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「強行採決」という言葉は、実態とかけ離れた言葉だ。この言葉が使ってあればその記事はほぼ捏造と思って間違いない。
強行という言葉の意味は、道理を無視して無理に行うということだ。では、強行採決の実態はどうか。いくら話し合っても全員の合意を得られないので、多数決を行ったということだ。最も普通の多数決の形だ。これを多数決と言わずして、一体何を多数決と言うのだろうか。話し合いの末に全員一致となった場合にも決を採ることはある。それは形式上そうする必要があるからするだけで、それをわざわざ多数決を採ったと言う必要はない。マスコミが強行採決という場合、その実態は最も普通の多数決である。マスコミは、多数決のことを強行採決と言っているのだ。それは捏造と言うべきである。
一人前の大人が一つの説を正しいと信じ発表した場合、別の説を正しいと言う人と話し合い、別の説に納得して自分の意見を変えることは、少ないだろう。重要な問題に関する場合には、特にそうである。思うに、3日間話し合っても意見の一致を見ない場合、1週間話し合っても1か月話し合っても結果は同じだろう。それ以上話し合うことは無駄と言うべきだ。
現在マスコミが強行採決と連呼している安保法案の場合はどうか。話し合いに入ったのは5月のことだ。現在既に7月である。通常、法案審議には80時間くらいかけると聞いたが、安保法案の場合、116時間もかけているという。決を採るのが当然だ。「強行」と言う要素は何処にもない。最も普通の多数決である。それともマスコミは、多数意見と少数意見がある場合、少数意見を採用しろと言うのだろうか。それは専制政治というものだ。マスコミは、民主主義を止めて専制政治をしろと言うのだろうか。
安保法案の議決の際、一部の野党は採決に加わらなかった。これは国会議員としての仕事の放棄にほかならない。国会議員であるならば、法案に賛成なら賛成、反対なら反対の意思を議決の際に表明しなければならない。もし責めるなら、採決に加わらなかった野党をマスコミは責めなければならない。その点を視聴者や読者に指摘されないために、マスコミは通常の多数決を強行採決と称してカムフラージュしているのだ。
私は、実態を表さない言葉が横行するのを好まない。実態とかけ離れた使い方の「強行採決」は、止めてもらいたい。
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