腹立ち紛れ(笑)

随想録。思ったことをいろいろと。なお、記事と関連の無いコメントなどは削除します。あしからず。

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 やや旧聞に属するが、愛知県の市立中学の校長が日本建国と神話を生徒向けに学校のホームページに掲載したところ市の教育委員会から「神話を史実と誤解される」と注意され日教組も抗議したため自発的に記事を削除した。
しかし、その内容を知った人達から「感動した」「校長は間違っていない」という声が多数寄せられているという。

 御年輩の諸兄には周知の「仁徳天皇とかまどの煙」の神話であるが、昔から皇室と国民が一体であった姿を描いている。
神話を教育から追放したのは日本再生を阻もうとしたGHQである。
渡部昇一氏をはじめ保守派の論客は子供の教育に神話を取り入れる事を推奨しているが大賛成である。

 なお余談だが、仁徳天皇の神話に鑑み、安倍首相も消費税増税を更に延期して欲しいものである。

産経新聞(2015/2/22)
神話や建国記述「間違ってない」「感動した」 一宮市教委の注意で削除の中学校長ブログに激励


≪愛知・一宮市立中学校長のブログ全文≫

 2月11日は建国記念日です。そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思います。日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が即位した日が始まりです。世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。

 仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、三年間、税を免除されました。

 税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。天皇は衣を新調されず、茅葦屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。
三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。

 「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」

 そして、一緒におられた皇后に「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。

 皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」

 すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ」と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しにならず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。

 この話は神話であり、作り話であるという説もあります。しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。
こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。

 「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。

 それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、「私は初めて神のごとき帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を取ったのです。

 このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です

 日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。
古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。

 私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。(原文のまま)


この素晴らしいブログ記事の何処がいけないのかさつぱり分からない。
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転載元転載元: 反日勢力を斬る(2)

<1980年代にクイズ番組「なるほど!ザ・ワールド」で、「ひょうきん由美」と親しまれたフジテレビ益田由美アナウンサー(60)が、今月28日付で定年退社する。入社から37年11カ月、同局の女性アナウンサーとしては、初めてアナウンサーのまま定年を迎える。>

 いやもう、びっくりした。益田由美さんが今でもフジテレビのアナウンサーだったなんて。とっくに退社してフリーになっていると思っていた。BSの番組に出たりしていたんだねえ。知らなかった。アナウンサーのまま定年を迎えるのは、フジテレビの女性アナウンサーとしては、初めてのことらしい。確かに、普通は、壽退社か或いは、退社してフリーのタレントかアナウンサーになるからねえ。いやー、お疲れ様でした。


以下、ニュース  一部、フォントを変えてある。

「ひょうきん由美」フジ女性アナ初の定年
日刊スポーツ 2月25日(水)5時4分配信
 1980年代にクイズ番組「なるほど!ザ・ワールド」で、「ひょうきん由美」と親しまれたフジテレビ益田由美アナウンサー(60)が、今月28日付で定年退社する。入社から37年11カ月、同局の女性アナウンサーとしては、初めてアナウンサーのまま定年を迎える。

 81年10月、愛川欽也、楠田枝里子司会のクイズバラエティー「なるほど−」が始まった。世界と日本各地の話題を現地リポートとクイズ形式で紹介する番組で、益田アナは「ネパールに行くタレントがいない」理由で起用された。体当たりリポートが受けた。「なるほど−」は96年3月まで続いた。

 その後は自ら番組を企画し、出演するようになった。07年10月からは、BSフジ「なるほどザ・ニッポン」で、日本の自然をリポートした。「ずっとリポーターの仕事を続けられたのは幸せ。これからは、ゆっくりして、フリーの後輩がたくさんいるので相談してみます。『なるほどー』は、ゴールのない全力マラソンだったけど、やめてゆっくり歩くようになって、日本の自然が見えてきた。これからも日本の自然をお伝えできたらいいですね」。

 第2の人生もマイクは手放せない。

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