|
私が、小学生の頃、(えっと30年くらい前) 世の中では『パソコン』というものはなく、『マイコン』という名前でのコンピュータが存在していた。 今の若い方はご存じないだろう、TK-80などのマイコンが欲しくてたまらなかったが、当時8万くらい?して買って欲しいって言えないくらいの存在であった。 それを知ってか知らずか、父親は『電子ブロック』という高価な玩具を買い与えてくれた。 その頃は、京都にも電子パーツ屋はあり、ハンダこてを握り締めて 『ラブテスター』や『集積ラジヲ』をせっせと回路図の意味すらわからないのに作っていたものであった。 中学生時代、NECから国産の『パソコン』が発売された。 それは、『PC-8001』当時18万くらいで、グリーンモニタ(って緑しか発色しないディスプレイ)とか専用カセットレコーダ(当時はフロッピーとか高価で手に入らなかったんですよ。ハードディスクなんかはその頃あったのかしら?てな感じ)など合わしたら、40万以上はする品物でした。 当時、ちょぃお金持ちの同級生のお父さんが購入されて、遊びに行ったとき、自宅に無い悔しさと、自宅でインベーダゲームが出来るといった目からうろこが落ちるほどの快挙に驚いていたものです。 そして、高校生になった時(今から、26年前くらいかな?) 母親にねだり倒して、ナショナルの『JR-100』を手に入れることが出来た。 この時、かなり嬉しかった。 当時5万円くらいして、高校生が持てるものではなかったから。 (本命はNECの『PC-6001』が欲しかったが当時8万強だったため断念。) モノクロしか発色しないが、グラフィック機能があり、テレビに繋げてぴこぴこ遊んでいた。 キーボードも今の様にしっかりしたものではなく、『消しゴムキーボード』と揶揄されたへろへろなキーボードであったにも関わらず。 当時、電波通信社(かな?)から出版されていた、『BASISマガジン』に掲載されていた、BASIC(えっとパソコンの言語です。今はもっと洗練された言語でJavaとかPerlとかありますね。)を訳も判らずぱちぱち入力して、テープレコーダ(純正のは高くて買えなかったのでラジカセで)に録音して、遊んでいた記憶があります。 市販のソフトはほとんど無くしかもかなりの高価格でしたので手が届きませんでした。 当時自分達を魅了していた、ゲームセンターのゲームが自宅でも遊べる! (とはいえ、質は断然落ちていますが) しかも、訳がわかっていなくても、自分が打ち込んだプログラムが動くといった快感は当時格段なものだったんでしょう。 私の進むべき道はこれだ!って決めた1つの要因だったかもしれません。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用





