丑の戯言 栗田英二

体調不良につき、プロク゜投稿も途絶えがち

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 年月をかけて愛読した文章がある。

 テレビドラマの演出家として鳴らした久世光彦著『マイ・ラスト・ソング』だ。

 月刊誌《諸君》に長い間、連載されたもので、
 それらがまとめられて単行本として出たのが5、6年前から。

 単行本は5冊にわたり、次々に読んだのだった。

 その内容について記憶が薄らいだところ、このほど文庫本として一冊に再編集された
 『ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング』が出版された。

 むろん買い求め、読みなおすことができた悦び。


 ここで言う「ラスト・ソング」の意味は、
 「末期(まつご)の刻(とき)に一曲だけ聴くことができたら、
 どんな歌を選ぶか……」と、この本に綴られている。

 自分が死ぬ寸前に聴きたい歌(または音楽)というわけ。

 既刊の5冊にはそんな歌が合計119曲も盛り込まれている。
 新刊の文庫本では、そのうち53曲(歌手や作者も含む)に絞り込まれた。

 そんなわけであらためて読み始めたが、
 聴き覚えのある歌や曲が続々と出てくる。

 ジャンル分けすると、歌謡曲、童謡、ジャズ、ハワイアンなどなど、
 要するに、久世光彦の愛唱歌と言えばいいか。

 それがまた、識見豊かで、鑑賞眼(?)が鋭く深い。
 通り一遍の音楽通を超えている。

 そして、文中の底辺に流れるのは、聴いた時代の背景だ。

 著者は昭和10年生まれなので、戦前から戦後、
 そして、自らドラマの演出家となった近年まで亘っている。

 あたかも"昭和史"を再読させられるようだ。
 文章が特段に上手いだけあって、その時代時代が浮かび上がってくる。

 歌の一端を抽出すると、
 「港が見える丘」「何日君再来」「バイヤ・コンディオス」「酒は涙か溜息か」
 「インターナショナル」「爪」「月の砂漠」「昭和枯れすすき」などと続く。

 そして、これらの歌を聴くたびに涙したことを著者は吐露する。
 よほど感性が豊かなのか、涙もろいのか、とにかくよく泣く人だ。

 と同時に、〈末期の刻〉の一曲にとどまらないことが分かる。
 愛唱歌の総ざらいと言ってもいいほどだ。

 それだけに著者は書いていて、さぞかし愉しんだことだろう。


 読んでいてそう感じるとともに、こちらも考えてしまう。
 自分が末期に至ったときは、どんな歌や曲を聴きたいかと。

 以前から心に仕舞ってあるのは、ボロディン作曲の「中央アジアの草原にて」だ。
 叙情性が豊かで雄大なのが死の床に似合う。

 死ぬ勇気をもらうならヴェルディの歌曲「ナブッコ」のテーマ曲だ。
 「行け、想いよ、黄金の翼に乗って」という題名も好きだし、旋律も勇気づけられる。

 若き日を回想するなら「琵琶湖周航の歌」だ。
 ♪われは水の子 さすらいの旅にしあれば……を耳にするだけで、青春が蘇りそう。


 だけど、言ってはなんだけど、
 久世光彦が急逝したのは3年ほど前で、享年70歳だった。

 急性心不全だったそうで、最期の枕辺でマイ・ラスト・ソングを耳に出来たかどうか。

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 心を揺さぶれる歌がある。その一節はこうだ。

    ♪世界中でいちばん嫌いなものは かあさんの怒った顔
     世界中でいちばんうれしいのは かあさんの笑った顔
     世界中でいちばんつらいのは かあさんの泣いた顔

 こんな歌い出しで、このあとにドラマチックな歌詞がつづく。

 要約すると、幼い息子が五円玉を貯金して、
 母親に真新しい下駄をプレゼントするというもの。

 すり減った男物の下駄を履いている働き者の母親に贈ったのだ。

    ♪ぼくが初めて 生まれて初めて
     かあさんの涙を見たのは
     それは小学六年生の冬

 これが結びとなるこの歌のタイトルは「かあさんの下駄」だ。

 中村ブンの作詞・作曲で、心温まるこの歌は長年、作者自身の歌声で、
 ラジオやテレビで流され、多くの人の心を掴んでいる。


 このほどこの歌を軸にした『かあさんの下駄』と題する絵本が出版された。

 中村ブン/作、パント末吉/画で、手に取った途端、
 上記の歌が鮮やかによみがえってきた。

 読み進むうち、この歌を初めて聴いたときに勝るほど感激した。

 耳で聴いた歌詞でも、筋書きはおおまかに分かったけれど、
 この絵本には具体的に「下駄」を贈るまでの話が盛り込まれているのだ。

 それであらためて胸を打った。

 なぜかって、今の世では考えられないような母子の情愛にあふれているから。
 それが貧しい家の子ときているので、いっそう素晴らしい。

 この国がまだ、経済成長とやらに向かう前、
 あんなことがあったんだなあとも、あらためて思い出される。

 純粋な人間愛や家族愛が活きいきとしていたころだ。


 書き遅れたが、この絵本の文章がまた、とても上手だ。
 平易な詩を読むようにリズミカルでリアルなのがいい。

 それにパント末吉の絵がまた、素晴らしい。
 文章とうまく噛み合っており、郷愁まで覚える。

 なお、中村ブンはギターを抱えながら全国で自作の歌を聴かせている。

 ぼくは今年三月の雛祭りの日、赤坂の草月ホールでのコンサートに行き、
 初めて彼の舞台に接し、その感動を当ブログで伝えた。
 

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 先月は『特務艦「宗谷」の昭和史』を感動とともに読了した。(8月13日付)

 その余韻に浸っているころに手に入れたのが、『東京アンダーナイト』。
 副題に「"夜の昭和史"ニューラテンクオーター・ストーリー」とある。

 参ったなあ。読み出したら、またも止まらなくなってしまった。
 「昭和史でも、とくにその裏面にひとかたならぬ関心があるからだ。

 本の帯からして惹きつけられる。

 つまり「力道山刺殺事件の真相!! 刺した男と目撃した著者が揃って証言!
 児玉機関、GHQ、豪華ショー、芸能人、ヤクザ……。
 "東洋一"と謳われたナイトクラブで何が起こったのか?
 オーナー自らが衝撃の証言で綴るノンフィクション!」

 まず興味深かったのは、あの力道山事件だ。

 時代のヒーローだった力道山は昭和38年の暮れ、
 赤坂のニューラテンクォーターに遊びに行った。
 何軒かハシゴをしての後だけに酩酊状態で。

 事件が起きたのは入店した直後で、洗面所にいた力道山を刺した男がいた。
 恐れられた住吉連合の下部組織に属する組員が、
 すれ違いざまに力道山をドスで刺したのだ。

 その一部始終と、その刺殺犯との最近の会話までが詳細に記してある。

 同書の著者、山本信太郎がその場に居合わせて目撃し、
 その後40数年を経た最近、犯人だった男から真相を聞き出してもいるのだ。

 それ自体、驚きの内容だ。

 山本信太郎という人は、ニューラテンの実質創始者であり、
 同店に隣接するホテル・ニュージャパンが火災後、
 ニューラテンを閉鎖するまで社長の任にあった。

 その〈事件〉の真相も興味深かったが、
 全盛期のころのニューラテンの内実をもっと知りたかった。


 赤坂の中心地に開店したのは、昭和34年。
 皇太子ご成婚と時を同じくしている。

 時代は、日本が経済復興に走り出し、夜の繁華街が爛熟期を迎えてもいた。

 そして、ニューラテンの名声が鳴り響いたのは、
 開店早々から大物外国ミュージシャンを同店の舞台に上げたことだ。

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 抜粋するだけでも、
 トリオ・ロスパンチョス、ミルス・ブラザーズ、ナット・キング・コール、
 ザ・プラターズ、ルイ・アームストロング、パテイ・ページ、
 サミー・ディヴィス jr、パット・ブーン、アーサー・キット、
 カテリーナ・ヴァレンテ、ジュリー・ロンドン、フォー・フレッシュマン、
 フランキー・レーン、ピーター・ポール&マリー、ペニー・グッドマン、
 ハリー・ジェームス、ローズマリー・クルーニーなどと続く。

 ただし、以上は開店5年後までの外国人出演者に過ぎない。

 ともあれ、名声を馳せたスターがニューラテンのショータイムを彩っていた。

 そのような〈豪華ショー〉に惹きつけられるように、
 客筋も一流どころと言えばいいか。

 著者と親交のあった勝新太郎や石原裕次郎を始めとする
 キラ星のごとき芸能人が常連客となっていたという。

 名声のほどはともかくとして一流企業の幹部からその筋の有力者までも、
 通い詰めていたようである。 

 それこそ『東京アンダーナイト』であり、"夜の昭和史"が描かれている。

 しかし、さしもの豪華ナイトクラブも、
 その地上に建つホテル・ニュージャパンの不慮の火災(昭和57年)により傾く。

 実際にニューラテンが閉店のやむなきに至ったのは、
 その5年後の平成元年であったが。

 この火災から閉店に至る経緯も、詳述されている。
 そこに虚業家といわれた横井英樹の影が見え隠れする。


 こんな本が出ていたのをぼくが知ったのは、つい先日。
 実際には2年ほど前に出版されていたが、知らなかったのだ。

 教えてくれたのは、ニューラテンのホステスとして"ナンバー"だった女友達。

 そこで思い出したのは、あの当時のことである。

 まだ現役ばりばりのころ、ぼくは夜な夜な銀座、赤坂、六本木に足を向けていた。
 主に大手企業の幹部や営業マンの接待によるもので、
 おかげでニューラテンでも何度か遊ばせてもらっている。

 むろん、遊興費はスポンサー持ちとなったわけだが、
 前記の元ホステスに訊いたら「最低でも1人5万円以上よ」とのこと。

 となると、例えば売れっ子スターが仲間十数人を引き連れ、
 飲み食いしていたのを間近に見たことがあったが、
 その遊興費は数十万円しただろうな。

 ほかに銀座ではクラウンやモンテカルロ、赤坂ではコパカバーナなどでも、
 遊ばせてもらったが、いまやこれらのクラブは消滅したようである。

 昭和は遠くなりにけり、か。
 
 
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 昭和30年代の前半、人々の関心と興奮を呼び起こしたのが、
 南極観測船の宗谷だった。

 あのころ政治・経済・文化などの出来事は、
 今とは比べものにならないほど貧弱。

 それだけに、折柄の南極観測年にあたり、
 宗谷が一躍"大スター"となって登場し、
 日本中の耳目を集め、夢をもたらしてくれたのだった。

 しかし、あれから数十年を経て考えてみると、
 この特殊な船舶は、何だったのか。

 その生い立ちや、南極前後の経歴などは知らないことばかり。


 さきに新潮社から出版された『特殊艦「宗谷」の昭和史』が、
 その疑問と関心を丁寧・緻密に説いてくれた。

 著者は、作家の大野 芳(かおる)。

 本書からかいつまんで説くと、まず生い立ちが複雑だ。
 建造発注主がソ連国務機関で、請け負ったのが長崎の新興造船所。

 進水したのは、昭和13年だが、竣工する段になって発注主と揉め、
 結局は日本籍の地領丸となり就航。

 もともと耐氷型の貨物船として建造されたので、
 それに着目した日本海軍が買い取り、艦名を宗谷とした。

 北洋や南洋での海洋測量や物資輸送に投入されたのだ。

 ところが、太平洋戦争の終結に伴い任務が一変する。
 主に樺太の在留邦人を内地に運ぶための引揚げ船となったのである。

 これでどれほど多くの邦人が救われたことか。

 その任務が一段落すると、海上保安庁の灯台補給船として活躍しだす。
 全国に配置される灯台への物資郵送などを司るのだ。

 そして昭和31年、南極用に大改装を施される。

 やがて同船は主に海保庁の乗務員とともに南極観測隊員を乗せて出航。
 現地では昭和基地が築かれ、以後、日本/南極間に就航する。

 その矢先、氷塊に閉じ込められて身動きできなくなったとき、
 救援に駆けつけ、脱出に導いたのがソ連の砕氷船オビ号だ。

 この船名は中年以上の人なら誰しも覚えているだろう。
 出自からして縁が深いソ連の船に助けられたとは、奇縁だ。

 結局、南極へは計6回、足かけ7年の任務を果たし、
 昭和37年からは海保庁の巡視船となった。

 それから後、主に北洋での巡視や救助の役割を担い活動するが、
 船舶の一般的な寿命=船齢をはかるかに超す40年に達していた。

 そのため、昭和54年、すべての海上任務を解かれ、
 東京お台場に建設された「船の科学館」の岸壁に永久保存されるに至る。

 
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 概略そんな経歴だが、
 400ページ近い同書を読破するのにどれほど時間を要したことか。

 というのも、そんじょそこらの長編小説やルポと違い、
 1行たりともゆるがせにできなかったからだ。

 著者が精魂込めて書き続けてきたのが、手に取るように分かる。

 そのためには膨大な精力を傾け、調査や取材を重ねてきたことだろう。
 引用された文献や私的日誌などの量は、計り知れないし、
 対面取材した人や場所も数限りない。

 そうやって収集した事項を、巨大なジグソーパズルを張り合わせるようにして
 宗谷の物語を紡ぎだしたのだろう。

 読み終えてみると、まさに記録文学の頂点に立つ力作であり、
 傑作でもあると感じた。

 その底流には昭和という時代が浮き彫りにされている。
 戦前から戦後にかけての歴史の側面を宗谷は体現してきたのだ。

 それだけに読み進むうちにこの一隻の、さほど大きくもない鋼船に、
 愛おしい感情まで湧いてくるのだった。

 自分の半生と重なり合う部分が少なくないからでもあろう。
 読み終えたいまも興奮が冷めやらないのは、そのためだ。

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 頭書の新刊本を読んだら、
 うまく長生きできるヒントが満載で、勇気も出てきた。

 著者の旭丘光志は、統合医療ではエキスパートの作家兼ジャーナリスト。
 これまでにも「生きる勇気を与える」本を何冊も上梓している。

 それが今回はアンチエイジングに真っ向から取り組み、
 労作をものしたのだ。

 てっとり早くこの内容を見出しから拾うと、次の通りだ。

 プロローグ 実年齢より10歳若返る/現代医学が明らかにした
 老化コントロールの簡単法則
 第1部老化を飼いならしてサクセスフルエイジングを
 第1章 実年齢より20%の若返り/第2章 老化はなぜ起こるのか
 第2部こころのブレーキ解除で若返りエンジン全開!
 第1章 歳を重ねただけで人は老いない/第2章「誰かが誰かのクスリです」
 第3章 「人生は楽しくなければならない」という大原則を立てよう
 第4章 "性"を語らずしてアンチエイジングなし
 第3部今すぐ実行! 専門家が教える若返り術を完全公開
 (以下は全国各地の専門医師の見解などを紹介)
 エピローグ ゲーム感覚でアンチエイジングを楽しむ

 本書で革新的な道標となっているのは、実年齢より2割の若返り論だ。
 つまり8掛けでもあり、
 50歳×8=40歳、60歳×8=48歳、70歳×8=56歳というわけ。

 そんな「人生8掛け」時代が冗談ではなくなっている。

 それには「もう歳だから」なんぞと思わず、言わず、
 次の3つの生活習慣上のコントロールで可能となる。

 それは「食生活」「運動」「ストレス解消」が基本という。

 また、指宿市の井上医師によると、
 「アンチエイジング的生活術」として次の3点が挙げられている。
 
 ●7〜8時間の適度の睡眠●自分を好きになる●いつも自分の体に感謝する
 ●外見をきれいにする●信仰心を持つ●動物に対して、かわいいと感じる
 ●マイナスイオンをたくさん浴びる●腐るもの、発酵食品、酸素の含まれるものを
 食べる●体の水分は、少し摂り過ぎるくらい摂る●口の中を常に濡らしておく
 ●体内にたまった静電気を体外に放出させる●内蔵および骨、骨盤を
 正しい位置に矯正する●ヒト成長ホルモンをスプレーで吸い込み、肺から吸収

 これらをしっかり自覚し、実行しさえすれば、若さを保てたり、若返りできるのだ。
 理解できない点があれば、本書が丁寧に説明してくれる。

 かつて"国民的スター"となった「きんさん、ぎんさん」に関する
 逸話も盛り込まれている。

 普通の老人のように老いていったのに、急に若返ったわけだが、
 その原因が興味深い。

 そして、107歳と108歳まで元気に生き抜いたのだから、
 おおいに見直したい。

 以上のことが逹意の文章で、平易に噛み砕き、面白く書かれている。
 だから、まずは気楽に一気に読み、
 いつかまた、じっくりと読み直したい一冊だ。

 なお、アンチエイジングは何も50歳代からとは限らず、 
 30歳代後半からでも手軽に実行できそうな手立てを
 日常的に組み込んでいくのも効果的とされている。

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