丑の戯言 栗田英二

体調不良につき、プロク゜投稿も途絶えがち

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引き続き夜の盛り場での話。

 成人になってからも件の親友と渋谷の安いキャバレーで遊んでいた。
 その流れで「クラウン」という店に入り浸った。

 そこには生バンドが入っており、バンマスが流行歌などを歌っていた。

 それを聴いているうちにぼくはムラムラしてしまい、当時、流行っていた
 『♪ダイアナ』を歌わせてほしいと進み出た。

 すぐに受け入れられ、ポール・アンカばりに熱唱したところ、どうやらウケたらしい。

 以後、そのキャバレーに行くと、バンマスから指名を受け、飽きもせず『ダイアナ』を披露。


 渋谷ばかりでなく、夜の銀座へも足を延ばすようになった。

 馴染みの店になったのは、普通のバーで、常連客になるにつれ、
 そこのバーテンダーと親しくなり、彼と2人で界隈に足を延ばした。

 とあるバーでは、ギタリストの生演奏が入っていた。

 そうなると、ぼくの虫が騒ぎ出し、プロの演奏で『♪魅惑の宵(ファッしネーション』を歌わせてもらった。

 
 さらに銀座でのこと、今度は大きなキャバレーへも進出した。

 そこへは単身で入り、2階席でさびしく飲み続けていたところ、
 階下のステージで、ビッグバンドの演奏が始まった。

 それに耳を傾けているうち、またもムズムズしだした。

 挙げ句はバンドの許可を得て、シャンソン風の『♪巴里祭』を歌わせてもらった。

 決して上手とは言えなかったし、拍手ももらえなかったけれど、
 輝かしいステージに上がれて歌えただけで満足した。


 次に鮮やかに記憶しているのは、こともあろうにローまで熱唱したことだ。

 社の同僚と共に80日間・世界一周の出張をした際、ローマに立ち寄った。
 そして夕刻、盛り場に出たら、たちまちイタリア人青年につかまってしまった。

 例のポン引きだ。

 純情なぼくらは彼の言うまま、まずは普通のレストランで腹ごしらえ。

 それからが彼のビジネスで、「素敵な店を紹介しよう」などと言われ、
 高級そうなキャバレーに連れ込まれた。

 入ると、たちまち若いホステスに囲まれ、シャンパンで酒盛りが始まる。
 「これは高くつくな」と恐れたけれど、もう止まらない。

 そのうち、ぼくは酔いがまわってきて歌いたくなってしまった。

 件のポン引き風の男に「歌ってもいいか?」と訊くと、ぼくの手を引きステージに向かった。

 「何を歌うか?」に「『♪オーソレミオ』だ」と言うと、すぐ話が決まり、伴奏が始まる。
 それに合わせ、力いっぱい歌い始めたわけで、客席からの拍手が耳に飛び込んできた。

 本場イタリアで、この名曲を原語で歌ってしまった図々しさに我ながら呆れたが、
 話はそれで終わらない。

 帰りぎわ請求書が渡され、見ると、その金額の高いこと!
 円換算で10万円を超えているではないか。

 やむなくトラベラーズ・チェックを全部切って、どうにか支払いを済ませたのだった。
 なお、それ以後の旅程では、文無しに近かった。
                                 (つづく)
 

 この自伝的シリーズ、前回で幕を閉じようとしたが、書き足したいことがまだあった。

 長年、人前で歌うことに熱を上げていたことで、前記した「熱中症」とは異なるものの、
 ひとつの症状であったように思う。


 最古の思い出は、小学生の頃のことだ。

 終戦直後、港区青山に住み着いた頃、母親と仲の良いおばさんが来訪した。
 そんな席で母は「おばさまに何か歌って聞かせてよ」とぼくを指名。

 訪問客を喜ばせようとしたのだろうが、ぼくは顔面が火照るばかり。
 でも、逃げるわけにはゆかず、勇をふるって『♪ローレライ』を歌ったのだった。

 小学生の頃も、中学生になっても、ぼくは歌が上手ではなかった。
 だいたい音楽の授業なんて好きになれないのだ。

 そのせいか、生徒全員が合唱するとき、やけっぱちに大きな声を張り上げたりもした。


 年代は飛んで成人したての頃、当時の親友と盛り場をうろつくようになった。

 その流れで自由が丘へ行ったら、ある同級生があるキャバレーで
 バンドの一員になって演奏しているのを知った。

 そこでウィスキーでも飲みつつ演奏を聴いているうち、ぼくはムラムラと歌いたくなった。
 で、バンドの一員である彼に目配せすると、「歌えよ」の合図。

 すぐさまステージに上がり、『♪ラブ・ミー・テンダー』を歌わせてもらった。
 ところが、我ながら下手くそで、音程が演奏に合っていないし、うなり声みたい。

 しかし、と言ってはなんだけど、英語の歌詞は覚えていた。
 それには、わけがある。

 高校生の頃から、主にアメリカからやってくるジャズやポップスを聴くのが好きで、
 聴いているうちに自分でも歌いたくなってきた。

 それには楽譜など歌の本が要る。

 我が家にはそんな本があったので、夜間、寝床で人に聴かれないよう気に入った曲を歌うのだった。

 音程もリズムも、へったくれもない。

 そうしているうちに、歌詞の意味なんか分からぬまま頭に叩き込んだ。

                                         (つづく)

 月に一度か二度、昼食を摂りに行く店がある。

 自宅から近くの国道沿いにある「小田そば」という蕎麦屋だ。

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 店に入るや女主人が「いつものですね」と声をかけてくれるのが嬉しい。
 献立なんぞ見なくても、注文する品が決まっているのを覚えているのだ。

 ぼくが「コクン」とうなずくと、ややもして運ばれてくるのが「かき揚げ天せいろ」。

 この店でこれ以外の品を注文したことがないので、「いつもの……」というわけ。

 
 ところで、この店が気に入ったのは、店舗の構えが気に入ったからだ。

 純木造建築の和風で、飛騨地方でよく見られる合掌造りが心を惹く。
 いかにも和風蕎麦を売り物にしていることが分かるし、主の好みが現れている。

 一階だけでなく、二階も和風造りで、落ち着けるのも良い。

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ここに入ると、なぜ決まって「かき揚げ天せいろ」を注文するのか?

 野菜や魚介類を交えて、カラリと揚げられた天麩羅が何といっても魅力だ。

 それをつつきながら、蕎麦を口に放り込むと、えもいわれぬ調和を感じる。
 この取り合わせが、なんといっても好物なのだ。

 自分の自炊暮らしのなかで、揚げ物をなかなか作れないのも天麩羅を求める所以だろう。

 また、今のような暑い時季ではなく、寒い頃にになると、イッパイやりたくなる。
 そのときは迷わずに「お銚子、一本!」を注文する。

 熱燗のお酒と、かき揚げがなんとも美味しく調和するのが気分良い。

 夕暮れ後にこの店に入ったことはないが、足が向いたとすれば、
 お銚子一本では済まされず、杯を重ねることだろう。

 そんな日があってもいいような気がする昨今だ。
 自分のクルマのナンバーが当選したとは、6月7日付け当ブログで打ち明けた。

 TBSラジオの『大沢悠里のゆうゆうワイド』という番組でそれを知らされたわけで、
 普段、くじ引きに弱い自分にとっては、うれしいことだった。

 すぐさまその放送局で電話して確かめたら、確かに当選していた。

 それで「ひと月ほどしたら記念品を贈ります」とのことで待っていたら、
 自宅にちゃんと届きました。

 その前に、この当選を知った身内の1人は「クォカードでしょ」とか、
 「果物よ」などとその贈答品を教えてくれたりもした。

 なんであれ、何か贈られるのは、ありがたいことだと楽しみにしていた。

 それで待つでもなく待っていたら、やはり1ヶ月後に我が家に大きめの包みが送られてきた。

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 開けてうれしや、いつも必要としている食品ではないか!

 永谷園とやらの商品で、「御飯の友」となる品々がたくんさん入っていた。

 まさに、いつも欲していた「おかず」の品々で、当分、朝食か昼食で役立ってくれるだろう。

 というのも、男やもめの自分にとっては、日々の御飯のおかずに苦労が絶えないからだ。

 御飯でなければ、パンや麺類で済ますこともあるけれど、やはり白いご飯が恋しい。

 それには今回の当選、うってつけの添え物になるではないか!

 さっそく、鮭のおかずを賞味させてもらったが、まずは満足。

 そうしたおかずが今後何日間、続けられることだろうか。


 ともあれ、我が愛車の「6830」というカーナンバーは、いろいろと因縁もあり、
 いたく気に入っていた。

 それが「ラッキー・カーナンバー」に当選したわけなので、幸せさえ感じてしまう。

 そのうえ、その賞品が日々、食卓を満たしてくれるのだから、ありがたい。

自前の富士山を仰ごう

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 恥ずかしながら上の画像は、我が家の富士山だ。

 この家を新築し、移り住んだ10年ほど前、窓のブラインドに富士山を描いたもので、
 これもひとつの自己満足になった。

 その富士山が先月、ユネスコの世界遺産に登録されることになり、
 日本一高くて美しいこの山が改めて脚光を浴びるに至った。

 そんなことはまったく予測したわけではなく、ぼくは我が家の一角に富士山を据えてみた。

 窓際に付けられた布製の白いブラインドがそのままでは殺風景なので、
 スプレーでも使って何かを描こうとしたわけ。

 結果はご覧のような富士山となったわけで、いつもそれをチラリと見る仕儀となった。

 なぜ富士山を描いたかというと、まず構図が単純だからで、
 さほど才能や技術がなくとも、それらしい図に仕上げられた。

 それと、富士山にこだわったのは、私的な想いだがあるからだ。


 終戦直後、我が一家が中国から引揚げて移り住んだのは、
 渋谷区原宿の旧近衛連隊の宿舎が改装された都営アパートだった。

 その最上階、つまり4階の一室で一家はひしめくように暮らしたわけだが、
 西側の大きく開けた窓から遠く富士山を眺められたのが、せめての幸せだった。

 そんな光景がいつまでも頭から離れなかったし、富士の霊感を呼び込んでいたのかも。

 以後、我が一家は各地を転々と移り住んだわけだが、
 自分にとっては"終の棲家"とも言える現在の家に富士山を再現してみたかったのだ。


 話はそれまでのことだが、富士山とその周辺が世界遺産に選ばれたので、
 俄然、我が富士山への愛着がいや増した。

 ならば、拙いこのブログにもその像を取り上げてみようとなったわけだ。

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