせもなくなり速く、
きれいになり、本数も増え、利用客も多くなり、アクセスもよくなりました。
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イベントも数多くおこなわれるようになり、
観光客は凄い数に、、、
宿泊施設や夜の店もできてきて、、、
街は変貌しようとしています。
ただ私が思うのは、龍野の街の良さは外から見ないとわからないということです。
私自身、龍野に住んでいる時はわかりませんでした。
良さをわかって活性化を推進しているのは外から来た方が主になっておられます。
時代は変わりました。
龍野から出た人が外から街を見てその良さに気付いて戻ってきたときこそ、
この街がさらによくなると思うのですが。。。

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粒座天照神社

粒座天照神社

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たつの市龍野町日山に鎮座する粒座天照神社。
私もここのお宮の氏子です。
祭神は、天照国照彦火明命で
五穀豊穣の農業の神。

推古天皇2年(594年)神託を受けて的場山の頂上に建立。

その後、戦火でなくなっていたが、
1581年に当時の領主、蜂須賀小六正勝により、現在の地に再建。
次の領主の福島正則が社殿を建立。
宍粟一宮の伊和神社、垂水の海神社とともに播磨三大社に数えられるとのこと。
すごいお宮なんだなとあらためて実感。

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