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かつて東映フライヤーズ(現・日本ハムファイターズ)で活躍した土橋正幸が逝去したとのニュースに、
ある種の衝撃を受けた。
めくるめく想いが襲ってきたからだ。
ぼくは昔から東映フライヤーズを応援していたとは、当ブログで何度か吐露した。
その象徴的存在の土橋は、快速球を投じ、同チームを優勝にも導いた立役者であった。
東京は浅草出身の江戸っ子であることも、学生野球などのアマチュア出身でないことも、
かえって興味と好意が惹かれたわけだが、そんな来歴に関係なく、
小気味の良い見事なピッチングを披露してくれたのが心地良かった。
ともかく、投球ピッチが速く、球のスピードも速く、小気味良く三振の山を築いたのだ。
その快速球を受けた捕手の一人は、暴れん盆の異名で知られた山本八郎だった。
この捕手、バットを振り回しての乱闘沙汰も印象深い。
当時としては数少ない外国人選手が活躍していたことも、フライヤーズの特徴であった。
投手のビル西田、野手のスタンレー橋本とジャック・ラドラで、
二人は日系人にせよ当時、プロ野球界に新風を吹き込んだものだ。
こうした陣容のフライヤーズ見たさに目黒区の駒沢球場に、どれほど足を運んだことか。
水原監督を迎えたには、パリーグ優勝を果たし、躍り上がる歓びが忘れられない。
しかし、というか、土橋投手は効成り名遂げ、ヤクルト・スワローズの監督に迎えられた。
その試合もテレビを通して少し観戦したが、印象に残ったのは、痛々しいほど怒りまくる土橋監督だった。
その後、フライヤーズの監督に迎えられたが、1年きりで退団したはずだ。
現役野球人を退いてからは、テレビ・ラジオの野球解説者として登場していたが、
やはり往年の゛快速球`ぶりは、思い出させてくれなかったようだ。
かくしい闘病の末、77歳で逝去したわけだが、
同氏の現役黄金時代は、ぼくの記憶から長く去らないであろう。
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