丑の戯言 栗田英二

体調不良につき、プロク゜投稿も途絶えがち

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 昨夜で幕を閉じたプロ野球・日本シリーズは、東北楽天ゴールデン・イーグルスの快勝で幕を閉じた。

 敗れたのが読売ジャイアンツ(巨人軍)だっだけに、ぼくにとって歓びが数倍に膨らんだ。

 この悲願に応えたのは、星野監督と、そのチルドレンたちだ。


 ともかく、球団創設から僅か9年目のプロ野球界きっての新興軍団であり、
 その道半ばでは、東日本大震災という物心両面での大打撃を受けたばかり。

 それがプロ球界の最古参でもある巨人軍を熱戦の末、打ち破ったわけだがら、
 アンチ巨人軍の身にとっては、喜び数倍と言えよう。


 この勝敗の流れはここで振り返らないが、どうしても頭に浮かぶのは、リーダーの星野監督のことだ。

 同氏はこれまでに中日ドラゴンズの監督時代、リーグ優勝は果たしたものの、
 一度は西武ライオンズに、翌年は(旧)ダイエー・ホークスに破れ、日本一を逸している。

 さらに阪神タイガースの監督としては、ダイエーとの決戦に敗れた。

 そして、3チーム目となる楽天の監督として今年、巨人軍を倒したわけだから、
 これを劇的と言っても良いだろう。

 プロ野球の監督生活16年目で宿敵とも言える巨人軍を遂に倒し、
 遂に日本一の栄冠に輝いたわけだから。

 この劇的な決戦については、友人からの電話で、「あの大震災が起きたのは、一昨年の3月11日、
 楽天が優勝を決めたのは、11月3日……。この因縁が不思議だ。
 また、星野監督の名が仙一で、仙台のクリネックス球場で優勝したのも奇縁」と伝えてくれた。

 これはドラマチックと言い切れるのではないだろうか。


 この日本シリーズで活躍した選手のなかでは、やはり田中将大投手が断然、光を放った。

 シーズン中、連戦連勝を重ねたのは、今さら言うまでもないが、シリーズ中では一度、
 完投勝利を挙げ、一日置いた最終日には押さえとして締めくくったのは、見事と言うほかない。

 かつて楽天の監督だった野村氏が「マー君、神の子、不思議な子」と誉めそやしたものだが、
 まさに図星と言えるだろう。

 その女房役である嶋基宏捕手のことも忘れがたい。

 派手な選手とは言えないけれど、マー君ばかりか、他の同僚投手にも尽くしていることだろう。

 この捕手の最終学歴は、国学院大学だが、今は亡きぼくの友人も同じ大学卒で、
 生前、嶋捕手のことを応援していたのが忘れられない。


 こんなご縁とも言えることを並べ立てたらキリがないが、
 ともかく、この新興軍団が最高優勝を成し遂げたことに、しばらく酔っていたい。

 なお、プロ野球チームでぼくが幼い頃から熱を上げているのは、現・北海道日本ハム・ファイターズで、
 昨年はリーグ優勝を果たしたものの、日本シリーズで巨人軍に敗退してしまった。

我が玉響の偲び その2

 おふくろに関する最古の思い出は、運動会での出来事だ。

 場所はぼくが最初に入学した中国の青島(チンタオ)の国民学校だった。

 そこで催された運動会には父母も参加しており、おふくろも加わっていた。

 そして、父母も参加する競技もあり、「栗田の母さんが転んで怪我したぞ」との声が飛び込んできたのだ。

 その瞬間の驚愕は、未だに脳裏に焼き付いている。

 母親を襲った事件に違いないと思い、ともかくも母親のもとに駆けつけた。

 そばに寄っていくと、転んで胸を打ちつけたらしい。

 でも、思いのほかけケロリとしている。

 ぼくの記憶はそこで途切れるが、おふくろは気丈な人だったとの思いは残る。


 別の日の、北京の社宅での出来事も思い出される。

 その社宅の庭の片隅に竹で組まれた垣根があり、マッチで火がつくことを覚えたぼくは、
 垣根の底部にマッチの炎を近づけた。

 すると、たちまちメラメラと燃え始めるではないか!

 そして、またたく間に垣根は火に包まれてしまった。

 腰を抜かすぼく。

 そこへおふくろが駆けつけ、どうやってだか、火を消し止めたのだった。

 さらに、ありがたいことにこの悪戯を責めず、「お父さんには内緒よ」と諭した後、
 ぼくの手を引いて隣近所の家に謝りにまわってくれた。


 悪童のぼくの悪戯や失敗では、ほかにも思い出されることがある。

 暑い夏の日、社宅の門の前に野菜や果物の物売りが来ていた。

 そのリアカーに、よく熟れたナツメがあるのを知ったぼくは、
 咄嗟に1個が2個、手に握って逃げようとした。

 ところが、門の仕切り板に突っかかって、すっころんでしまった。
 そして、地面に顔面を打ち、上唇が腫れたのを憶えている。

 そばにいたおふくろは、そのときどうしたか。

 決してぼくをなじったりはせず、そのナツメを買ってくれたのだ。


 ことほど左様におあくろに関する古い思い出では、怒声なんぞない。

 現にぼくの就学中でも、成人後でも、叱られた憶えはない。

 気短かで、いらいら屋で、手を出すのも早かったおやじとは、好対照といったらいいのだろうか。

                                        (つづく)

 玉響(たまゆら)とは、かすかなとか、ちょっとの間を意味する。

 熟語的には「玉響の心の触れ合い」が一般的な使い方だろう。

 偲び(しのび)は、懐かしく思い出すこと。

 そんな表題を掲げて今後、連載しようとするのは、
 今は亡き父と母を取り巻く我が一家の古い思い出を掘り起こし、偲んでみようというわけ。

 どんな家族にもありがちな事象を並べ立てるに過ぎないだろうが、
 ぼくなりに思い出を整理したくなったからでもある。

 「最古の思い出」

 「明治は遠くなりにけり」という言い方をひところ、よく耳にしたが、
 近年、ほとんど聞かれなくなった。

 「大正」も、「昭和」でさえも、遠い過去のように思えてくる。
 だけど、ぼくはどの時代も心の奥底に秘め隠しているようだ。

 父=おやじは明治の生まれ、母=おふくろは大正の生まれだからだ。

 その両方の時代ともぼくは故知らぬが、薄紙を剥がすようにうっすらと見える。


 ともあれ、思い出のなかのおやじの最も古い姿は、中国(当時は支那)に向かう時のことだ。

 おやじは同盟通信(戦後、共同と時事の両通信社に分離)に勤めていて、
 中国へ特派員として移り住むところだった。

 そこで乗船したのは「原田丸」という日本郵船の客船で、
 我が5人家族は神戸を出て、青島(チンタオ)へ向かっていた。

 その甲板で、おやじは当時5歳のぼくの手を引き、船長らしき人に引き合わせた。

 すると、船長はぼくら親子をその船の機関室に案内してくれたことを記憶している。
 広大で、暗い機関室が目の前に広がり、おやじは得意顔だった。


 青島に上陸後、しばらくしてぼくはそこの日本人学校に入学したが、
 その当初の思い出は、厳冬の朝のことだった。

 あまりに寒かったので、ぼくが登校に尻込みしていたら、
 おやじが人力車(ヤンチャ)を呼びつけ、それに乗せようとした。

 すると、車夫が何やら渋った。
 それを見たおやじは、車夫の顔に平手打ちを食らわしたのだ。

 その一場面が脳裏に焼き付いているが、後年、納得したのは、
 おやじは若い頃、ボクシングを習っていたからだ。

 
 やがて我が一家は、北京に移住したわけで、そこでは楽しい日々があった。

 おやじとおふくろが近隣の観光名所によく連れていってくれたのだ。
 北海(ペーハイ)公園や天壇(デンダン)などが記憶にある。

 行けば、習慣的におやじは双眼鏡を携えるのだった。
 それをぼくがなぜか肩代わって持ち、走ったはずみに落としたことがある。

 そして、双眼鏡のレンズが割れてしまい、おやじにきつく叱られた。
 あとあとになっても、その一件では怒りが収まらなかったようだ。

 
 ともあれ、青島でも北京でも、あの頃、青空がやたらに広く、済んでいた。
                                     (つづく)

身辺機器の不調に泣く

 前回の拙ブログでは、愛用の腕時計を主題にしたのですが、画像を載せられませんでした。

 当の腕時計の写真を撮ってその映像をパソコンに取り込もうとしたのですが、
 いつもと違い、どうしたわけか、望みどうりに本文に移動できなかったからです。

 その事情を知った友人が修復の仕方などいろいろと教えてくれたので、
 いずれは文面に復帰できるはずですが……。

 
 その件と相前後して我が家のテレビが働かなくなってしまいました。
 十年ほど愛用してきた大型のテレビですが、突然、映像が出てこなくなったのです。

 「こりゃ、お釈迦かな?」と腹を決め、近くの大型電器店へ行き、代替を検討したわけです。
 それで店内に展示されている各メーカーのテレビを見て、びっくり仰天。

 旧型のテレビとまったく異なっているではありませんか!
 受像機本体が薄っぺらで、旧型のとせっしりしたのとは大違い。

 映像はあくまでも鮮明で、映画館のスクリーンのようです。

 そこで一気に腹を固め、優しい女子店員と話した結果、購入機種を決めました。

 
 数日後、その新型テレビが我が家に運び込まれました。
 そして、すぐさま旧型の故障テレビと取り替えて設置。

 映像を出してみると、見事に鮮明で、音響も心地良く聴こえる。

 「さあ、これでテレビ観賞を楽しめるぞ」とウキウキしたものです。
 それにテレビといえば、衛星(BS)とケーブル(CATV)で観賞するのが楽しみ。

 そこで付随のリモコンで早速、BSとCAにチャンネルを合わせようとしたものの、
 それらの映像がなかなか出てこないではありませんか!

 取扱い説明書をひっくり返しても、そのやり方は分からない。

 早速、プロバイダーに電話して助けを求めたところ、翌日、技師が来訪し、何やら操作して帰った。

 その後、BSなどを出してみようと試みたところ、やはり地上波しか出てこない。

 やむなく、もう一度、プロバイダーに懇願したところ、すぐさま別の技師が来訪。

 その人は別のリモコンを持ってきてくれて、チャカチャカやっているうちに仕事が完了、
 そうしたら、BSもCAもちゃんと観られるじゃないですか!


 「やれやれ」と思ったのも束の間。

 お次は、一階の居間から外に出るドアが開閉しなくなってしまったのです。

 大きくて頑丈な扉で、レールに乗って滑らせ、開け閉めできるわけですが、
 それには、しっかりとした錠が付いている。

 その錠がいくら力を込めても微動だにしない。

 このドアが開かないことには、外部に突き出ている縁側に出入りできず、困ったことになる。
 縁側には電気洗濯機があるのですが、それを使うには表玄関から出て、家を一回りしなくてはならず。

 それでは不便なので、この家の設計・施工会社に電話して訴えたところ、
 翌日、すぐに担当者が来てくれました。

 そして、何やら点検してくれたところ、たちまち開閉するではありませんか!

 何のことはない、このドアにはロックが2か所に付いており、上部ロックが閉まったままでした。
 それをすっかり忘れていて、床に近いロックが故障したとばかり思い込んでいたのです。

 あっという間に一件落着とは、このことを言うのでしょう。
 逆に言えば、当の住人のぼんくらさを露呈したようなものです。


 ともあれ、"後期高齢者゛の独り暮らしとなると、これからも失敗やら何やらを仕出かしそうです。

我が腕時計の思い出

 この黒い腕時計を50数年、愛用している。
 つまり、初めて所有したのは、会社勤めをしたはがりの頃だった。

 その頃、上司が初の海外出張として欧州各地に赴いた。
 そして、当時の海外出張者としてはご他聞に洩れず、みやげ物を買い込んで帰ってきた。

 そのひとつがオメガ製の腕時計で、目的は夫人を喜ばせるためだった。

 ところが、夫人に差し出したところ、「こんな男っぽいのは、いやよ」と拒まれたという。

 それでがっかりした上司は、思いを巡らせたのだろう。
 その結果、「部下にやっちゃおう」となり、ぼくに回ってきた。


 通常、オメガでなくとも、この種の防水時計、つまり潜水用の腕時計は、
 男ものであれば、もっと大きい。

 だけど、ぼくの細腕であれば、この婦人用でも違和感がない。

 かくして実に長期間、この腕時計を愛用しているわけ。

 そして、今さらながら驚嘆するのは、50数年、まったく故障せず、動き続けていることだ。

 ただし、自動巻きではないので、毎日、ネジを巻かないと止まってしまう。

 それが難といえば言えるけれど、黙々と動き続けるのは、さすがである。

 むろん、海で泳ごうが、風呂に入ろうが、付けっぱなしでも支障はない。

 オーバーホールに出したこともない。

 難といえば、ネジを巻かずに放っておくと、一日もせずに止まってしまうことだ。
 それが面倒といえばいえるが、まあ、許容範囲だ。

 そんな腕時計が自分より長生きするするのかと思うのは、脅威でもある。


 (なお、当の腕時計をカメラに収めたところ、パソコンの機嫌が悪く、ここに載せられず)


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