腹立ち紛れ(笑)

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考古歴史

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最古の平仮名

<右大臣も務めた平安時代前期の有力貴族、藤原良相(よしみ)(813〜67)の邸宅跡(京都市中京区)から、最古級の平仮名が大量に書かれた9世紀後半の土器が見つかった。京都市埋蔵文化財研究所が28日発表した。平仮名はこれまで、9世紀中ごろから古今和歌集が編さんされた頃(905年)に完成したとされてきたが、わずかな資料しかなく、今回の発見は成立過程の空白を埋める画期的なものという。>
<今回発見された文字は草仮名よりはるかに洗練され、4文字程度を流れるように続けて書く「連綿体(れんめんたい)」を取り入れるなど、後世の書法に匹敵する完成度という。>


 記事には、<今回の発見は成立過程の空白を埋める画期的なもの>とあるが、成立過程の空白を埋めるというよりも、現在考えられている成立過程の考えを覆す可能性がある、と言えるのではないか。
 今回の発見された資料は、草仮名の資料よりも古い可能性が高い。にも拘らず、<「連綿体(れんめんたい)」を取り入れるなど、後世の書法に匹敵する完成度>だという。ということは、草仮名が崩されて平仮名が出来たのではなく、別の過程を経て平仮名が出来た可能性があるということだろう。非常に興味深い発見だ。


以下、ニュース  一部、フォントを変えてある。

<平仮名>9世紀後半の土器から発見 最古のものか
毎日新聞 11月28日(水)20時55分配信
 右大臣も務めた平安時代前期の有力貴族、藤原良相(よしみ)(813〜67)の邸宅跡(京都市中京区)から、最古級の平仮名が大量に書かれた9世紀後半の土器が見つかった。京都市埋蔵文化財研究所が28日発表した。平仮名はこれまで、9世紀中ごろから古今和歌集が編さんされた頃(905年)に完成したとされてきたが、わずかな資料しかなく、今回の発見は成立過程の空白を埋める画期的なものという。

 佛教大キャンパス建設に伴う昨年の調査で、平安京跡にある邸宅の池跡から9世紀後半のものとみられる墨書の土器約90点が見つかり、うち約20点に平仮名が書かれていた。下層の井戸跡からは、約10点の木簡や檜扇(ひおうぎ)の断片も見つかった。

 専門家が平仮名の解読を試みたところ、土師器(はじき)の皿や高坏(たかつき)から「かつらきへ」「ひとにくしとお(も)はれ」などの文字が読み取れた。「かつらきへ」は神楽歌の一節の可能性があり、「ひとにくし……」は枕草子(11世紀初め)や蜻蛉(かげろう)日記(10世紀後半)にも登場する表現という。

 皿1枚に約40文字もあったり、高坏の脚部分に1〜2ミリ角の細かい文字がびっしり書かれたりしていた。筆跡が違う文字もあり、複数の人物が書いたとみられる。墨の保存状態は良く、筆の運びも鮮明に残っていた。だが後世の平仮名とは崩し方が異なり、ほとんどの文字は解読できなかった。

 檜扇類には、「奈※波都(なにはつ)」など当時の手習いに使われた和歌の冒頭などが万葉仮名で記されていた。

 平仮名の成立過程の資料として「藤原有年申文(ふじわらのありとしもうしぶみ)」(867年)がある。讃岐の国司が都に提出した文書の一部で、草書をさらに崩した漢字を仮名のように使用したもので、「草仮名(そうがな)」と呼ばれる。こうした例は9世紀後半の赤田(あかんだ)遺跡(富山県射水市)の土器にも見られる。

 今回発見された文字は草仮名よりはるかに洗練され、4文字程度を流れるように続けて書く「連綿体(れんめんたい)」を取り入れるなど、後世の書法に匹敵する完成度という。

 藤原良相は、皇族以外で初めて摂政となった藤原良房(よしふさ)の弟。漢文や仏教に造詣の深い教養人だったといわれる。豪壮な邸宅は「百花亭」と呼ばれ、清和天皇も訪れて桜の宴を開いたとされる。

 井上満郎・同研究所長は「これだけ大量に、しかも平安京跡の真ん中から発見されており、仮名の成立過程を探る一級の資料。良相邸は当時、最先端の文化サロンだったのではないか」と話している。【榊原雅晴】

※は「弥」の弓へんを除いたつくり部分

 ★平仮名 日本語の一音節を漢字で表す「万葉仮名」を書き崩した草書体(草仮名)が、平安時代に使われるようになった。これを大胆に省略したのが平仮名で、漢字に対して「女手(おんなで)」とも呼ばれた。和歌を詠む際に使われ、勅撰(ちょくせん)集「古今和歌集」に用いられた。一方、漢文訓読のため漢字の一部を使う片仮名も生まれ、「平仮名」という呼び方は片仮名と区別するため後世につけられた。

最古のやり用石器

<南アフリカ北部の約50万年前の地層から、やりの先端に使ったとみられる鋭い石器「尖頭器」が見つかったと、カナダ・トロント大や米アリゾナ州立大の研究チームが16日付の米科学誌サイエンスに発表した。…(中略)…まだ現生人類のホモ・サピエンスが出現していない時代で、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の共通祖先であるホモ・ハイデルベルゲンシスが、やり用に作った可能性があるという。>

 現生人類以外でも石器を使用していた。彼らは言語を使っていたのだろうか。もし、道具を使い、言語を使用していたなら、やはり人類と言うべきなのだろう。一体何時頃人類と呼べる生物が現れたのだろうか。興味の尽きないところだ。


以下、ニュース  一部、フォントを変えてある。

50万年前、最古のやり用石器=現生人類祖先が作製か―南ア
時事通信 11月16日(金)4時35分配信
 南アフリカ北部の約50万年前の地層から、やりの先端に使ったとみられる鋭い石器「尖頭器」が見つかったと、カナダ・トロント大や米アリゾナ州立大の研究チームが16日付の米科学誌サイエンスに発表した。やり用の尖頭器はこれまでアフリカや欧州の約30万年前以降の遺跡から発見されており、約20万年さかのぼり最古となる。
 まだ現生人類のホモ・サピエンスが出現していない時代で、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の共通祖先であるホモ・ハイデルベルゲンシスが、やり用に作った可能性があるという。 

縄文早期に犬埋葬

<慶応大の研究チームは1日、1962年に愛媛県美川村(現久万高原町)の縄文時代の遺跡から発掘されたイヌ2頭の全身骨格を、放射性炭素を使って年代測定した結果、縄文早期末〜前期初頭(7200〜7300年前)のものと分かったと発表した。埋葬されたイヌの骨としては国内最古で、縄文人とイヌの関係を知る手掛かりになるという。>

 日本では、縄文の昔から犬は人間の友だちだったのだ。わざわざ埋葬しているのだから、現代の日本人と同じく、犬を家族の一員として見ていたのだろう。
 日本人は、欧米人と違い、自分たちの都合のいいように犬を品種改良するようなことはしてこなかった。従って、縄文時代の犬も現在の日本犬と大きな違いは無かったと思われる。耳が三角にピンと立って尻尾が巻いているあの颯爽とした姿である。
 縄文人は、犬を連れて山で狩をしたのだろうか。現在のペットのような感覚で可愛がったのだろうか。縄文人の子供たちはきっと犬と遊んだに違いない。そして、その犬が死んだ時には現代の我々と同じく悲しみ、埋葬したのに違いない。


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縄文早期にイヌ埋葬=国内最古、7300年前―慶応大
時事通信 11月1日(木)21時23分配信
 慶応大の研究チームは1日、1962年に愛媛県美川村(現久万高原町)の縄文時代の遺跡から発掘されたイヌ2頭の全身骨格を、放射性炭素を使って年代測定した結果、縄文早期末〜前期初頭(7200〜7300年前)のものと分かったと発表した。埋葬されたイヌの骨としては国内最古で、縄文人とイヌの関係を知る手掛かりになるという。日本人類学会の大会で2日に報告する。
 2頭のイヌの骨は、縄文時代早期の上黒岩岩陰遺跡から埋葬された形で発掘されたが、その後所在不明になっていた。昨年、慶応大の考古資料収蔵庫で半世紀ぶりに見つかり、放射性炭素14を使った年代測定で7200〜7300年前のものと分かった。 

古代ローマのガラス玉

<広島県三次市東酒屋町の松ヶ迫矢谷遺跡(3世紀前半)から出土したガラス玉3点(直径約1センチ)が、古代ローマ帝国で作られたガラスを素材にしていた可能性の高いことがわかった。>

 3世紀前半といえば、邪馬台国の頃か、それともそれよりまだ前か。そんな古い時代に、はるばる古代ローマ帝国からこのガラス玉の原料は、旅してきたのか。そんなに古い時代には、地域ごとの結びつきが強く、地域同士の交流はほとんど無いかと思ったが、実際にはそうでもなかったのだろうか。それとも、このガラス玉の原料は、数奇な運命に導かれ、奇跡的に日本に辿り着いたのだろうか。


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出土のガラス玉、古代ローマ帝国製か…広島
読売新聞 9月12日(水)12時1分配信
 広島県三次市東酒屋町の松ヶ迫矢谷遺跡(3世紀前半)から出土したガラス玉3点(直径約1センチ)が、古代ローマ帝国で作られたガラスを素材にしていた可能性の高いことがわかった。

 当時の交易や交流の姿を示す貴重な史料になりそうだ。

 県立歴史民俗資料館(三次市小田幸町)が発表した。ガラス玉は1977年、三次工業団地造成に伴って行われた発掘調査で、埋葬施設から出土。コバルト色で、長さ7・3〜7・9ミリ、直径8・8〜9・9ミリ。中央に穴が開けられ、装身具の一部に使われたと推測されている。

 3月、奈良文化財研究所(奈良市)が、蛍光エックス線などで分析。その結果、ローマ帝国産ガラスの特徴である、「ナトロン(蒸発塩)」が使われていることが確認された。ガラスの産地は地中海沿岸から中東にかけてのエリアと考えられるが、玉形に加工したり、色づけしたりした地域は不明だという。

 同資料館の下津間康夫学芸課長は「ローマ帝国産のガラスで造られたと推測されるガラス玉では、国内最古級。1800年前の物流が確認できる貴重な史料」としている。

 ガラス玉は14日から同資料館で開かれる秋の特別企画展「中国山地の原始・古代」で公開される。

<全国で4番目に大きい岡山市の造山(つくりやま)古墳(全長350メートル、国史跡)で、墳丘上にある石棺に線刻が見つかり、装飾古墳だったことが確認された。>

 装飾古墳とは、どういうものか書いていないのでよく分からない。調べてみると、<装飾古墳(そうしょくこふん)は、日本の古墳のうち、内部の壁や石棺に浮き彫り、線刻、彩色などの装飾のあるものの総称で、墳丘を持たない横穴墓も含まれる>(ウィキペデア)のだそうだ。
 巨大古墳といえば近畿地方のイメージがあるが、近畿以外にも巨大古墳はある。今回の発見で、造山(つくりやま)古墳が、装飾古墳としては国内で最大となった。全長350メートルもある大きな古墳なので、岡山市は大いにアピールするといい。興味を持つ人が増えるといいね。


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造山古墳、装飾古墳と判明…石棺に線刻を発見
読売新聞 9月10日(月)14時38分配信
 全国で4番目に大きい岡山市の造山(つくりやま)古墳(全長350メートル、国史跡)で、墳丘上にある石棺に線刻が見つかり、装飾古墳だったことが確認された。

 装飾古墳としては国内最大となり、文化庁は19日に開かれる「古墳壁画の保存活用に関する検討会」で報告する。

 造山古墳は、古墳時代中期(5世紀)に造営された前方後円墳。石棺は、江戸時代に偶然掘り出された。1990年代の専門家の調査で、長さ約1・5メートル、幅約80センチほどのふたの破片に、長さ5〜15センチ、深さ1〜2ミリ、間隔約1センチの平行な線などがあることが確認された。風化が激しく、もとの絵柄の復元は困難とみられる。

 文化庁は昨年、装飾古墳の全国調査を行ったのを機に、造山古墳も含めることを決めた。線刻を発見した岡山県文化財課の宇垣匡雅・総括副参事は「装飾古墳の先駆的な資料となる貴重なもの。保全を図る必要がある」としている。


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