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画像にあるのは、古いフォード・フェアレーンの模型だ。
ぼくにとっては思い出深い米車があり、
それと同じ車種、同じカラーの模型を古道具屋で発見したときはドキドキ。
結果、値段は安くなかったけれど「エイッ!」と買ってしまった。
このジェラルミン模型、動力付きではなく、室内に飾っておくしかない。
だから、チロチロ眺めながら「あの頃」を偲んでいる。
あの頃のある日、海の素潜り仲間と東京某所で待ち合わせた。
すると、彼はピンクの車体もまぶしいフォードに乗ってやってきた。
1956年式のフェアレーンだという。
上の画像と違うのは、屋根が開閉するコンヴァーチブル(オープン)型だ。
「さあ、下田へ向け出発!」となり、
真っ赤なフロントシートにぼくは乗り込んだ。
当時は東名高速道なんてなかったから、国道246号を南下するわけで、
折柄、真夏の昼下がり、トップ(天井)は開けたまま。
だから、スピードを増すごとに涼風が頭上をかすめる。
それも快感なら、低く唸るようなエンジン音が心地いい。
日が暮れて涼しくなったら、トップを畳む。
ダッシュボードのどこかを押すと、
トランクに格納された布製の幌が自動的に被さってくるのだ。
当時の国産車では考えられないほどの装置を、
米車は内蔵していたのである。
それがフォード・フェアレーンでの最初のドライブで、
以後、伊豆、三浦、房総の各半島へ行くのに
どれほど便乗させてもらったことか。
時には運転を交代し、その力強さを満喫させてもらったり……。
思えば、50年代は米車が最も美しく花開いた時代と言えるだろう。
大きく、逞しく、パワフルであったし、
そのスタイリングには落ち着いた貫禄があった。
自動車メーカーは群雄割拠で、GМとフォードを筆頭とするなら、
各メーカーの車種も多種多様。
順不同だが、キャデラック、クライスラー、リンカーン、
ハドソン、ビュイック、シボレー、ダッジ、オールズモビル、
マーキュリー、パッカード、ポンティアック、プリムス、ナッシュ、
スチュードベイカー、デソート、ランブラーなどが挙げられる。
これらは頭の名称で、
例えばクライスラーにはインペリアル、ニューヨーカー、ウィンザー、
リンカーンにはコンチネンタル、プレミア、カプリなどが後ろに付く。
1車種でも多種多様のヴァリエーションがあったのだ。
また、セダンやコンヴァーティブルやステーションワゴンなどとも付く。
これら華やかなクルマが東京でも日常的に見られた。
だから、それらが遠い存在と知りながらも、
ぼくらはメーカー名や車種名を競うようにして頭に叩き込んだものだ。
とにかく、50年代は米国自動車産業にとって黄金時代と言えよう。
クルマだけでなく、映画や軽音楽やスポーツの楽しさも流れ込んできた。
「ザ・フィフティーズ」といわれ、
米本国では豊かさを享受していた時代だが、
日本にもその一端が舞い込んでいたのだ。
しかし、60年代からそれ以降、クルマに限って言えば、
各メーカーは車体の大型化に走り出し、スタイリングは先鋭化し、
かつての王者のような風格は消えていったように思う。
多くの車種がテールフィンを跳ね上げるなんて、かえって醜かった。
一部の高級車は、無用と思えるほど車体を長大化させた。
そして、あれほど多かったメーカーが統合や廃業を重ね、
さしもの自動車王国も傾き始めたかにみえた。
片や英国、ドイツ、フランスをはじめとする欧州車は、
もとより技術力もあり、幅を利かせるようになっていく。
一方、日本メーカーの成長と進出も著しく、
得意のエコノミーカーが市場占有率をじわじわと高める。
これに追い討ちをかけるように70年代半ばのオイル・クライシスは、
ガソリンを垂れ流すような米車の地位を脅かし、現在に至っている。
こんなエセ自動車論を書いていくとキリないが、
こんな模型のクルマで往時の米車の面影を懐かしむだけだ。
このようにノスタルジーに浸るのも高貴な精神と一人合点しつつ。
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