|
おふくろに関する最古の思い出は、運動会での出来事だ。
場所はぼくが最初に入学した中国の青島(チンタオ)の国民学校だった。
そこで催された運動会には父母も参加しており、おふくろも加わっていた。
そして、父母も参加する競技もあり、「栗田の母さんが転んで怪我したぞ」との声が飛び込んできたのだ。
その瞬間の驚愕は、未だに脳裏に焼き付いている。
母親を襲った事件に違いないと思い、ともかくも母親のもとに駆けつけた。
そばに寄っていくと、転んで胸を打ちつけたらしい。
でも、思いのほかけケロリとしている。
ぼくの記憶はそこで途切れるが、おふくろは気丈な人だったとの思いは残る。
別の日の、北京の社宅での出来事も思い出される。
その社宅の庭の片隅に竹で組まれた垣根があり、マッチで火がつくことを覚えたぼくは、
垣根の底部にマッチの炎を近づけた。
すると、たちまちメラメラと燃え始めるではないか!
そして、またたく間に垣根は火に包まれてしまった。
腰を抜かすぼく。
そこへおふくろが駆けつけ、どうやってだか、火を消し止めたのだった。
さらに、ありがたいことにこの悪戯を責めず、「お父さんには内緒よ」と諭した後、
ぼくの手を引いて隣近所の家に謝りにまわってくれた。
悪童のぼくの悪戯や失敗では、ほかにも思い出されることがある。
暑い夏の日、社宅の門の前に野菜や果物の物売りが来ていた。
そのリアカーに、よく熟れたナツメがあるのを知ったぼくは、
咄嗟に1個が2個、手に握って逃げようとした。
ところが、門の仕切り板に突っかかって、すっころんでしまった。
そして、地面に顔面を打ち、上唇が腫れたのを憶えている。
そばにいたおふくろは、そのときどうしたか。
決してぼくをなじったりはせず、そのナツメを買ってくれたのだ。
ことほど左様におあくろに関する古い思い出では、怒声なんぞない。
現にぼくの就学中でも、成人後でも、叱られた憶えはない。
気短かで、いらいら屋で、手を出すのも早かったおやじとは、好対照といったらいいのだろうか。
(つづく)
|