丑の戯言 栗田英二

体調不良につき、プロク゜投稿も途絶えがち

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我が玉響の偲び その8

 中国から引揚げた後、東京に移り住むようになったのは、前述した。
 杉並区の高円寺にある親戚の家が我が一家を引き受けてくれたのだ。

 ぼくは小学校の4年生になっており、遊び盛り、いたずら盛りの頃で、
 忘れられないのは、命拾いしたことだ。

 その家の玄関先には大きな松の木が植わっており、それによじ登るのもガキの楽しみ。

 で、ある日、おふくろの目を盗んで自家製パンを掴み、
 その松の木に登って下界を見下ろしつつ空腹を満たそうとした。

 ところが、腰掛けていた松の枝が折れ、まっさかさまに転落。

 鼻と耳から出血し、気を失いかけたところ、近くの外科医院に運んでくれたのが、
 おふくろのようだった。

 そして多分、数時間後、おやじが職場から駆けつけてきた。

 後日、おやじはそのときのことを「息子が死んだとばかり思ったぞ」とのこと。

 ともあれ、1週間ほど入院したところで、家に戻れるようになった。


 こうして何ヶ月か居候に耐えたところで、朗報がもたらされた。

 小学校での同級生が「うちに引っ越してきたら」と手を差し伸べてくれたのである。

 その家は我が一家が間借りしていた家からすぐ近くで、辺りを睥睨する大きな邸宅だ。
 
 家主は陸軍の将校だった人で、兄弟がたくさんいたが、我が一家のために一部屋空けてくれるというのだ。

 勇躍して6人家族は引越しを済ませてわけで、ぼくは鼻高々だった。

 しかし、いやなこともあつた。

 一例は、近所仲間と遊んでいたら、意地悪なガキが「ヤーイ、居候」ど冷やかすのだ。

 ぼくはいたたまれなくなり、家に駆け込んだところ、井戸端でおふくろが洗濯中。
 「こんな家、出てしまおうよ」と、すがりついたものだ。


 そんなこともあったが、やっと引越しできる日がやってきた。

 おふくろの奔走が功を奏し、都営アパートへの入居が決まったのだ。
 
 場所は渋谷区原宿で、神宮球場のある新宮外苑に接しており、
 引揚げ家族が多く暮らしているという旧利軍の兵舎だ。

 それがどんなアパートか、姉とぼくは早速、下見に出掛けた。

 国鉄(現JR)中央線の信濃町駅を降りて、神宮外苑を抜けたところで、
 その大きなアパートが眼前に現れた。

 それを見たときの喜びは忘れられない。

 4階建ての薄汚れた元兵舎だが、その一部屋に住むことができるのだから。

 屋上に上がってみると、西方遠くに富士山が輝いて見えたのは忘れられない。


 それ以降のことは、昨年12月に『転々とした我が棲家』と題する雑文を投稿済みなので、
 この『我が玉響の偲び』は、ここで筆を置く。

続・木彫り作品

 先日来、木彫りの作品を相次いで拙ブログに投稿した。

 ところが、その後、拙宅には他に木彫りがあることに気付いた。

 ただし、自作ではなく、数年前に買ったり、いただいたものだ。

 だったら、しつこいようだが、それらも写真に撮って続編にと思い立った。

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 見てのとおり、やはりアフリカっぽいものが多い

 とりわけ左のお面みたいなものと、右から二番目の坐像はアフリカっぽい。

 個々の作品の曰く因縁は知らないが、どこかで買い求めたに違いない。

 その場合、やはり原始的な雰囲気のある作品に惹きつけられたのだろう。

 そして、込み入った彫り方から見ると、しかるべき職人か、芸術家の作品にも思えてくる。

 なかでも中央の背の高い裸像は、西洋人的でもあり、見事な作品だ。
 この材は、かなり堅い木のようで、磨くとさらに魅力的になるだろう。

 これを買ったとすれば、結構な値段に思えるが、どこで、いくらで入手したかは思い出せない。

 
 その裸像の足元に横たわっているのは、実は自分の娘の作品だ。

 鯨を模して彫ったものと思われるが、稚拙ながらも愛嬌がある。

 当時、その娘は伊豆七島の、ある島で働いており、海辺で見付けた木切れで彫ったのだろう。

 折柄、おやじ(ぼく)が木彫りに熱中していたので、その影響を受けたと思うと胸が熱くなる。


 ともあれ、それぞれの木彫りは目下、我が家のあちこちに産卵している。

 それらを時折り目にすると、何やら生き抜く力が湧いてくるようだ。

我が玉響の偲び その7

 中国の天津からLSTに乗せられて引揚げた先は、山口県の仙崎であった。

 そこから各人は故郷などへ帰るのだったが、我が一家は末っ子の治療のため、
 まず向かったのは、同県の小串にある旧陸軍病院だ。

 初春の頃で、おふくろと幼い末っ子を除き、おやじを始めとしたぼくらは、
 病院の前にある海岸で遊んだものだ。

 それから間もなくして一家全員で東京に移り住むことになる。

 親戚が杉並区の高円寺で暮らしており、その家が我が一家を引き受けてくれたのだ。

 こうしてまずは東京で暮らせるようになり、おやじの仕事の足場にもなった。

 おやじが戦前・戦中に勤めていた同盟通信は解体され、時事通信と共同通信に分離したわけで、
 おやじは前者に職を得たのだ。


 それはともかくとして東京に移り住んで早々、次に襲ってきた難事は食料難であった。
 終戦直後の数年間、日本中が飢えに苦しんでいたのだ。

 4人の育ち盛りの子供を抱えた我が一家も、想像を絶する辛酸を舐めていたに違いない。

 例えば、思い出せる食べ物には、ふすま御飯があった。

 小麦を粉にする際に出る麦の皮がふすまで、本来なら捨てるところだが、
 それを煮て、御飯代わりにしていたのだ。

 海藻を饂飩(うどん)にしたような食べ物もあった。
 それにカレーみたいなものをかけて食べさせられたりもした。

 いずれも不味いったらありはしなかった。

 自家製パン焼き器で、ありあわせのメリケン粉をパンにしたのもあった。

 そんな苦労をして一家の食生活を支えたのは、おふくろだった。


 時折り家の近くの道端で魚の配給があり、そのリアカーを覗いてみると、
 何やら汚い魚が山と積まれていた。

 巨体のアンコウが放り出されており、魚屋がその腹を割いたら、小魚が出てきたのを憶えている。

 お菓子なんて贅沢な食べ物は無論、口に入らないが、僅かな楽しみは山田ガムにありつけた時だ。
 松やに臭いチューインガムだが、薄い甘味がうれしかった。


 そんな状況にあっておふくろはぼくらを飢え死にさせることなく育ててくれたのだ。


 おやじもそれなりに頑張ってくれていた。
 その面で忘れることができないのは、食料の買出しである。

 リュックを背負ったおやじと一緒に千葉へ買出しに行ったときのことは、とりわけ忘れられない。

 農家を回り、サツマイモでも売ってもらおうとしたのだ。

 それでそこそこ成果が上がり、東京へ戻るわけだが、その帰りの電車が満員で、
 復員服を着た男連中がひしめき、チビのぼくはその足元で縮こまっていた。

 すると、電車が失踪中、なぜかドアが開いてしまった。

 ドア側にいたぼくに風が当たるだけならいいが、押されて電車から放り出されそうになった。

 そのとき、おやじは「子供がいるので押さないで!」と叫んだ。
 わが子を守ろうとする親の必死の願いだった。

                                      (つづく)

 ローマ在住の娘から新年のカレンダーが送られてきた。

 「うわーっ、これは凄い!」と親父はたちまち溜め息。

 その昔、実物や写真で見て感嘆したヴィンテージ・カーのオンパレードではないか!

 イタリアはクルマの最先進国であるだけに、どれほど感動的な名車を生み出してきたことか。

 それら名車群が1年12ヵ月の暦を飾っているなんて!

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 まず1月は、伝説的なブガッティで、ボディカラーは名車にふさわしく鮮やかな黄色。
 こんな乗用車がイタリアの街々をゆったりと走っていたなんて夢のようだ。

 3月の暦をめくると、イソルタ・フラッシーニだ。
 あいにくこの名称には覚えがないけれど、その長い車体の優雅なこと。

 4月のОMというクルマにも記憶はないが、
 レイアウトから察してレーシング・カーとして名を成したのだろうか。

 6月は古都ボローニャでのカーレースを描いたもののようで、
 百年近くも昔、イタリアではこんな競技が展開されていたことを知る。

 飛んで7月はシトローエンの登場だ。
 この車種は確かフランス製だと思うが、古城を背にしたレイアウトは、
 いかにもその当時のイタリアの古城を連想させる。

 おやっ、8月は米国製の大型車ビュィックの登場だ。
 何やら貴族がドライブを楽しんでいる図のようで、古き良き時代を偲ばせる。

 と思うと、9月はドイツ車の登場だ。
 同国の名車、メルセデス(ベンツ)の、しかも相当古いタイプが描かれている。

 10月になると、イタリアの名車、ランチアがが顔を出す。
 装備したタイヤも強調されているようで、タイヤ製造では最大手のミシェランも浮かび上がる。

 11月はイタリアに戻り、名門のイソルタ・フラッシーニの名が強調されている。

 そして、12月はこの暦の表紙を飾るモナコでのカーレースが描かれており、
 その熱狂ぶりがうかがえる。


 とかなんとかで、乗用車やスポーツカーの歴史の一端を楽しめるようなカレンダーで、
 ぼくのような老青年の夢をかきたてるに充分だ。

見落とした木彫り作品

 仰々しくも『我が熱中症時代』と称し、過去に惚れ込んだ趣味趣向を拙ブログに連載したことがある。

 その一環として「木彫り」を取り上げ、その作品群を写して掲載もした。(今年6月3日付け)

 ところが、それが作品のすべてでないことに最近、気付いた。
 押入れみたいな所で発見したのだ。

 ほんの3体に過ぎないけれど、それだけでも彫った当時のことが思い出され、
 あらためてカメラに収めた。

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 確か木彫りを始めた頃の作品で、拙さが目に付くけれど、旧友に再会したような懐かしさを覚えた。


 右のお地蔵さんのような木像は、最も古い作品で、ひょうきんながらも味がある。

 堅い木の切れっぱしを彫って作ったもののようで、苦心の跡もうかがえる。

 多分、これに調子づいて次々に彫り始めたはずだ。


 中央の象を模した作品は、木切れを拾ったときに象を連想したのだろう。

 もともと原型がそんな形をしていたからだ。

 木の材質が柔らかそうだったので、容易に彫り進めることができた。

 背中には壁に掛けやすいように施されているのも面白い。


 右のお面のような一品は、苦衷に満ちている自分を表しているのだろう。

 これは樫か何か堅い木を使ったもので、苦心して彫った跡がうかがえる。


 この『熱中症』シリーズでは、「刺し子」も取り上げたが、
 投稿後、なんとも心ほだされることがあった。

 自分で作った刺し子に再会できたのだ。

 以前、友人に我が刺し子作品を進呈したところ、彼が写真に撮って送ってくれたわけ。

 これまた、はるか以前に作った(刺した)もので、それが他家で健在だったのだ。

 それを久しぶりに見て、なんとも言えぬ懐かしさを覚えたのだった。
  

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