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毎年8月15日の終戦記念日になると、
昭和20年のその日のことが脳裡を駆けめぐる。
当時、ぼくは北京第一国民学校(今の小学校)の2年生だった。
その日、夏の真っ盛りのもと、ぼくら生徒は校庭に整列し、
壇上にあるラジオから聞こえてくる玉音放送に耳を傾けていた。
天皇陛下による日本敗戦のお言葉だったが、
その内容は少なくともぼくにはよく分からなかった。
やがて校庭での集合は解散となった。
次に目にし耳にしたのは、教室に駆け込んだ上級生の泣き声だった。
かねて憧れていた上級生までもが、大きな声で泣いていた。
「大変なことになったんだ」と実感したのは、そのときだった。
ただ、今もって分からないのは、8月15日のこの日、
なぜ、登校したかということ。
当然、夏は猛暑の北京だから、夏休みの真っただ中だったろう。
それなのに全生徒が集まったのは、急の報せで登校を命じられたに違いない。
ということは、その日、学校側は天皇陛下の重大なお話があることを
すでに知っていたことになる。
話は逸れるが、大東亜戦争から太平洋戦争にかけて、
ぼくは父親の仕事の関係で青島〜北京で暮らしていた。
その間、内地(死語か)では空襲に遭うことしばしばだったようだが、
ぼくの経験した限り中国では敵機による空襲など経験していない。
それだけに8月15日の敗戦の報せには驚いたのだった。
さて、その半年余り後、ぼくは家族と共に母国に引揚げてきた。
当時の苦労話は措くとして、引揚げ後には東京の小学校に転入し、
貧しいながらも平穏な日々を送り、成長していった。
同時に友も出来た。
そして、その何人かに終戦日に関する話を聞き出そうとした。
ある友は「疎開先にいたので」とか、別の友は「夏休み中、学校に行かなかった」とか、
ぼくの中国での体験とはズレがある。
その疑問は現在も、そのままになっている。
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