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翌朝からは宿舎「桂浜荘」の近辺を散策する。 白砂青松そのものの浜で、人影がまばらなのも良い。 絶え間なく寄せる波が好天のもとで白く輝くのも素敵だ。 ただし、「強い波が寄せてきますので……」とのアナウンスが絶え間なく耳に入る。 遊泳禁止どころか、波打ち際に近付くのも危険だと伝えているのだ。 でも、この砂浜を歩いているだけで、心うきうき。 以前から憧れていた桂浜にとうとうやってきたからだ。 浜辺にある施設と言えば、水族館ぐらいで、お客はチラホラ。 ただし、自分が暮らす湘南界隈にも水族館があり、 さんざん足を運んでいるので、ここはパス。 それはともかく、我が宿舎の隣に「坂本龍馬記念館」がある。 かねて高知は龍馬ブームに沸いていると聞いていたし、龍馬そのものにも関心があった。 なので、これぞ好機とばかりに入館。 土佐(高知)出身の偉人・龍馬にしてみれば、記念館があって当然だろう。 入ってみると、数多くの古い写真や文献などが数多く展示されている。 見て、読むだけで、頭がくらくらするようだった。 龍馬のみならず同時代の歴史的な人物に関する展示物や資料も多くあり、 遠い昔の日本の姿が蘇ってくる。 頭を冷やす狙いもあって、この記念館の屋上に出てみた。 そこから見渡す桂浜の全容が素晴らしい。 宿舎からも眺められたが、それとはまた違い、延々と浜が連なっているのだ。 それも桂浜かどうかは知らないが、ともかく実に広々とした浜ではないか。 話題は飛ぶが、高知空港に着いた時から目に飛び込んできたのが、 「リョーマの休日」なる幟(のぼり)だ。 言うまでもなく映画『ローマの休日』を模した観光用の看板で、 この映画で馴染みの男女がスクーターに乗っている写真まで添えられている。 その男女は、江戸時代風の衣装を見に着けて。 県庁が企画したのだろうが、折柄の"龍馬ブーム"に乗じ、観光誘致に力を入れているのだ。 さて、この日の夕食ではまた、件の旧友と会うことにしていた。 今度は市内の中心地ではなく、我が宿舎に来てもらって。 ここの食堂では出来合いの献立になるが、それでもカツオを賞味できると踏んでいた。 で、広い食堂に入って間なしに、ちょっとしたショーが始まった。 突き出たベランダで、料理人がカツオを炙ってくれるのだ。 真っ赤に燃え盛った藁(わら)に鉄弓に刺したカツオを炙るわけで、まさに"わら焼き"の実演。 その美味しい一品を加え、ぼくらの談笑に再び花が咲く。 こうして望みどおりの高知旅行は幕を閉じ、 翌朝、後ろ髪をひかれる思いで高知龍馬空港から飛び立った。 (注釈…上の画像は、本文に沿って挿入するつもりが失敗しました。
上から本文に沿って並んでいますので、忖度してください) |
旅と乗り物
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四国は魅力あふれる旅先だ。 これまでに何回ほど足を運んだか忘れたが、近年は出不精になっていた。 とは言え、老いさらばえる前にもう一度と思い、俄かにプランを組み立てた。 まず決めるのは宿で、『公営国民宿舎』を紐解いた。 その中の「四国・高知」を開くと、同県に5軒もあるではないか。 辿っていくと、高知市にある「桂浜荘」に心が引き寄せられた。 曰く「月の名所の桂浜の高台に建ち、全室からの太平洋の眺めは最高で、 とくに眼下の桂浜は格別」とか。 願ってもない立地だし、とりわけ名高い桂浜に接するのは初めて。 そこへ到達するまでには、いろいろと苦労もあったけれど、 宿に近付くや晴朗な潮の香りに満たされた。 小高い丘の一帯は、緑濃い針葉樹に囲まれ、崖下に浜辺が広がっているからだ。 時あたかも青空が広がり、初夏の香りを運んでくれるようだった。 いや、初夏というより大気が30℃にも達しているので、盛夏の感じ。 「南国土佐」の気分は満点だ。 その日の夕刻には、高知市内に暮らす旧友と会うことにしていた。 待ち合わせたのは、市内名所の「はりまや橋」だ。 以前にも来たことがあり、あの真っ赤な小さな橋は忘れられない。 広い県道の脇に建てられた橋で、地元出身の横山隆三画伯のデザインによる石像が 優しく迎えてくれた。 さて、その近くの割烹店で、まずは乾杯。 願いのひとつは、タタキによるカツオの刺身だ。 カツオならば高知に限ると思い込んでいるので、いっそう美味に感じられる。 そのほか諸々の料理に満たされつつ昔話に耽るのもまた、楽しくてならない。 夜は間なしに深々と更けていく。
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VIZAグループの機関誌『VISA』の最新号に山口県の仙崎と下関が特集されている。 この間を走る山陰線の「みすず潮彩号」の紹介が主になっているが、 その終点にある仙崎のことも詳しく紹介されていた。 この地は天才童謡詩人の金子みすずが生まれ育ったこともあって近年、 何かと脚光を浴びている。 それはそうとしてぼくがこの記事を見て感慨深かったのは、昭和21年の初春、 我が一家が中国の天津からほうほうの態で引き揚げて来た地だからだ。 一家6人が多数の引揚げ者と共に米軍の上陸用艦艇LSTに押し込められ、 やっとのことで本土へ戻ったわけ。 ぼくはまだ小学生で、赤子同然の弟は仮死状態にあった。 そのため、一家は目指す東京へはすぐに帰れず、弟が回復するまで 仙崎に近い小串という町にある旧陸軍病院にしばらく滞在した。 海辺に面した病院で、母を除く家族4人は連日、海岸で遊んで過ごしたものだ。 それが懐かしくて後年、ぼくは何度もこの地に旅したことだろうか。 まだ小学生だった頃は、姉と共に小串の知人宅を訪ねたりもした。 で、近年になっても、単身で小串と仙崎へ足を伸ばした。 ひとり静かに引揚げ時代の昔を偲びたかったからだ。 そこで強く胸を打ったのは、仙崎港の岸壁に建てられた碑だ。 「この地に中国大陸からの引揚げ者○○○○人が上陸云々」と記されている。 自分もそのなかの一人だったとの思いが込み上げてきた。 前に「足を伸ばした」と書いたが、それは下関からのことだ。 山口県の下関は、仕事の上でも、私的なことでも、時折り滞在したことがあった。 関門海峡に接するこの地には、海峡を見下ろす絶景の場所があり、 とりわけ、その夜景が素晴らしい。 ただ、その向こうに懐かしの仙崎があることを強く意識せざるを得なかった。 その思いを叶えようと下関から仙崎へも旅したのだった。 ところで、ひところ「♪センチメンタル・ジャーニー」という外来の歌が流行ったが、
ぼくがその歌に痺れたのは、深い思い出の地があることだと思っている。 (画像は『VISA』四月号より) |
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伊豆の下田に足繁く通ってい頃、何度か訪ねた家がある。 伊豆急の下田駅からさほど遠くない、海辺寄りに建てられた家で、 広い土地の右端と左端に2軒、向かい合うようにあった。 まるで睨み合うかのようで、どちらも純木造の本格建築だ。 何回目かに訪れた際、その家主に挨拶することができた。 左端の家の持ち主で、70代と思しきその老人は気品があり、 まるで大学の教授を思わせる。 それでも、その家を褒めたたえると嬉しそうに相好を崩した。 だけど、長話を好まないようなので、すぐに辞した。 そして、別の日に訪れたときは、右端の主と接する機会を得た。 前回話した老人とは違って骨太で野性的な感じだった。 でも、すぐに打ち解けて家の中に招き入れられたら、 大きな写真ポスターが壁面に貼られてあった。 「わたしゃこんな娘が好きでねぇ」と相好を崩す。 伊豆大島のポスターのようで、同島の椿娘が大きく写っている。 それで両方の家主と接して気づいたのは、 二人は似ても似つかぬ兄弟ということだった。 共に本家は東京の下町にあり、紡績業で大を成した家柄だそうだ。 それで下田の景勝の地に土地を取得し、そこに2軒、家を建てたわけ。 ところが、この兄弟の趣味嗜好が異なっているためか、 まるで相対するような建て方になったようである。 微笑ましいと言えば言えるが、その二人が話し合っているのを見たことがない。 共通していたのは、共に奥さんなど家族を連れて来ず、 野外で黙々と別々の作業などをしていることだった。 あれから数十年も経ってしまったが、 そして、ご両人が健在かどうか分からないが、 いつかまた訪れてみたいと思う昨今だ。 (画像はグーグルから抽出したもので、単なるイメージ)
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滋賀県の近江八幡市へは、仕事がてら何度か旅した。 その折、一度だけ同市の観光名所でもある「近江八幡掘」へ行ったことがある。 そこでの印象が深く、時折りこのお堀を思い出したりしている。 上の画像がそのお堀を撮った『湖畔の声』最近号の表紙だ。 近江兄弟社グループの湖声社発行の月刊誌で、 毎号、その表紙には近江八幡界隈の近映が載っている。 林満さんの撮影によるもので、それも毎号の楽しみだ。 で、同氏は「今月の表紙」と題する欄にこう説明している。 「八幡堀は水運の手段として長い間にわたって利用されてきましたが、 近年、運河として使われなくなると、次第に荒廃し汚泥が溜まり 水質が悪化してしまいました。 一時は埋め立ての計画もありましたが、市民らの保存運動により浚渫工事が行なわれ、 美しい景観が蘇りました」 そうか、蘇った堀であり運河だったんだと改めて感心したわけ。 昔は琵琶湖を往来する貨物用の船舶が近江八幡に寄れるよう築いたのだ。 しかし、時代とともに船便が途絶え、堀一帯が荒廃したのだろう。 それが市民運動によって復元され、今では同市の観光名所になっているし、 時代劇映画のロケ地としても活用されているのだ。 ぼくが初めてこのお堀端に行ったとき、足が釘付けになったのは、 お侍姿の役者が数人、そこに屯していたから。 時代劇の撮影が進行中だったのだろう。 眺めているうちに時代が逆行したような錯覚にとらわれたもので、 こんなロケ地が今でも息づいていることに感動もした。 それが寒い昨今、雪交じりのもと、上の表紙にあるような詩的な状景を呈している。
遠い昔が蘇るように。 |



