丑の戯言 栗田英二

体調不良につき、プロク゜投稿も途絶えがち

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 その昔、我が娘たちが幼かった頃に愛用していた食堂テーブルに再会できた。

 下の娘が先日、引越しをしたので、その機会に実家から贈られたそうだ。

 それを知った時、どんなテーブルかを思い出せなかった。

 しかし、気になって仕方ないので、写真に撮って電送してほしいと頼んだ。
 すると、間なしに送られてきたのが上の映像だ。


 見た途端、往時のさまざまなことが蘇ってきた。

 まず、このテーブルはいかにも自分好みの純木製で、しかも折り畳むことができた。

 大勢で食事するときとか、皿などの食器がたくさん並ぶ時には、広げられるのだった。

 往時の賑やかな夕食の光景が思い出される。


 また、あの当時からか、純木製の家具や調度品にこだわっていたことが分かる。

 それは今でも続いており、合成樹脂などで造られた物は避けている。

 そんなこだわりが浮かび上がってくる思い出深い一品ではないか。

 
 ところが、あっちこっちに引っ越したり、一家が分散するに従い、
 忘却の彼方に消えそうな家具もある。

 加えて人間、年齢を経るに従って何事も構わなくなってしまうのだろうか。

 今となっては、家具調度品なんぞ、どうでもいいやとの諦観にも似た思いに陥っていく。


 思わず再会できた古き家具に出合えてうれしかったけれど、
 最早、精神の復興が無理なことも思い知らされた次第。

 東北の秋田県に行ったことはないが、このほど後輩が旅してきた。

 その際に撮ったという画像を見ると、なんと素敵な海岸線かと感心した。

 湘南なんぞとは比べようもないほど大気か澄み切っているではないか!

 季節がら海べりは風が強く、かなり寒いそうだが、それだけ透明度が高いのだろう。

 人影がまったく見られないのは、寒さのためか、いつもそうなのかは分からないが。

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 さんな浜辺に発電のための風車が建ち並んでいる。

 全部で17基に及ぶそうだが、これで近隣への電力を賄っているのだろう。

 以前にも風車群の映像を送ってもらったことがあるが、
 これら無公害の装置は冷ややかに見えるものの何か温かみを感じさせる。

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 秋田といえば白神山地が頭に浮かぶが、画像の左奥に見えるのがそれだ。

 隣の青森県にも連なる標高千メートル級の、本州最北端の山地だそうである。
 ユネスコの世界遺産に認定されていることでも知られる。

 それが我が国の自然遺産では二番目だったようだ。

イメージ 3


 こうして見ると、自分はまだ東北地方にはご縁がないことを思い知らされる。

 一足飛びに北海道に渡った経験はあるものの、なぜか東北への旅は実現していない。

 もし行くとすれば、夏季に実行したいと思うのだが……。


                               (注釈 文章と画像が一致しませんでした)

我が玉響の偲び その8

 中国から引揚げた後、東京に移り住むようになったのは、前述した。
 杉並区の高円寺にある親戚の家が我が一家を引き受けてくれたのだ。

 ぼくは小学校の4年生になっており、遊び盛り、いたずら盛りの頃で、
 忘れられないのは、命拾いしたことだ。

 その家の玄関先には大きな松の木が植わっており、それによじ登るのもガキの楽しみ。

 で、ある日、おふくろの目を盗んで自家製パンを掴み、
 その松の木に登って下界を見下ろしつつ空腹を満たそうとした。

 ところが、腰掛けていた松の枝が折れ、まっさかさまに転落。

 鼻と耳から出血し、気を失いかけたところ、近くの外科医院に運んでくれたのが、
 おふくろのようだった。

 そして多分、数時間後、おやじが職場から駆けつけてきた。

 後日、おやじはそのときのことを「息子が死んだとばかり思ったぞ」とのこと。

 ともあれ、1週間ほど入院したところで、家に戻れるようになった。


 こうして何ヶ月か居候に耐えたところで、朗報がもたらされた。

 小学校での同級生が「うちに引っ越してきたら」と手を差し伸べてくれたのである。

 その家は我が一家が間借りしていた家からすぐ近くで、辺りを睥睨する大きな邸宅だ。
 
 家主は陸軍の将校だった人で、兄弟がたくさんいたが、我が一家のために一部屋空けてくれるというのだ。

 勇躍して6人家族は引越しを済ませてわけで、ぼくは鼻高々だった。

 しかし、いやなこともあつた。

 一例は、近所仲間と遊んでいたら、意地悪なガキが「ヤーイ、居候」ど冷やかすのだ。

 ぼくはいたたまれなくなり、家に駆け込んだところ、井戸端でおふくろが洗濯中。
 「こんな家、出てしまおうよ」と、すがりついたものだ。


 そんなこともあったが、やっと引越しできる日がやってきた。

 おふくろの奔走が功を奏し、都営アパートへの入居が決まったのだ。
 
 場所は渋谷区原宿で、神宮球場のある新宮外苑に接しており、
 引揚げ家族が多く暮らしているという旧利軍の兵舎だ。

 それがどんなアパートか、姉とぼくは早速、下見に出掛けた。

 国鉄(現JR)中央線の信濃町駅を降りて、神宮外苑を抜けたところで、
 その大きなアパートが眼前に現れた。

 それを見たときの喜びは忘れられない。

 4階建ての薄汚れた元兵舎だが、その一部屋に住むことができるのだから。

 屋上に上がってみると、西方遠くに富士山が輝いて見えたのは忘れられない。


 それ以降のことは、昨年12月に『転々とした我が棲家』と題する雑文を投稿済みなので、
 この『我が玉響の偲び』は、ここで筆を置く。

続・木彫り作品

 先日来、木彫りの作品を相次いで拙ブログに投稿した。

 ところが、その後、拙宅には他に木彫りがあることに気付いた。

 ただし、自作ではなく、数年前に買ったり、いただいたものだ。

 だったら、しつこいようだが、それらも写真に撮って続編にと思い立った。

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 見てのとおり、やはりアフリカっぽいものが多い

 とりわけ左のお面みたいなものと、右から二番目の坐像はアフリカっぽい。

 個々の作品の曰く因縁は知らないが、どこかで買い求めたに違いない。

 その場合、やはり原始的な雰囲気のある作品に惹きつけられたのだろう。

 そして、込み入った彫り方から見ると、しかるべき職人か、芸術家の作品にも思えてくる。

 なかでも中央の背の高い裸像は、西洋人的でもあり、見事な作品だ。
 この材は、かなり堅い木のようで、磨くとさらに魅力的になるだろう。

 これを買ったとすれば、結構な値段に思えるが、どこで、いくらで入手したかは思い出せない。

 
 その裸像の足元に横たわっているのは、実は自分の娘の作品だ。

 鯨を模して彫ったものと思われるが、稚拙ながらも愛嬌がある。

 当時、その娘は伊豆七島の、ある島で働いており、海辺で見付けた木切れで彫ったのだろう。

 折柄、おやじ(ぼく)が木彫りに熱中していたので、その影響を受けたと思うと胸が熱くなる。


 ともあれ、それぞれの木彫りは目下、我が家のあちこちに産卵している。

 それらを時折り目にすると、何やら生き抜く力が湧いてくるようだ。

我が玉響の偲び その7

 中国の天津からLSTに乗せられて引揚げた先は、山口県の仙崎であった。

 そこから各人は故郷などへ帰るのだったが、我が一家は末っ子の治療のため、
 まず向かったのは、同県の小串にある旧陸軍病院だ。

 初春の頃で、おふくろと幼い末っ子を除き、おやじを始めとしたぼくらは、
 病院の前にある海岸で遊んだものだ。

 それから間もなくして一家全員で東京に移り住むことになる。

 親戚が杉並区の高円寺で暮らしており、その家が我が一家を引き受けてくれたのだ。

 こうしてまずは東京で暮らせるようになり、おやじの仕事の足場にもなった。

 おやじが戦前・戦中に勤めていた同盟通信は解体され、時事通信と共同通信に分離したわけで、
 おやじは前者に職を得たのだ。


 それはともかくとして東京に移り住んで早々、次に襲ってきた難事は食料難であった。
 終戦直後の数年間、日本中が飢えに苦しんでいたのだ。

 4人の育ち盛りの子供を抱えた我が一家も、想像を絶する辛酸を舐めていたに違いない。

 例えば、思い出せる食べ物には、ふすま御飯があった。

 小麦を粉にする際に出る麦の皮がふすまで、本来なら捨てるところだが、
 それを煮て、御飯代わりにしていたのだ。

 海藻を饂飩(うどん)にしたような食べ物もあった。
 それにカレーみたいなものをかけて食べさせられたりもした。

 いずれも不味いったらありはしなかった。

 自家製パン焼き器で、ありあわせのメリケン粉をパンにしたのもあった。

 そんな苦労をして一家の食生活を支えたのは、おふくろだった。


 時折り家の近くの道端で魚の配給があり、そのリアカーを覗いてみると、
 何やら汚い魚が山と積まれていた。

 巨体のアンコウが放り出されており、魚屋がその腹を割いたら、小魚が出てきたのを憶えている。

 お菓子なんて贅沢な食べ物は無論、口に入らないが、僅かな楽しみは山田ガムにありつけた時だ。
 松やに臭いチューインガムだが、薄い甘味がうれしかった。


 そんな状況にあっておふくろはぼくらを飢え死にさせることなく育ててくれたのだ。


 おやじもそれなりに頑張ってくれていた。
 その面で忘れることができないのは、食料の買出しである。

 リュックを背負ったおやじと一緒に千葉へ買出しに行ったときのことは、とりわけ忘れられない。

 農家を回り、サツマイモでも売ってもらおうとしたのだ。

 それでそこそこ成果が上がり、東京へ戻るわけだが、その帰りの電車が満員で、
 復員服を着た男連中がひしめき、チビのぼくはその足元で縮こまっていた。

 すると、電車が失踪中、なぜかドアが開いてしまった。

 ドア側にいたぼくに風が当たるだけならいいが、押されて電車から放り出されそうになった。

 そのとき、おやじは「子供がいるので押さないで!」と叫んだ。
 わが子を守ろうとする親の必死の願いだった。

                                      (つづく)

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