腹立ち紛れ(笑)

随想録。思ったことをいろいろと。なお、記事と関連の無いコメントなどは削除します。あしからず。

考古歴史

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<奈良県明日香村の国史跡・名勝「飛鳥京跡苑池(えんち)」(7世紀)で、「取ったら災いが起きる」という内容の警告文が刻まれた珍しい土器が見つかった。警告の目的ははっきりしないが、泥棒よけや寺の権威を示すために刻んだ可能性がある。>

 何のために書かれているのだろうか。泥棒よけなのだろうか。器に「取ったら災いが起きる」と書いてあったら、現代でも、泥棒さんは取るのを躊躇するのではないか。当時も効果があったのだろうか。泥棒よけだとしたら、当時はよほど盗難事件が多かったのだろうか。
 これが泥棒よけに効果があったかどうかは分からないが、「取ったら災いが起きる」と書かれた器で飲み食いするのは、気持ちが悪いと思うのだが、当時の人は、さて、どうだったのだろうか。


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<飛鳥京跡>「取ったら災い」警告文付き土器を公開へ
毎日新聞 10月10日(金)20時15分配信
 奈良県明日香村の国史跡・名勝「飛鳥京跡苑池(えんち)」(7世紀)で、「取ったら災いが起きる」という内容の警告文が刻まれた珍しい土器が見つかった。警告の目的ははっきりしないが、泥棒よけや寺の権威を示すために刻んだ可能性がある。11日から奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(同県橿原市)で始まる特別展で一般公開される。

 同博物館によると、昨年度の発掘調査で見つかり、土器は口径12.3センチ、高さ3.1センチで7世紀末ごろに作られたらしい。器の外側に「川原寺坏莫取若取事有者□□相而和豆良皮牟毛乃叙−−」(□は判読不能)などと刻まれていた。「川原寺の坏(つき)であるから取るな。もし取ったら災いが起こるぞ」という内容で、漢字と万葉仮名で記されていた。

 苑池は天皇の宮殿に付属する国内初の本格庭園で、外交使節らをもてなしたと考えられる場所。川原寺は飛鳥川を挟んで西側にあった、飛鳥寺などと並ぶ重要な寺院。苑池からは寺の名前を墨書した土器が見つかっており、宮殿とのつながりが深いとされている。

 展示は11月30日まで。月曜休館。午前9時から午後5時。大人800円、高校大学生450円、小中学生300円。問い合わせは同博物館(0744・24・1185)。【矢追健介】

<最新技術を使った地下スキャンにより、英国の古代遺跡「ストーンヘンジ(Stonehenge)」を取り囲む大規模な建造物群の存在が明らかになった。考古学者らが10日、発表した。>

 地下スキャンというのは、遺跡を発見するための方法として極めて有効な方法ではないか。なんと言っても、実際に掘らなくていいというのが最も有利な点だ。土地を変形することなく調査が出来る。さまざまな理由で発掘が出来ない場所でも、調査が可能になるだろう。まだまだ多くの遺物、遺跡が埋蔵されているであろうわが国においても、威力が発揮できること、間違いあるまい。このストーンヘンジ周辺の建造物群の発見に刺激を受けて、我国でも地下スキャンが使われれば、遺跡の発見が相次ぐなんてこともあるかもしれないと、私は期待をしている。


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ストーンヘンジ周辺で新たな建造物群発見、地中に17の神殿
AFP=時事 9月11日(木)7時49分配信
【AFP=時事】最新技術を使った地下スキャンにより、英国の古代遺跡「ストーンヘンジ(Stonehenge)」を取り囲む大規模な建造物群の存在が明らかになった。考古学者らが10日、発表した。

 英南西部のソールズベリー平原(Salisbury Plain)に円を描いて立つ謎めいたストーンヘンジは、欧州の遺跡の中で最も象徴的なものの一つだが、独立した建造物と思われていた。だがストーンヘンジの周囲12平方キロを地下3メートルの深さまで高解像度でスキャンしたところ、17の隣接する神殿が発見された。

 プロジェクトリーダーのビンセント・ガフニー(Vincent Gaffney)教授は、イングランド(England)中部バーミンガム(Birmingham)で開かれた英国科学フェスティバル(British Science Festival)で、「これによりわれわれのストーンヘンジの見方が変わるだろう」と述べた。

 4年に及んだ調査には、最新式金属探知機である磁気探知器、地中探知レーダー、電磁センサー、3次元レーザースキャナーが使用された。

 発見されたのは6000年前の建造物群で、木や石でできた17の構造物や数十に及ぶ埋葬塚が含まれる。また巨大な穴も複数見つかり、一部は天文学的な配列を形成しているようにも見える。

 さらに、近くにある外周約1.5キロの「スーパーヘンジ」、ダーリントン・ウォールズ (Durrington Walls)をスキャンしたところ、その周囲にはかつて、高さ最大3メートルの柱または石が最大で60個置かれていたことが示された。

 発見された多数の埋葬塚の中には長さ33メートルの古墳が含まれており、その内側には巨大な木造建築を示す証拠も見つかっている。この場所は、遺体の一部の切除を含む死者に対する複雑な儀式の場であったとみられている。【翻訳編集】 AFPBB News

<国内で現存するものとしては最古とみられるそろばんが、老舗メーカーの雲州堂(大阪市中央区)で見つかった。16世紀末、豊臣秀吉の天下取りを支えた軍師、黒田官兵衛の側近が秀吉から与えられたものとされ、作りは豪華で保存状態も良好。7日から同市内で開かれる文具の見本市で初公開される。>

 そろばんが日本に伝わったのは、16世紀後半なのだそうだ。戦国から安土桃山時代の頃だろうか。私はもっと早い時期、平安時代頃かと何となく思っていた。そう言えば、平安時代には算木とかいうものが使われていたとか聞いた記憶がある。
 当時、そろばんは最新式の計算機だったのだろう。発見されたそろばんは、秀吉から下賜されたものらしく、作りが豪華だというから、実用品というよりも工芸品として保存されたのかもしれない。
 発見されたものは、中国式だ。では日本式のそろばんはいつ頃出来たのだろうか。ウィキペディアによれば、江戸時代に小型になり珠の形が現代のようなひし形のようなものになった。江戸時代中期には4つ珠が提案されたが普及しなかった。現代のような4つ珠になり広く普及したのは、昭和になってからであるらしい。これも、私は江戸時代だろうと思っていたから、それよりもずっと新しいことだった。日本式そろばんは、電子機器を使わない計算機としては、最新式の最も優れた計算機と言えるのかもしれない。


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日本最古のそろばんを大阪で発見 「官兵衛側近が秀吉から拝領」
産経新聞 8月3日(日)7時55分配信
 国内で現存するものとしては最古とみられるそろばんが、老舗メーカーの雲州堂(大阪市中央区)で見つかった。16世紀末、豊臣秀吉の天下取りを支えた軍師、黒田官兵衛の側近が秀吉から与えられたものとされ、作りは豪華で保存状態も良好。7日から同市内で開かれる文具の見本市で初公開される。

 そろばんは中国式の「二−五珠(たま)」。枠が紫檀(したん)材で銀の装飾があり、片面に「貫」など重さの単位が、裏面には「石」などコメの量の単位が、それぞれ記されている。雲州堂が戦後間もないころに入手したが、製造年代などは不明だった。

 謎解きのきっかけは官兵衛ブームと、そろばんを収めた木箱に墨書された「四兵衛重勝拝領算盤」の文字。四兵衛重勝は、官兵衛の側近である「黒田二十四騎」の一人、久野重勝のことだった。

 雲州堂の日野和輝社長が今年2月、黒田二十四騎の企画展を開催していた福岡市博物館に問い合わせたところ、関係する2通の古文書が発見された。秀吉の九州平定(1587年)後か、朝鮮半島に出兵する文禄の役(1592年)直前に築城や区画整理で貢献した重勝に秀吉が褒美としてそろばんを与えたとしており、その特徴が雲州堂の保管するものと一致した。

 そろばんが中国から日本に伝わったのは16世紀後半。前田利家が文禄の役の陣中で使用したものが現存する最古とされてきた。四兵衛重勝拝領算盤について、珠算史研究学会副会長の大垣憲造さんは「豪華な作りで天下人からの拝領物にふさわしい。古文書から日本最古級であることは間違いない」と話している。

 四兵衛重勝拝領算盤は、大阪市中央区の「マイドームおおさか」で7、8日に開かれる「文紙MESSE 2014 文具ワンダーランドV」(入場無料)で公開される。

古墳の取り壊し

 古墳は取り壊されるのが普通! 古墳が取り壊されることがあるのは知っていた。しかし、取り壊されるのは少ないのだろうと何となく思っていた。ところが、遺構の発掘調査というのは、詳細な記録を取った後取り壊されてしまうのが普通なのだそうだ。貴重な過去の遺物なのに! 取り壊されてしまうとは。
 そういえば、街中でも普通の道端に○○の遺跡跡という小さな石碑を見つけることがある。あれが遺跡の取り壊された跡なのだ。遺跡の跡に道路が出来たり家が建ったりしているのだ。遺跡の跡に普通に生活しているわけだ。
 我国は、1万年以上も前から人間が住んでいる。だから、掘れば遺跡が出てくる可能性が何処にでもある。一々遺構を保存していたら、住む所がなくなってしまう。遺構が取り壊されてしまうのは仕方のないことなのだろう。
 日本列島には1万年以上も前から縄文人が住んでいて、その子孫である我々が今現在も同じ日本列島に住み続けている。縄文人たちが踏んでいた同じ大地を今我々が踏んでいると思うと、なんだか不思議な気がするのだ。


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児童“直訴”で古墳残った、取り壊し予定から一転保存 大津市
産経新聞 2月21日(金)15時34分配信
 大津市北部の曼陀羅山(まんだらやま)古墳群で、宅地開発に伴い取り壊しが決まった古墳5基のうち1基について、市は現状のまま保存する計画に変更した。古墳に隣接する市立真野北小学校の児童が「地域の歴史遺産を残して」と越直美市長に“直訴”したのを機に、市教委と所有者の協議で変更が決定。いったん取り壊しが決まった遺構の保存が決まることは珍しく、市教委は「子供たちの熱意の結果だ」としている。

 約120基の古墳が確認されている曼陀羅山古墳群。このうち同小に隣接する5基は、市教委の昨年6月からの発掘調査で見つかった。いずれも古墳時代後期の円墳で直径12〜21メートル。

 調査地5200平方メートルを含む一帯は、昭和40年代に京阪電鉄が宅地開発目的で購入。当初から遺跡の存在が推定されていたため、滋賀県教委の指導で該当区域を柵で囲い、保全を図ってきた。その後、同社は宅地開発を市教委に申し出て協議を重ね、発掘調査で記録を残した上で開発することが平成24年度に決まった。

 調査開始に先立ち区域内の樹木が伐採されると、古墳がよく見えるように。隣接する同小では、以前から地元の古墳群を授業で取り上げており、古墳に親しみを持つ児童たちが、昨年5月、同小を訪れた越市長に、意見交換の場で古墳を保存するよう“直訴”。8月にも児童らが市役所を訪れ、越市長に再度訴えた。その後、市教委と同社との協議で1基を残すことで合意したという。

 市教委文化財保護課の担当者は「多くの発掘調査の場合、遺構は『記録保存』の形を取り、詳細な記録を作ったあと取り壊される。子供たちが古墳に興味を持ち、行動してくれてうれしい」と話す。

 “直訴”したメンバーで同小6年の横田咲輝さん(12)は「古墳を見学させてもらうと、普段の授業では学べないことが分かった」と保存の意義を強調。上野真校長は「市や所有者が児童の意見に耳を傾けてくれたことに感謝したい」と話していた。

温泉と遺跡の関係

<日本列島の人々はいつから温泉好きだったのか−−。奈良県立橿原考古学研究所の研究員、橋本裕行さん(54)が、考古学的な視点から温泉と人々の関係を明らかにする「温泉考古学」を提唱し、研究を進めている。古代の温泉数十カ所を調査して、内陸部に集落遺跡ができた要因の一つとして、近くに温泉があったことが関係していると推論。新しい視点から遺跡を分析する取り組みで、温泉研究者も注目している。>

 温泉の周りに人が集まって集落を作る。珍しいことではないように思う。ところが、考古学的には注目されてこなかった視点だという。どうして注目されなかったのか不思議なことだ。
 温泉の中でも塩化ナトリウムを含む温泉に注目して研究するのだそうだ。草食動物は塩分を摂取する必要があり、こういう温泉に集まって来る可能性があるという。その場合、狩猟の点でとても有利になるというわけだ。温泉が狩猟の点でも有利になるとは思わなかった。
 古代の狩猟生活は、食糧を獲得するだけで大変でかなり辛いものだったと思ってしまうが、温泉の周りに住居を結んだ古代人たちは、案外余裕があったのかもしれない。彼らも現代の我々のように、温泉に浸かってくつろぐということがあったのだろうか。




<テルマエ・ニッポン>温泉と遺跡の関係…考古学的研究進む
毎日新聞 2月19日(水)15時1分配信
 日本列島の人々はいつから温泉好きだったのか−−。奈良県立橿原考古学研究所の研究員、橋本裕行さん(54)が、考古学的な視点から温泉と人々の関係を明らかにする「温泉考古学」を提唱し、研究を進めている。古代の温泉数十カ所を調査して、内陸部に集落遺跡ができた要因の一つとして、近くに温泉があったことが関係していると推論。新しい視点から遺跡を分析する取り組みで、温泉研究者も注目している。

 橋本さんが、温泉に考古学的な関心を抱いたのは約15年前。今はダム湖に沈んでしまった奈良県川上村の縄文時代の遺跡「宮(みや)の平(たいら)遺跡」調査を担当し、「なぜ山深い地に大量の石器が出るのか」と疑問に思った。調べてみると、現地には昔、温泉が湧いていたという話があり、現在も近くに村営温泉がある。獣医師の父から「草食動物は塩分を摂取する必要がある」と聞き、動物が塩分を含む温泉に集まることで狩猟場など人間の営みが生まれたのでは、と考えた。

 そこで「縄文遺跡の形成に、塩化ナトリウムを含む温泉が関与した」と仮説を立てて、塩の採取が難しい内陸部の事例を精査した。

 すると、佐賀県嬉野(うれしの)市の嬉野温泉の温泉街にある公園からは、石おのや黒曜石の剥片が出土していたり、長野県諏訪市の上諏訪温泉がある諏訪湖の湖底遺跡から出土した土器には、湯あかが付着していたりした。「日本書紀」「風土記」「万葉集」などの文献には温泉に関する記述があり、日本列島の住人が古来、温泉に親しんできたことをうかがわせる。

 橋本さんは古代・中世の文献を読み込み、当時から知られていた温泉と、その周辺にある遺跡を一覧にして地図に落とし、温泉の成分や遺跡からの出土物も調べている。

 橋本さんは「温泉と遺跡に何らかの関係があるのかもしれない、というのは遺跡を見る新しい視点。各地の研究者にも、そういった視点で見てもらえたら面白い。日本人と温泉の深い関係を考えてほしい」と語る。

 温泉学会会長の竹下賢・関西大法科大学院教授は「道後温泉(松山市)は神代の昔からあると言われる。日本にも古代ローマの浴場遺跡のようなものがあるかもしれない。温泉界が盛り上がるきっかけになれば」と歓迎している。古代ローマの浴場設計技師が主人公の漫画「テルマエ・ロマエ」が話題になり映画化されるなど古代風呂への関心は高まっている。【矢追健介】


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