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懐かしくも美しい声の歌手を思い出していたら、
またぞろ浮かび上がってきた。
笠置シズ子である。
この名前を記憶しているのは、50代以上の人だけと思われるが、
これぞ日本国民の心を奮起させ、
明るくさせてくれた大歌手と言っていいだろう。
この人の歌う「東京ブギウギ」や「買物ブギ」がガンガン流れてきたころは、
終戦間もない混乱期にあった昭和二十年代の前半だった。
人々は着の身着のままで貧しい食事にありついていた。
東京の街にはまだ高層ビルなどほとんどなく、
焼け野原をはじめ、いまよりずっと平べったかった。
そんな世情にあって忽然と登場した笠置シズ子は、
突拍子もないほど明るい声で、
アップテンポな歌をふりまいていたのである。
ずっとあとになって、
ジャズの世界ではホーン・シンガーという呼び名があるのを知った。
体中がホーン=笛かラッパのようになっている歌手のことを指すそうだ。
笠置シズ子の声も、まさにホーンみたいで、
あの小さな体のどこからあんな声が朗々と発せられるのだろうかと思ったほどだ。
もちろん、当時はテレビなんてないので、
その容姿を知るすべもないように思われるだろうが、
雑誌や映画で知ることはできた。
それがまた、かわいいと言うか、庶民的と言うか、
その辺のオバチャンのようにぼくには思えた。
そのころ全盛だった日劇にでも行けば、実物を拝することができただろうが。
庶民的に思えたのは、
どぎついほどの関西弁を振りまいていたことにもよるだろう。
「買物ブギ」だったか、「♪わて ほんまによういわんや」という歌詞があって、
むさくるしい男たちが麻雀をしていて相手に振り込んでしまうと、
「わて ほんまによいわんわ」と叫ぶのが口癖になっていたほどだ。
「東京ブギウギ」の締めには、
「世紀の歌 心の歌 東京ブギウギ」と笠置シズ子が絶唱するわけだが、
ぼくら少年には「世紀の……」という箇所が引っかかり、歌真似をできなかったり。
思い返すと、笠置シズ子ほど暗い世相を明るくしてくれた歌手は、またと居まい。
そういえば、この《ブギの女王》が登場する前、
つまり終戦直後に並木路子の「リンゴの歌」も、
全国民の気持ちを励まし、明るくさせた。
瞳のきれいなこの歌手が唄うと、
敗戦国民に忘れかけていた恋心を甦らせるかのようだった。
ぼくらも「♪赤いリンゴに くちびる寄せて」という歌い出しを聴くだけで、
晴々としたものだ。
サトーハチロー作詞、万条目正作曲のこの歌も、
全国的に町や村の隅々まで流れていったはずである。
当時知られていた歌謡曲の作曲家で忘れてならないのは、
服部良一だ。
一連のブキウギを笠置シズ子のために作曲していただけでなく、自ら作詞もしていた。
彼女と二人三脚で、暗い時代を明るくさせるため貢献していたのだ。
話は少し脱線するけれど、
歌謡界で服部良一ほど長年、美しいメロディを創りつづけた作曲家をぼくは知らない。
戦前から戦後の数十年にわたって、この人が作曲した流行歌は枚挙にいとまがない。
その多くが馴染みの深い曲である。
なかでも、ぼく的に最高の名曲と思われるのは「蘇洲夜曲」だ。
昭和十五年に西条八十の作詞によって生まれた歌で、
題名が示すとおり中国(当時の支那)での恋を謳ったものである。
蘇洲なんて水路の多い街ぐらいしか分からないが、それでも
「♪君が身胸に抱かれて聞くは 夢の舟歌 恋の歌
水の蘇洲の花散る春を 惜しむか柳がすすり泣く」と口ずさむと、
あの街を懐かしく思い出させるような、なんともロマンチックな調べだ。
でも、あの歌この歌は時の流れとともに彼方に去っていってしまった。
歌はその時代に沿うようにして生まれ、時代を経るにしたがい消えていくものだ。
古い人間にはその盛衰が切ない。
だけど、昔の歌謡曲には日本人の魂をえぐる名曲があったのは確かだ。
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『銀座かんかん娘』を歌いながらメンコに熱中していたガキの頃をありありと思い出しました。とうに忘れていたはずのその頃の空気の臭いや指先の感覚までくっきり神経の先っぽに蘇ってきて、歌の力に驚かされました。タイトルを見ただけなのに、丑さんの文章の喚起力かもしれません。古都蘇洲には10年ほど前取材で数日滞在しましたが、歌のとおりの美しい水の都で、『楓橋夜泊』の寒山寺が古のままに存在していたことに感激でした。もう二度と行けないだろうな。それにしても丑さんの記憶力の凄さよ!
2006/12/24(日) 午前 1:35 [ asa*ka* ]