腹立ち紛れ(笑)

随想録。思ったことをいろいろと。なお、記事と関連の無いコメントなどは削除します。あしからず。

考古歴史

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<遺跡や遺物の年代を、樹種を問わず、少量の試料で測定できる画期的な木材の年代測定法を、名古屋大大学院環境学研究科の中塚武教授(気候学)が考案した。1年単位の高精度で安く短時間に、年代測定ができるという。>

 樹種を問わず、1年単位の高精度というのがすごい。その上、安く短時間に測定できるというから、画期的だ。記事にもあるとおり、論争が続く弥生や古墳時代の開始時期など、考古学や歴史学に多大な影響を与えそうだ。


以下、ニュース  一部、フォントを変えてある。

<遺跡・遺物の木材>1年単位の新測定法 確率ほぼ100%
毎日新聞 6月3日(月)8時26分配信
 ◇名大大学院の中塚教授考案

 遺跡や遺物の年代を、樹種を問わず、少量の試料で測定できる画期的な木材の年代測定法を、名古屋大大学院環境学研究科の中塚武教授(気候学)が考案した。1年単位の高精度で安く短時間に、年代測定ができるという。論争が続く弥生や古墳時代の開始時期など、考古学や歴史学に多大な影響を与えそうだ。7月に開かれる日本文化財科学会の年次大会で発表される。【伊藤和史】

 新しい測定法は、木材の年輪に含まれるセルロースの酸素同位体比が、年ごとの降水量に左右される現象を応用した。

 雨が多い年は軽い酸素同位体の比率が高くなり、少ないと重い同位体の比率が高くなる。このためセルロースには、年輪が成長する夏季の降水量の多寡の情報が1年ずつ保存されている。

 中塚教授は現代から2000年前までの木材を測定し、1年ごとの変動パターンを突き止めた。さらに、北海道などの一部を除き、日本列島の各地域で樹種を問わず、同様の変動パターンが表れる見通しも立った。

 これにより、50年ほどの年輪が残る木材の酸素同位体比の変動パターンを測定し、データと照合すれば、ほぼ100%の確率で年代が特定できるという。

 遺跡や遺物の年代測定法としては、樹木年輪の1年ごとの幅を測る年輪年代法があるが、100年以上の年輪が必要で樹種も杉やヒノキなどに限られる。また、放射性炭素14年代法は測定費が高く、必ず誤差を伴う。

 新測定法にはそうした弱点がない。現在、3500年前までの木材を測定しデータを集める作業も進めている。


 ◇ことば:酸素同位体比

 酸素には原子核に含まれる中性子の数により、重さの異なる3種の安定同位体がある(質量数16、17、18)。地球化学では、質量数18の数量を16の数量で割った数値を「酸素同位体比」として盛んに利用している。

出土した瓦に和歌

<奈良県斑鳩町教委は27日、聖徳太子ゆかりの中宮寺跡(国史跡)の発掘調査で出土した瓦(7世紀中〜後半ごろ)に、和歌「難波津(なにわづ)の歌」の一部が、万葉仮名で書かれていたと発表した。難波津の歌は、古くから万葉仮名の手習いに使われ、歌が書かれた木簡は多く出土しているが、瓦に書いた例は珍しい。文字はヘラで書かれ、瓦職人が焼く前の瓦で文字を練習していたとみられる。>

 瓦職人が文字の練習をしていたというのが驚きだ。文字は、身分の高い人や役人だけが使うものではなくなっていたのだろうか。日本人のレベルの高さが感じられる出来事だ。
 文字の練習に和歌が使われているのが、何とも優雅だ。現代では、和歌は音としてではなくほとんど文字として存在している。声に出して読み上げて楽しんだり、節をつけて歌って楽しんだりということは、ほとんどなくなってしまった。しかし、当時は現在よりも音として存在していたのではないか。この瓦にヘラで和歌を書き付けた職人は、この和歌を歌いながら瓦を焼いていたのだろうか。


以下、ニュース  一部、フォントを変えてある。

<難波津の歌>万葉仮名で瓦に 聖徳太子ゆかりの寺跡で出土
毎日新聞 5月27日(月)22時2分配信
 奈良県斑鳩町教委は27日、聖徳太子ゆかりの中宮寺跡(国史跡)の発掘調査で出土した瓦(7世紀中〜後半ごろ)に、和歌「難波津(なにわづ)の歌」の一部が、万葉仮名で書かれていたと発表した。難波津の歌は、古くから万葉仮名の手習いに使われ、歌が書かれた木簡は多く出土しているが、瓦に書いた例は珍しい。文字はヘラで書かれ、瓦職人が焼く前の瓦で文字を練習していたとみられる。

 町教委によると、出土した瓦は割れた状態で、長さ12センチ、幅10.2センチ、厚さ1.6センチ。側面に「ツ尓佐久移己」という6文字が書かれていた。「難波津の歌」は古今和歌集で紀貫之が「歌の父母(手本)」と記し、和歌を習得する際に学ぶ歌とされた。観音寺遺跡(徳島県)から出土した木簡(7世紀後半)などに記され、当時の役人が練習していたらしい。瓦からの出土は、山田寺跡(奈良県桜井市)に続き2例目。

 東野治之・奈良大教授(日本古代史)は「勉強家の職人や工事監督者が作業の合間を縫って、手近な瓦で練習していたのでは。役人以外の人たちにも『難波津の歌』が浸透していたことがうかがえる」と推測している。

 中宮寺は、7世紀前半に建立、16世紀ごろに約400メートル離れた現在地に移転したとされる。【小坂剛志】

<北海道や福井県で出土した約1万5000〜1万1800年前(縄文時代草創期)の土器から、魚などを加熱調理したとみられる世界最古の痕跡を発見したと、英ヨーク大学や新潟県立歴史博物館などの研究チームが11日付の英科学誌ネイチャーに発表する。>

 これまでに確認されていた最も古い調理の跡は、地中海東沿岸地域から出た約9000年前の土器で見つけた、動物の乳を加工した跡だというから、こちらの方が随分古い。
 よく見る縄文土器の形から考えると、煮て調理したのかと思うが、記事には、<魚などの水生生物を270度以上で加熱したときに生ずる残留物を検出した>とあるから、焼いて調理したものかもしれない。土器は、当時の最先端調理器具であったろうから、最高のご馳走が調理されたのだろう。出来上がった料理で一家団欒、そんな風景が縄文人たちにもあったのだろうか。

 下には、同じような記事をもう一つ、ニュース(2)として取り上げた。
 内容は同じようなものだが、こちらは、1万4000年前になっており、場所は北海道、日欧研究チームでオランダの博士らが行った研究となっている。決定的な違いは、こちらの方は、既に10日の英科学誌ネイチャー電子版に発表したとなっていることだ。別の研究チームなのだろうか。こちらは、先に発表しなければ、最古の調理跡発見とはならない可能性があるので、早めに発表したということなのだろうか。


以下、ニュース(1)  一部、フォントを変えてある。

世界最古の調理跡発見、魚など水生生物加熱か
読売新聞 4月11日(木)9時58分配信
 北海道や福井県で出土した約1万5000〜1万1800年前(縄文時代草創期)の土器から、魚などを加熱調理したとみられる世界最古の痕跡を発見したと、英ヨーク大学や新潟県立歴史博物館などの研究チームが11日付の英科学誌ネイチャーに発表する。

 これまでに確認されていた最も古い調理の跡は、地中海東沿岸地域から出た約9000年前の土器で見つけた、動物の乳を加工した跡だった。

 研究チームは、国内13か所の遺跡から出土した世界最古級の土器試料101個を分析。このうち、北海道帯広市と福井県若狭町で出た土器の焦げ跡から、魚などの水生生物を270度以上で加熱したときに生ずる残留物を検出した。若狭町の試料には、陸上哺乳類の可能性がある残留物も含まれていた。

 また、残留物の元素を詳しく調べたところ、「食材」の多くは海の幸だったが、淡水産に似た特徴を含む残留物も一部に見られたことから、サケのように海と川を行き来する魚を調理した可能性もある。


以下、ニュース(2)  一部、フォントを変えてある。

土器の煮炊き跡、世界最古=1万4000年前、北海道の縄文式―日欧チーム
時事通信 4月11日(木)2時7分配信
 北海道帯広市の大正遺跡群「大正3」遺跡で発掘された約1万4000年前の縄文土器片から、海産物を煮炊きした焦げかすが見つかったと、日欧研究チームが10日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。土器を煮炊きに使った証拠としては世界最古で、海産物は川をさかのぼったサケ・マス類の可能性があるという。
 この研究はオランダ・フローニンゲン大のピーター・ジョーダン博士らが、土器は狩猟採集時代にアジアから欧州に伝わったとみて行っている調査の一環。中国江西省の洞窟遺跡では、世界最古の2万〜1万9000年前の土器片が見つかっている。 

新宿で縄文時代の人骨

<東京都新宿区は30日、同区市谷加賀町のマンション建設予定地で、約4千年前の縄文時代の人骨が11体分見つかったと発表した。区によると、発見場所は酸性土壌の武蔵野台地のため骨が長期間土中で残ることは極めて珍しく、貴重な資料になるという。>

 最先端のものや情報が集まる大都会の真ん中で、縄文時代の人骨が見つかった。約4千年後の武蔵野を見てその変貌振りに彼らは驚いているに違いない。車と呼ばれる奇妙な鉄の塊が走り、ビルと呼ばれる空洞と穴ぼこだらけの岩の中にたくさんの人が住んでいるのだ。夜になっても暗闇にはならず、空には星の数さえ少なくなっている。変わらぬものは月影だけか…。
 DNA鑑定の技術の発達によって出土した人骨の血縁関係まで分かるという。顔の復元も行うというから、彼らが生きていた時の様子がかなり具体的に再現できるのかもしれない。


以下、ニュース  一部、フォントを変えてある。

4000年前「新宿の縄文人」 人骨11体分出土
産経新聞 1月31日(木)7時55分配信
 東京都新宿区は30日、同区市谷加賀町のマンション建設予定地で、約4千年前の縄文時代の人骨が11体分見つかったと発表した。区によると、発見場所は酸性土壌の武蔵野台地のため骨が長期間土中で残ることは極めて珍しく、貴重な資料になるという。

 最初に骨が見つかったのは昨年11月中旬。その後調査を続けたところ、計11体分を発見。このうち7体は並んでおり、また副葬品とみられる土器などもあったことから、埋葬されたものだとみられる。この7体は保存状態が極めて良好だという。

 区は国立科学博物館に人骨の鑑定を依頼。放射性炭素年代測定などから約4千年前の縄文時代のものだと分かった。区は「縄文時代の埋葬方法がうかがえ、考古学、人類学、民族学の第一級の資料」としている。

 今後、人骨のDNA鑑定などを行い、11人の血縁関係などについて調べるという。また、人骨から顔を復元し、新宿区に住んでいた縄文人がどんな顔立ちだったかを明らかにする方針。

新潟の古墳から銅鏡

<新潟県胎内市教委は15日、同市内にある古墳時代前期(4世紀前半)の「城(じょう)の山古墳」で昨年見つかった銅鏡が、中国で1〜3世紀に作られたとみられる「盤龍鏡」であることが判明したと発表した。>
<城の山古墳からは、銅鏡や勾玉(まがたま)など、近畿地方でよく見られる副葬品がそろって出土。日本書紀の記述より300年も前に、大和政権の影響がこの地域に及んでいたと考えられ、同市教委などが昨年9月に副葬品を掘り出して調査していた。>


 日本書紀の記述より300年も前というのが面白い。記紀の中の古い時代の記述は実際よりも古く書いていると思っていたからだ。しかも私は、大和政権の勢力は東日本にはあまり及んでいなかったと思っていたから一層驚いた。これらは根拠の無い私の勝手な思い込みだったようだ。


以下、ニュース  一部、フォントを変えてある。

中国・大和政権を経て?…新潟の古墳に銅鏡
読売新聞 1月15日(火)11時4分配信
 新潟県胎内市教委は15日、同市内にある古墳時代前期(4世紀前半)の「城(じょう)の山古墳」で昨年見つかった銅鏡が、中国で1〜3世紀に作られたとみられる「盤龍鏡」であることが判明したと発表した。

 東日本での出土は珍しく、発掘の指導にあたった新潟大の橋本博文教授(考古学)は「大和政権からもたらされた可能性が高い」としている。

 同市教委によると、盤龍鏡は直径約10センチ。中央周辺には口を開けた一本角の竜が彫られ、中心にはひもを通す穴が開けられていた。中国での使用方法と共通しており、後漢(1世紀後半〜2世紀前半)か魏晋代(3世紀中頃)に作られたものとみられるという。

 また、国内最古とみられる弓の装飾品「両頭金具」2点が見つかったことも発表。金具はそれぞれ約2センチ、鉄製とみられる。

 これまで、長野市の大星山3号墳(4世紀後半)から出土したものが国内最古とされていたが、同古墳で出土した土器の年代と比較したところ、両頭金具が数十年遡ることが分かったという。

 城の山古墳からは、銅鏡や勾玉(まがたま)など、近畿地方でよく見られる副葬品がそろって出土。日本書紀の記述より300年も前に、大和政権の影響がこの地域に及んでいたと考えられ、同市教委などが昨年9月に副葬品を掘り出して調査していた。

 3月3日に同市でシンポジウムを行い、出土品を一般公開する予定。


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