腹立ち紛れ(笑)

随想録。思ったことをいろいろと。なお、記事と関連の無いコメントなどは削除します。あしからず。

発見

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<山形大ナスカ研究所は19日、ペルーの世界遺産「ナスカの地上絵」で、空想上の動物が舌を出した姿の絵が見つかったと発表した。近くの神殿への巡礼路沿いにあり、「道しるべ」と考えられるという。>

 いまだに新しい地上絵が発見されるというのは、驚きだ。その発見に日本人が関わったというのは、うれしいことだ。
 地上に巨大な絵を描くという発想は、木の生えない、広い土地があるという地域でしか出てこないのではないか。空き地があれば、数十年のうちにひとりでに木が生えて林となってしまう、日本のようなところでは、地上に巨大な絵を描く意味がほとんど無いだろう。
 ちなみに、今回発見された空想上の動物は、八本の脚らしきものを持っているというのだが、まさか、二匹の動物が重なっているだけというのではあるまいな…


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<ナスカ>新たな地上絵、空想上の動物か…山形大が発見
毎日新聞 4月19日(火)21時11分配信

 山形大ナスカ研究所は19日、ペルーの世界遺産「ナスカの地上絵」で、空想上の動物が舌を出した姿の絵が見つかったと発表した。近くの神殿への巡礼路沿いにあり、「道しるべ」と考えられるという。

 横約30メートル、縦約10メートルで、紀元前400年〜同200年ごろのものと推定される。2004年からの調査でラクダ科の「リャマ」や「ハチドリ」を確認しているが、足らしき突起が8本ある今回のような生物は初めて。

 地上絵は宅地開発の進む市街地でも発見されることが多いが、今回はそれとは別に坂井正人教授(文化人類学)らがナスカ市郊外で土器の調査中に偶然見つけた。これぞ、未知なる生物のお導き?【野間口陽】

<大型のティラノサウルス科肉食恐竜の歯の化石が国内で初めて長崎市で発見されたと、同市と福井県立恐竜博物館(勝山市)が14日発表した。恐竜の全長は10メートル程度と推定され、肉食恐竜としては日本最大。同博物館の宮田和周主任研究員は「日本にも、長崎辺りにティラノサウルスに近い大型恐竜がいたことがはっきりした」としている。>

 ティラノサウスルと言えば、恐竜映画の主役だ。いかにも強そうで獰猛なヤツだが、北米のイメージがある。ところが、同じようなヤツが日本の九州にも居たという事だ。当時の九州は大陸と陸続きだった。ティラノサウルス科の獰猛なヤツがうろついていたのだろう。
 先日山歩きをしていると、何度かトカゲを見た。虹のような筋模様のある小さなヤツだ。私が近づくと、一目散に逃げていく。用心深いヤツである。お前はティラノサウルスが生きていた頃にも居たのか。もしそうなら、お前、結構すごいヤツなんだな。


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大型ティラノサウルス、日本にも=歯の化石、国内初の発見―長崎市の地層
時事通信 7月14日(火)11時33分配信
 大型のティラノサウルス科肉食恐竜の歯の化石が国内で初めて長崎市で発見されたと、同市と福井県立恐竜博物館(勝山市)が14日発表した。恐竜の全長は10メートル程度と推定され、肉食恐竜としては日本最大。同博物館の宮田和周主任研究員は「日本にも、長崎辺りにティラノサウルスに近い大型恐竜がいたことがはっきりした」としている。
 国内ではこれまでに、ティラノサウルス科よりも広い分類群である「ティラノサウルス上科」に分類される原始的な恐竜の歯などの化石が、福井など5県で発見された。これらは全長4〜5メートル程度の小型とみられている。
 同博物館によると、今回の歯の化石は昨年5月、長崎半島西海岸に分布する「三ツ瀬層」と呼ばれる約8100万年前の白亜紀後期の地層から2点発見された。この地層では以前から恐竜の化石が見つかっていたため、発掘調査のノウハウを持つ同博物館が長崎市に申し入れ、共同調査を行っていた。 
 2点のうち1点は下顎左側の歯とみられ、エナメル質で覆われた「歯冠」と呼ばれる部分はほぼ完全な形で残っていた。全長82ミリ、歯冠部の長さ72ミリ、歯冠部根元の最大幅38ミリ、この部分の厚さ27ミリ。縁は肉食恐竜に特徴的なのこぎり状になっていた。もう1点は欠けたり変形したりしており、全長78ミリ、最大幅37ミリ、厚さ22ミリ。
 北米に生息していたティラノサウルスやアジアのタルボサウルスなど、大型のティラノサウルス科は歯に厚みがある点が特徴。これまでに発見された化石は厚さが二十数ミリ以上あり、今回見つかった化石も20ミリを超えていたことや、長さも長いことなどから、大型のティラノサウルス科のものと判断した。
 宮田主任研究員は「長崎からは多種多様な恐竜の化石が見つかっている。当時の九州は大陸と陸続きで、今後大陸の恐竜との関係も明らかになってくるだろう」と期待している。

<細胞に侵入したウイルスなどを、丈夫なたんぱく質の膜で囲って閉じ込める新しい「免疫」の仕組みを発見したと、情報通信研究機構の原口徳子主任研究員(細胞生物学)らの研究チームが18日、米科学アカデミー紀要に発表した。原口主任研究員は「まるで侵入者を牢屋(ろうや)に隔離するように、外敵の細胞内での活動を封じる仕組みのようだ」と話す。
 免疫は、生物の体内に侵入したウイルスなど外敵から身を守る防御機構。従来は、外敵が体内に入ると、それらを検知して分解する仕組みが知られていた。>


 生物の仕組みは複雑だ。免疫ひとつ取ってもまだまだ分からないことがあるようだ。外敵を包み込んで活動を封じるだけなのか、それとも何かを調べているのか。ミクロの世界には、まだまだ秘密がありそうだ。


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<免疫>新しい仕組み発見 細胞への侵入者を囲って閉じ込め
毎日新聞 5月19日(火)7時30分配信
 細胞に侵入したウイルスなどを、丈夫なたんぱく質の膜で囲って閉じ込める新しい「免疫」の仕組みを発見したと、情報通信研究機構の原口徳子主任研究員(細胞生物学)らの研究チームが18日、米科学アカデミー紀要に発表した。原口主任研究員は「まるで侵入者を牢屋(ろうや)に隔離するように、外敵の細胞内での活動を封じる仕組みのようだ」と話す。

 免疫は、生物の体内に侵入したウイルスなど外敵から身を守る防御機構。従来は、外敵が体内に入ると、それらを検知して分解する仕組みが知られていた。

 チームは、光る目印をつけたDNAを侵入者に見立てて細胞に取り込ませ、顕微鏡で観察した。すると、DNAが細胞内に入ると、約10分後には細胞表面の膜のような丈夫なたんぱく質の膜によってDNAが覆われた。観察を続けた約1日後まで、DNAは膜に覆われたままで、分解もされていなかった。

 また、取り込まれたDNAは、膜で閉じ込められる場合と、分解される場合の両方が観察されたという。原口主任研究員は「いずれが選ばれるかは偶然のようだ。免疫の多様性が明らかになり、これらの仕組みを利用した新たな遺伝子治療などの研究に役立つかもしれない」と話した。【斎藤有香】

江戸時代の丸薬発見

<鳥取市内の旧家の屋根裏に保管されていた、江戸後期のものとみられるわら包み「藁苞(わらづと)」の中から、1658年創業の老舗製薬会社「有川製薬」(滋賀県彦根市)の胃腸薬「神教丸(しんきょうがん)」が当時の姿のまま見つかった。専門家も「これほど保存状態の良いものは貴重」と話す。>

 丸薬と言うと、球体の小さなもので、しかし、工業製品のように完全な球体ではなく、少し歪なものもある、そんな感じがある。私が子供の頃は、そんな雰囲気の漂う薬があった。お腹の薬だったと思うが、小さいころに飲んだ記憶がある。よく効いたか覚えていないが、穏やかな効き目だったように思う。最近の薬はどうだろうか、まん丸のものは少なく、少し潰したような形だ。もう、丸薬と言う言葉は相応しくなく、錠剤と呼ぶ方がいい。
 江戸時代にも医者はいたし、薬もあった。それを知ってはいるが、実際に見たことは無い。現実に発見されると、薬はあったんだと実感が湧く。
 「神教丸」は、同じ会社が現在も製造販売しているから、その処方は江戸時代のものも伝承されていると思うが、実際はどうなのか、その成分に興味がある。伝承どおりの成分なのだろうか。その保存の仕方、包装の形、薬袋などどれも皆貴重な資料である。


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<胃腸薬>江戸の丸薬、発見…わらに包まれ鳥取の旧家に
毎日新聞 2月25日(水)15時10分配信
 鳥取市内の旧家の屋根裏に保管されていた、江戸後期のものとみられるわら包み「藁苞(わらづと)」の中から、1658年創業の老舗製薬会社「有川製薬」(滋賀県彦根市)の胃腸薬「神教丸(しんきょうがん)」が当時の姿のまま見つかった。専門家も「これほど保存状態の良いものは貴重」と話す。

 有川製薬によると神教丸は、長命長寿の神として有名な多賀大社(滋賀県多賀町)の教えに基づいて作られたと伝えられる赤色の胃腸薬で、現在も製造が続く。古い丸薬を発見したのは、地元で古文書研究を続ける意上奴(いがみぬ)神社(鳥取市)の宮司、大沢邦彦さん(69)。藁苞は大小三つあり、処分に困った持ち主から約3年前に譲り受けて昨年末から調査していた。

 丸薬の入った紙袋には神教丸と書かれており、殺菌作用があるとされる竹の皮に包まれていた。藁苞からは多賀大社と記された御洗米(ごせんまい)も見つかった。


 鳥取県教委文化財課の伊藤康晴専門員(日本近世史)によると、因幡地方では江戸後期〜大正期、神職の各戸訪問や参拝で入手した古いお札は藁苞に入れ保管されることが多かった。「家内安全や豊作などを祈願する意味があった」といい、伊藤専門員は「(丸薬も)多賀の神職がお札と共に持ち込んだのではないか」と推測する。

 古い薬を展示している内藤記念くすり博物館(岐阜県各務原市)の稲垣裕美学芸員は「古い薬が見つかることはあるが、たいていはカビが生えているなど保存状態が悪かったり、気付かれないまま捨てられてしまう。今回のように当時のままの形で残っているのは貴重」としている。【川瀬慎一朗】

<世界的にも化石標本がほとんどないメガマウスザメの歯の化石がこのほど、本島東海岸で発見された。北米やヨーロッパなどでの発見例はあるが、アジア地域での発見は公式記録として初めて。>

 北米やヨーロッパだけではなく、沖縄でも化石が見つかったということは、メガマウスザメが、北の海から南の温かい海まで生息していたということになり、貴重な発見だ。
 発見者の横山さんは、発見場所を化石収集が趣味の小学校3年生の岩瀬さんに教えられたのだそうだ。
 メガマウスザメは、絶滅種ではなく、現在も生息しているらしい。化石と併せて研究すれば、興味深い発見があるかもしれない。


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メガマウスザメの歯の化石、本島で発見 アジア初めて
琉球新報 1月21日(水)5時57分配信
 世界的にも化石標本がほとんどないメガマウスザメの歯の化石がこのほど、本島東海岸で発見された。北米やヨーロッパなどでの発見例はあるが、アジア地域での発見は公式記録として初めて。
 発見したのは沖縄美ら島財団(本部町)の沖縄美ら海水族館教育普及担当、横山季代子さん(44)。同財団総合研究センターの研究員冨田武照さん(32)と連名で論文をまとめ、春にも出版される日本古生物学会の英文の学術誌「古生物学研究」に掲載される。古生物学のサメを専門としている冨田さんは「今回の発見で、全世界に分布していたことが明らかになった。メガマウスザメの進化の解明につながれば」と話している。
 見つかった化石は1センチほどの大きさで、歯がフックのように曲がっている。冨田さんによると、見つかった海岸の地層が新生代第三期にあたることなどから、約1千万年前から300万年前の歯とみられる。
 横山さんの発見は、化石収集が趣味の岩瀬暖花(ほのか)さん(9)=那覇市立天久小3年=との出会いがきっかけだ。化石が多い東海岸の場所を暖花さんが紹介、横山さんがその場所で収集を進めている中で発見した。
 横山さんは「発見当時、価値のある化石と知らなかった。暖花さんと冨田さんとの出会いが今回の発見とアジア公式記録につながった」と話している。


<用語>メガマウスザメ 1976年にハワイで初めて発見された、プランクトンを主食とする体長約5〜6メートルの大型のサメ。世界的にまだ60例程度しか発見や捕獲がされておらず、生態は不明で「幻のサメ」といわれる。生きた状態ではめったに見られないという。化石の発見例はさらに少なく、これまで北米やヨーロッパなど10地域で歯の化石が見つかっているが、アジア地域では公的機関が所蔵し、論文発表された事例は過去にない。


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