丑の戯言 栗田英二

体調不良につき、プロク゜投稿も途絶えがち

クルマ

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 最初のオースティンに満ち足らなくなり、以前と同じ渋谷の中古車店で見付けてきた。

 試乗したとたところ、前の1世よりも足腰がしっかりしていたのが気に入ったのだ。

 値段は1世と同じく15万円。

 それが『オースティン2世』となった。

 ただし、ボディ全体が真っ黒なのが気に入らない。
 中古でも、ちょっとすかしていたかったからだ。
 
 そこで車体のサイドモールから下は、クリーム色に塗り替えてもらった。

 つまり、屋根とボディ上部は黒いままだが、足元は白く、あたかも駿馬のようだと自己満足。

 その勢いで、やや長距離のドライブをするようになった。

 主に神奈川県の葉山で、そこに友人家の別荘があったからだ。

 その家を足場に近くの海へ行き、潜水に熱中しだした。

 それがその後のめり込む[潜水元年}だった。

 その時代、主に葉山を拠点とする〔太陽族〕なる集団が世間の注目を浴びていた。
 だけど、ぼくらはそれに目もくれず、昼間は海水浴、夜は酒飲に興じるばかり。

 ただし、使うクルマは、ちっちゃなオースティンだけではない。

 同じグループの一人が米車のハドソンで乗り込んでくることもあった。
 車体はピンク色で、海岸通りを走ると、威風堂々としていた。



 やがてオースティン2世にも飽き足らなくなり、またも代替に向かう。

 そして、次もオースティンなので、同『3世』となる。

 3台も続いて同じ車種とは能がないが、家族の誰も反対することはなかった。

 もちろん、いずれも中古で、年式は3、4年落ちだったように記憶する。

 ただ、買い替えるたびに走行性能はそこそこ良くなるとともに、
 ぼくの運低技術が少しはマシになった。

 で、この3世もまた、車体のカラーを塗り替えた。
 淡いモスグリーンで、屋根だけクリーム色に。

 と同時に、そのころから遠出が盛んになった。

 もちろん、海を目指していくわけだが、父が同情することが多かった。
 父の無二の道楽が海釣りだったので、その釣りの基地に送り迎えするのだ。

 三浦半島の東京湾沿いの鴨居や相模湾沿いの鎌倉が主で、
 そこへ父を送った後、ぼくはその近くの磯に潜るという具合だ。

 いわば親孝行と言えただろうか。

                                     (つづく)

 

 我が家に自家用車が入ったのは、前記した単独運転直後の昭和35年だ。

 一家で運転できるのは、ぼくしかいない。
 
 その年に運転免許証を取得したばかりだし、義兄が保有するクルマを代行的に運転したのが
 初の公道での経験であった。

 にもかかわらず、親が中古車を買ってくれたのだ。

 それは日野自動車製の『ヒルマンMINX』で、確か15万円だった。

 箱型セダンで、車体は黒一色の地味なもの。

 このクルマを何に使ったかというと、まずは大学への通学だ。

 港区青山の自宅から神田駿河台にある明治大学へ通うためだった。

 時には朝、父親を乗せ、東京駅近くの八重洲にあった事務所へ送る。
 そして、それから駿河台へ行ったりもする。

 その当時、ありがたかったのは、駐車に困らないことだった。
 道路脇や空き地に置いても、違反にならなかったのがウソのようだ。

 あの頃は、何もかものんびりとしていた。


 そうして運転に慣れた頃、割合と長距離のドライブを試みた。

 女友達を乗せてのことで、目指すは湘南の葉山へ。

 二十歳そこそこの若い男女がキャッキャッとふざけながら、国道を突っ走るという図だ。

 
 ところで、この愛車の車検切れが近くなった頃、次のクルマが欲しくなってきた。
 親もその気になったようで、一緒に中古車探しを始めた。

 結論が出るのも早く、次もヒルマンと同じ英国系の『オースティン』だ。
 日産自動車が図面を買って製造したもので、渋谷の中古車販売店で買った。

 値段は、前のヒルマンと同じく15万円。

 車体の色は、トップが白、ボディが青で、ツートンカラーというわけ。

 洒落たつもりで乗り回したものだが、間なしに欠陥が出てきた。
 悪路を走ると、ガタガタと異音を発するのだ。

 そればかりでなくエンストしてしまうこと、しばしば。
 原因はキャブレターのオーバーフローにあった。

 仕方なく自分でボンネットを開け、キャブレターを調整できるように。
 おかげでクルマのメカニズムを少しずつ会得できたのだった。

                                      (つづく)

 
 クルマを運転していて思い出すのは、かつての我が愛車たちだ。

 断片的な記憶だが、それを時系列的に並べてみようと思い立った。

 早速、メモ書きしてみたところ、その数は18台に及んだ。

 50年余りに及んでのことなので、多くなるのは当然だが、我ながら驚く数字でもある。

 それらを並べ立ててみると、自分史の裏面ともなるだろう。


 そこでまずは、公道での運転暦から始めよう。

 出だしは、運転免許証取立ての二十歳そこそこの頃のことだ。

 ある日、義兄が警察署に拘留されてしまったことから始まる。

 彼がそのとき運転していたのが国産<ルノー2CV}>だった。

 その自家用車が浜松町の警察署に保管されてしまった。

 当該警察署からの電話で、そのクルマを取りにきてほしいとのこと。

 運転免許証取立てのぼくにその役割が回ってきたので、港区のその警察へ電車で駆けつけた。

 そして、係官からルノーのキーを受け取り、ドキドキしつつ運転席に座った。

 さあ、出発だ。

 胸は高鳴るばかりで、自動車教習所で係官を横にして運転するのとは訳が違う。

 ともかく、独力で自宅に向かわなければならない。

 もちろん、事前に道順は頭に入れてあった。

 出発点は浜松町辺りで、そこから港区の青山に向かうわけで、都電の線路が目安だ。

 なので、ともかく都電の一番線、つまり品川・上野間に沿って走り出した。

 それが公道を単独で運転する最初の経験だった。

 ところが、線路を外れて右折すべきところが右折できず、直進するばかり。

 新米運ちゃんとしては、右折しようにも左折しようにも出来ないのだった。

 そんな状態で、線路に沿って直進するばかりで、途方もなく遠い所まで走ってしまった。

 それでも、どこかから都電の線路を外れて、自宅にどうにか辿り着いたのだった。


 以上は前口上で、そのすぐ後に初めて自家用車を持ち、走り回るようになる。
                                       (つづく)

イメージ 1

 
 生意気にも大学生時代からクルマを乗り回し、
 これまでに延べ18台、取り替えてきた。

 ほとんどは中級の中古車だが、
 これぞ異彩を放つと一人合点していたのは、
 イタリア製《フィアット1900》だった。

 入手したのは30数年前で、1966年式。

 この自動車メーカーはイタリア都市の道路事情に合わせてか、
 小柄な乗用車を量産していることで知られるが、
 あたしが手に入れたのはそうではなく、ピンと胸を張った中型高級セダンでした。

 画像にあるように四角張ってはいるけれど、
 車体のカラーは緑がかった濃紺で異色だし、
 車内のシートは濃い紅色で遊び気分にさせる。

 排気量は1900ccに過ぎないが、
 ノイズが男性的で、走りも軽快ときていた。

 どこでこれを手に入れたか。

 クルマ好きの料理店主がいて、ドライブを共にする仲だった。
 彼がある日、「クルマを取り換えたから見てよ」と言ってきた。

 さっそく物見がてらに訪ねると、
 屋根付きの駐車場に鎮座していたのがこのフィアット。

 ひと目見た途端、惚れこんでしまった。
 全体の感じがヨーロッパ的雰囲気で、ぞくぞくっと来たからだ。

 その日は都内を少しだけ走り、あたしは助手席に乗ったに過ぎないが、
 「こんど貸してよ」と頼むと、「ダメダメ」ときた。

 それから数ヵ月後、思ってもいないことが起きた。
 「このクルマ、譲るよ」と彼。
 提示された値段もそんなに高くない。

 いっぺんにその話に乗りましたね。

 以来、わがフィアットは実によく走ってくれた。

 左ハンドルで、計器盤にはいろんな仕掛けがあったり、
 当時では珍しいカセットデッキも付いていた。

 最初に乗せた女友達がその数日後、カセットテープを贈ってくれて、
 このジャズっぽい音源に聴き惚れたりもした。

 これぞドライブの快感に酔いしれた一時期だった。

 以下、気取った話は略すが、やがてこのクルマに難点が出てきた。
 調子良く走っているかと思うと、突然失速してしまうのだ。
 点火栓の問題かと思うと、そうではない。

 遠出の帰り道など、だましだましスロースピードで帰宅するしかない。
 その後、修理店で診てもらっても、「分からんねえ」と。

 さらに、いつも行く伊豆下田の隠れ家に駐車させておいたら、
 いたずらされてしまったのには参った。

 トップ=天井に大きな凹みが出来てしまったのだ。
 誰かがいたずらで石をぶつけたとしか思えない。

 そんなこんなで厄介息子を持ったような不快感に陥っていたとき、
 このフィアットを好きでたまらないという青年が現れた。
 ぜひ、買い取りたいというのだ。

 でも、不調なので譲るのに迷ったが、
 熱意に押された感じで手放したのであった。

 後日譚。
 譲り受けた彼から1通の手紙が送られてきた。
 「調子が悪くて泣かされています」と。
 

愛車オーパとの出合い

イメージ 1

 
 10年ほど前、『間違えだらけのクルマ選び』という本に、
 トヨタが新発売しだしたオーパ(OPA)という車種が紹介されていた。

 著者の徳大寺有恒が言うには、
 「オーパのデザインは先進的で、車体の割には車内スペースがゆったり」とか、
 「まるで深海魚がぬっと現れたようなマスク」とも。

 この後者の感じ方がえらく印象に残り、
 以来、この新参のステーションワゴン式のクルマを気にかけていた。

 もうひとつ。
 その昔、釣り好きのおやじの本棚に『オーパ!』という本があり、
 引っ張り出しては、しばしば眺めていた。

 著者は開高健で、写真入りのブラジル釣り紀行だ。
 この題名は怪魚を釣り上げたときなど「オーパ!」と叫ぶのに因んでいる。
 ブラジル語(ポルトガル語)で「やった」「すごい」を意味するとか。

 ということから、「次に乗り換えるクルマはオーパだ」
 と腹に決めていたぐらいだ。
 クルマの買い替えの動機なんてそんなものだろう。

 それでも愛用していたスバル・フォレスターも捨て難く、
 だらだらと乗り続けていた。

 ただ、この4輪駆動車は燃料をよく食うし、
 さりとて4駆の特長も活かせず、ガソリン代は値上がるばかり。

 そんな折、オーパの製造が中止されたとの報に接した。
 「やっぱり大衆受けせず、トヨタも放棄せざるを得なかったのか」
 と感傷的になったものだ。

 それでオーパのことを記憶から消し去ればいいのに、
 たまにはこのクルマが走っているのに出くわす。

 そうなると、いったん諦めた考えが再燃。
 新古車でも中古車でもいいから、今が買い時ではないかと考え始めた。

 その結果、画像にある3年落ちを比較的安く入手したというわけ。

 専門的なことは分からないが、調子良く走ってくれる。
 地べたに張り付いたような感じで、燃費の経済性もまあまあ。

 カーナビは前のスバル車にも付けていたが、こんどのは格段に精度が高い。
 これに頼り過ぎると、方向感覚が鈍くなる恐れも。

 同じ車種と道路ですれ違うことがほとんどないのも、気分がいい。
 でも、たまに出合い、そのドライバーと目を合わすと、
 互いに苦笑してしまうみたいだ。

 ともあれ、製造中止されたのだから、オーパは年々少なくなっていくはずだ。

 いつまで乗り続けていけるかが、今後の楽しみになっていくだろう。

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