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いまや武井義明という名前を憶えている人は、どれほどいるだろうか。
終戦の数年後、日本は時ならぬジャズ・ブームに沸いた。
とくに都会人は、すっかりアメリカかぶれして、
それに呼応するように進駐軍のキャンプまわりをしていた即席ジャズメンは、
日本人向けの桧舞台にも躍り出て、
人々はスターシンガーやスターバンドに群がった。
それも一段落した昭和三十年代の初め、
なみいるジャズ・シンガーのなかで、ひときわ光彩を放っていたのが武井義明だ。
折からジャズ専門誌の《スウィング・ジャーナル》が主宰する歌手ベストテンでは、
この人が2、3年間にわたってトップに推されていた。
やがて各家庭にぼちぼちテレビが入り始めた。
あのころはテレビという言い方はあまりせず、
テレビジョンか、人によってはテレベーションとも言っていたっけ。
人気番組は、なんといっても力道山が暴れまわるプロレスであり、
ジャズの演奏を交えた洒落たコメディも台頭していた。
このジャズ交じりの番組に颯爽と現れたのは、
男の歌手では笈田敏夫、柳沢真一、黒田美治、旗照夫などのほか、
日本に帰化したらしいジェームス繁田、ビンボー・ダナウなどであった。
女ではナンシー梅木、ペギー葉山、マーサ三宅、丸山清子、新倉美子などに、
未成年ながら江利チエミ、雪村いづみも登場していた。
大学に入りたてのころのぼくにはよく分からなかったが、
これらのジャズ歌手はどこで学んだのか、
英語の歌詞を器用に唄いこなしていたように思えた。
邦訳の歌詞を交えることも多かったけれど。
とにかく、そんな歌い手がジャズ界に勢揃いしているなかで、
ぼくにとっては武井義明が断然、光り輝く大スターだった。
ミュートをかけたような甘く優しい声といい、歌の躍動感といい、
加えてソフィスティケートされた容姿……。
本人は高知県出身だそうだが。
アメリカから来日中の女性歌手が「ヨシ、ヨシ」なんぞと呼んで、
彼と親しく話していたこともあり、ちゃんと英語が話せるんだなあと感心もした。
武井義明が得意なのは、「虹の彼方」や「国境の南」で、
聴いていると、行ったこともないアメリカの大地を彷彿とさせるようだった。
そうだ、そんなジャズやポップスが荒波のように押し寄せてきたことによって、
日本人の多くは、アメリカへの憧れを醸成していったのではないでしょうか。
近年のようにアメリカが病める国だなんて思ってもいなかっただけに、
かの国に純真な憧れを抱いていたのだろう。
話は武井義明に戻るが、
確か昭和も四十年代になってから、その姿や歌声が忽然と消えてしまった。
ジャズ学校を設立したなんて噂を聞いたような気もするが、
少なくともテレビではお目見えできなくなった。
いったい、どうしたのだろうか?
いまや、幻のジャズ・シンガーか。
」
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