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ドイツ文学者の池内紀(おさむ)の話ぶりが以前から気に入っている。 |
読書
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頭記を主題に『最果ての要衝・占守島攻防記』を副題とする本書を目にしたのは、 |
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磯遊びが好きな者にとって欠かせないのは『潮時表』だろう。 この場合、磯や海辺で遊ぶとは、釣りや潜りや波乗りなどを表している。 上の小さな冊子がそれで、ぼくにとっては長年、海の関するバイブルだ。 釣具店で1部百円ほどで買えるのだから、ありがたい。 それで1年12カ月の毎日の潮の干満が分かる。 潮とは、小潮〜長潮〜若潮〜中潮〜大潮という順で巡るもので、 月に1回、朔月と望月(満月)があり、その日の前後が大潮だ。 大潮は潮の干満が最も大きいわけで、この数日間、 潮が最も大きく引く昼前のひとときが潜るのに絶好のチャンス。 釣り人にとっては、大潮の日は魚の餌づきがよい。 ただし、大潮でも季節によって干満の度合いが異なる。 3月から4月にかけの春季、9月から10月にかけての秋季の一時期、 潮がいちばん引く。 俗に〈春の大潮〉〈秋の大潮〉というわけで、 その日程を『潮時表』で確かめながら、胸躍らせる。 そのころ磯へ行くと、それまでなかったほど潮が引いており、 ぼく流の獲物があらわになつているという次第だ。 あるいは潜ると、日頃は深めの所が浅くなっており、収穫がより容易になる。 ただし、ぼやぼやしていると、潮の満ち引きが速いので、好機を逸することも。 ところで、潮の干満は月の引力によっているらしい。 その原理など詳しく知らないが、 干満は通常、日に2回あるというのも不思議だ。 月と地球の不思議な関係に想いを巡らせてしまうわけだが、 それを解明していった人間の知恵にも恐れ入る。 また、『潮時表』に示されている細かい時刻は、 東京芝浦に標準時刻を定めてある。 例えば、今月の大潮で最も潮が引くのは、23日午前10時58分だが、 これは芝浦を基準にしたもので、 湘南に引き直すと、マイナス0.5分になるとか。 そんな細かいことまで気にしないけれど、ともかく『潮時表』を眺めつつ、
磯遊びの日取りや時刻に思いを馳せるのは楽しい。 |
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これまでに吉村昭の著作を多く読んだわけではない。 『戦艦武蔵』などの戦記物や歴史物の一部だけだが、 いずれもその調査力や執拗な取材に驚嘆させられた。 今回はその作家のエッセーとも自伝とも言える『昭和歳時記』を読み始めたら、 もう、引き込まれてしまって止まらない。 文春文庫による初版は平成4年で、このほど第2版が出たのだ。 目次に目を通したら、著者本人の生い立ちや体験などが盛り込まれている。 それを見ただけで、ぼくが求めていた本だと感じた。 〈あとがき〉に「私の生年月日は昭和2年5月1日である。 前年の大正15年末に大正から昭和に改元されているから、 私は昭和という時代を充分に生きてきたことになる」と記されている。 ぼくより10年ほど先輩になるが、それだけに昭和という時代の、 この国の暮らしなどが如実かつ的確に描かれているようだ。 一例を引くと「戦前の東京の冬は、ことのほか寒気がきびしかった。 雨戸を開けようとしても、凍りついて開かない朝もある。 水道は水が凍って出ないので、管を藁で巻き、さらに熱湯を注いだりした」などとある。 著者は東京の日暮里駅近くの中流家庭で育っており、 戦前から戦後しばらくの街の様子についても詳しく述懐している。 その中身は特別な記憶力の成せる業か、調査力のせいか、非常の詳しい。 二部から成っており、第一部の《昭和の下町》は、〈物干し台〉〈焼け跡での情景〉 〈帽子と履物〉〈電灯とリヤカー〉〈病気あれこれ〉〈火の見やぐらと長火鉢〉 〈映画とラジオ〉〈闇の中の都電〉など。 第二部《昭和歳時記》は、〈桜〉〈蛙〉〈パナマ帽〉〈虱〉〈茸採り〉 〈月と星〉〈冬の夜語り〉〈夜汽車〉と続く。 どれもこれもあの時代が浮かび上がり、ぼくぐらいの年配の者には、 懐かしく思い出されることが盛り込まれている。 戦後以降に生まれた人たちには、彼我の差がどんなに大きいか、 再認識するためにも読んでほしい一冊でもある。 私的な余談になるが、吉村昭氏とは一度、声を交わしたことがある。 この人の夫人は芥川賞作家の津村節子さんで、 彼女にちょっとした用事があり、自宅に電話した。 そのとき受話器に出たのがご主人の吉村氏のほうで、 なんとも暗い声で応答してきた。 「津村さん、おられますか?」と切り出したら、「オーイ、電話だぞ」との声。 そのぶっきらぼうさに、こちらはおののいたのだった。 因みに、吉村昭は4年前に他界している。
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