腹立ち紛れ(笑)

随想録。思ったことをいろいろと。なお、記事と関連の無いコメントなどは削除します。あしからず。

考古歴史

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奈良時代の休暇願

<奈良時代、国家事業として行われた写経の担当者が書いた「休暇願」と、写経所の食材の使用状況を記した正倉院文書が見つかった。>

 休暇願があるということは、休暇が認められることがあるということだろう。1000年以上も前のことだが、今と同じく合理的な仕事の仕方のようだ。
 この文書は、明治初期までに流出し、太平洋戦争後は所在不明になっていたが、東京の個人が秘蔵していたものを奈良国立博物館が調査して確認したという。海外に流出していなくて本当に良かった。


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奈良時代に看病で休暇願、戦後不明の文書発見
読売新聞 4月7日(土)15時41分配信
 奈良時代、国家事業として行われた写経の担当者が書いた「休暇願」と、写経所の食材の使用状況を記した正倉院文書が見つかった。

 明治初期までに流出し、太平洋戦争後は所在不明になっていたが、東京の個人が秘蔵していたものを奈良国立博物館が調査して確認。ほぼ奈良時代当初の姿を保っており、同博物館は「流出した正倉院文書が当時のまま見つかるのは珍しく、重文級の発見」と評価している。

 文書は縦約29センチ、横約25センチ。表には「万昆嶋主(まこんのしまぬし)」という名前の下級役人で経文を筆写する担当者(経師)が、重病にかかった「姑(父親の姉か妹)」の看病のために4日間の休暇を願い出た内容が墨書きされている。「天平寶字(てんぴょうほうじ)二年(758年)七月●(にじゅう)八(28)日」の日付があった。(●は廿から下の横棒を取る)

縄文時代の食用植物

<宮崎県都城市教委は26日、同市山之口町の王子山遺跡から、縄文時代草創期(1万6000〜1万1000年前)とみられるネギ属の鱗茎(りんけい)=地下茎=とドングリの炭化物、土器についたツルマメの圧痕が見つかった、と発表した。食用植物の遺物としていずれも国内最古といい、縄文の食料採取行動や調理法の研究に貴重な発見となりそうだ>

 この記事ではネギ属の鱗茎となっているが、別の記事ではノビルとしているものもある。ノビルは、現在でも食べられている人気の野草の一つだ。ドングリはみんな知っているし、ツルマメというのは、大豆の原種と言われているそうだ。ノビルやドングリ、大豆も縄文時代から現代に繋がっているのかと思うと、縄文時代が急に身近に感じられてくる。
「きょうは天気がいいし、ノビルを採りに行こうか。」
「そうねえ、そうしましょうか。」
などという会話があったのだろうか。
或いは、ノビルは栽培されていたということも十分に考えられることだ。ツルマメも栽培されていて、突然変異により大豆が生まれた…なんていうこともあるかもしれない。
 古代の遺跡の発掘は、素人にもさまざまな夢を与えてくれるものである。


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<国内最古>縄文草創期の食用植物遺物 宮崎・王子山遺跡
毎日新聞 3月27日(火)13時22分配信
 宮崎県都城市教委は26日、同市山之口町の王子山遺跡から、縄文時代草創期(1万6000〜1万1000年前)とみられるネギ属の鱗茎(りんけい)=地下茎=とドングリの炭化物、土器についたツルマメの圧痕が見つかった、と発表した。食用植物の遺物としていずれも国内最古といい、縄文の食料採取行動や調理法の研究に貴重な発見となりそうだ。

 小学校増改築工事に伴い、2010年11月〜11年3月に約280平方メートルを調査し、縄文草創期〜早期(1万1000〜7000年前)の集落跡を確認した。火をたいた跡とみられる炉穴約30カ所の周辺から植物の炭化物が見つかり、分析の結果、ドングリ53点、ネギ属の鱗茎68点を確認。放射性炭素年代測定で、約1万3000年前と判明した。土器の圧痕も、シリコーンを流し込み型を取って分析する「圧痕レプリカ法」によって、大豆の原種とされるツルマメの跡と確認された。

 ドングリを分析した国立歴史民俗博物館の工藤雄一郎助教(考古学)は「縄文時代草創期、野生植物の利用は推測されてはきたが、具体的に分からなかった。炉跡もあり、煮炊きなど調理法を考える上でも重要な資料だ」と指摘する。【重春次男、大森顕浩】

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世界最古の写本

<中国唐代の詩人白居易の詩文集「白氏文集」の世界最古とみられる写本2巻が発見された。>

 日本には世界最古の文化財が多い。世界最古の木造建築も日本の法隆寺だ。
中国の方が国土が広く、歴史もあるので世界最古の木造建築もあるのではと思われるが、実際には違うのである。今回発見された「白氏文集」も中国唐代の詩人白居易の詩文集だが、日本の写本の方が古いのだ。
 どうして日本にそんなに古いものが残っているのか。理由はいろいろ考えられるだろうが、日本人が古いものを大切にし育てる民族だからというのは、間違いなく理由のひとつだろう。世界最古の企業も日本にあるというのもその証明だ。
 世界最古の写本が残っていた別の理由は、日本の優れた技術だろう。写本というのは、多分、和紙に墨で書かれたものと思われる。和紙も墨も実に優れた文房具だ。1000年の時を過ぎても朽ちることなく判読することが可能なのだ。ほんの数年、数十年で酸化し色褪せてしまう近代の印刷物が恥ずかしく思われる。
 この写本はたぶん三井家の蔵の中にあったのであろう。蔵など無い我が家からは世界最古の写本など出てくる気遣いはないが、ある時捜し物をしていると、引き出しの中に以前使っていた財布を見つけた。中を見ると僅かながら現金が入っていて、にんまりとほくそ笑んだ。世界最古の写本ほど貴重なものではないが、嬉しさはあるものだ。


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世界最古の「白氏文集」写本=東京・三井記念美術館で公開
時事通信 2月7日(火)16時52分配信
 中国唐代の詩人白居易の詩文集「白氏文集」の世界最古とみられる写本2巻が発見された。8日から東京・日本橋の三井記念美術館で公開される。
 見つかったのは、鎌倉時代に金沢文庫(横浜市)に収蔵され、その後散逸した写本のうち「巻二十三」と「巻三十八」。いずれも平安時代に作られたものとみられ、現存する写本の中でこれより古いものは中国にも存在しないという。同館が昨年秋に新町三井家から寄贈された美術工芸品の中にあった。 

<京都市中京区の平安京右京三条一坊六町の発掘現場で、「三条院釣殿高坏」と記された平安時代前期の墨書土器などが出土し、市埋蔵文化財研究所が8日、一帯が当時の右大臣、藤原良相(よしみ)(813〜867年)の邸宅「西三条第(百花亭)」跡と確定したと発表した。>

平安貴族の住居といえば寝殿造りだと記憶しているが、昔学校で習った時には実際に寝殿造りがどんなものだったか分かっていないと言っていた気がする。現在ではどうなのだろうか? 記事では
<「平安京の貴族邸宅の場所が、発掘調査で裏付けられたのは初めて」>と言っているから、貴重な資料となることは間違いないだろう。

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右大臣・藤原良相の邸宅跡と判明 平安京出土の墨書土器に「三条院」の文字
産経新聞 12月8日(木)22時30分配信
 京都市中京区の平安京右京三条一坊六町の発掘現場で、「三条院釣殿高坏」と記された平安時代前期の墨書土器などが出土し、市埋蔵文化財研究所が8日、一帯が当時の右大臣、藤原良相(よしみ)(813〜867年)の邸宅「西三条第(百花亭)」跡と確定したと発表した。

 同研究所は4月から、鎌倉時代の事典「拾芥抄(しゅうがいしょう)」で西三条第があった場所と記されている平安京の中央北側にあたる約4千平方メートルを発掘調査。これまでに柱穴などが見つかっていたが、今回は当時の貴族の暮らしぶりをうかがわせる高級な輸入陶磁器や墨書土器、水晶などが多数出土した。

 土器に書かれた「院」の文字は皇室を示し、良相の姉で文徳天皇の母だった藤原順子(809〜871年)が約1年間、西三条第に住んだという平安時代の歴史書「日本三代実録」の記述とも一致するという。

 良相は皇族以外で初の摂政となった藤原良房の弟。西三条第には天皇や文人が訪れ、花見の宴も開かれたという。同研究所は「平安京の貴族邸宅の場所が、発掘調査で裏付けられたのは初めて」としている。

 現地説明会は10日午前10時と午後1時から行われる。

真珠湾攻撃70年

<ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874〜1964年)が、日本軍が1941年12月8日、米ハワイの真珠湾を攻撃した際の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(第32代、1882〜1945年)について、「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことが分かった。>

真珠湾攻撃を米国が事前に察知していたというのは、学校の教科書にこそ書かれていないが、巷では広く囁かれていて公然の秘密と言えると思うが、このことをルーズベルトの前の米大統領ハーバート・フーバーが認めていたことが明らかになった。これは今回初めて公開されたフーバー自身のメモなどを基に書かれた本で述べられていることで、事実である。
米国民は、真珠湾攻撃をだまし討ちだと言っているが、これはそもそも間違いだ。仮に米国が真珠湾攻撃を察知していなかったとしても、だまし討ちとは言えない。何故なら当時は宣戦布告の具体的形式など無かっただけでなく、国際的に宣戦布告は義務化されていなかったからだ。戦闘開始が宣戦布告と見なされたのである。米国は、大東亜戦争の後のベトナム戦争参戦の時にさえ、宣戦布告はしていないのだ。
当時の宣戦布告ということを考えるなら、それは、〔明らかにこれを言ったら戦争になるだろうという宣言を発し、同時に戦闘態勢を取った場合〕だろう。宣戦布告するまでは友好国なのであるから、戦闘態勢を取るなど考えられないからだ。
では、日米開戦前にそのような宣言があったか? 実はあったのである。それは、有名なハル・ノートだ。後に東京裁判においてこんなことを言われたら、「モナコ公国・ルクセンブルグ大公国(どちらも小国、モナコ公国は人口約二万である)でも戦争を始めるだろう」と言われたハル・ノートを日本に突きつけた後、米国は実際に戦闘態勢を取ったのだ。単なる外交文書だという言い逃れは出来ない。まさしく、ハル・ノートは、宣戦布告だったのである。従って、真珠湾攻撃がだまし討ちなどという主張は成り立たない。
ましてや今回、米国が真珠湾攻撃を察知していたことが明らかになったのだ。日本の教科書には、真珠湾攻撃はだまし討ちではないとはっきり書くべきである。


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真珠湾攻撃70年 「ルーズベルトは狂気の男」フーバー元大統領が批判
産経新聞 12月7日(水)22時45分配信
 【ワシントン=佐々木類】ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874〜1964年)が、日本軍が1941年12月8日、米ハワイの真珠湾を攻撃した際の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(第32代、1882〜1945年)について、「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことが分かった。

 米歴史家のジョージ・ナッシュ氏が、これまで非公開だったフーバーのメモなどを基に著した「FREEDOM BETRAYED(裏切られた自由)」で明らかにした。

 真珠湾攻撃に関しては、ルーズベルトが対独戦に参戦する口実を作るため、攻撃を事前に察知しながら放置。ドイツと同盟国だった日本を対米戦に引きずり込もうとした−などとする“陰謀説”が日米の研究者の間で浮かんでは消えてきたが、米大統領経験者が“陰謀説”に言及していたことが判明したのは初めて。

 ナッシュ氏の著書によると、フーバーは第33代大統領のトルーマンの指示で戦後の日本などを視察。46年に訪日し、東京で連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥と会談した。その際、フーバーはマッカーサーに対し、日本との戦争は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘。在米日本資産の凍結など41年7月の経済制裁は「対独戦に参戦するため、日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」と語ったという。

 マッカーサーも、「ルーズベルトは41年夏に日本側が模索した近衛文麿首相との日米首脳会談を行い、戦争回避の努力をすべきだった」と批判していた。

 著書ではフーバーが「米国から日本への食糧供給がなければ、ナチスの強制収容所並みかそれ以下になるだろう」とマッカーサーに食糧支援の必要性を説いていたことも詳細につづられており、フーバーの対日関与の功績に光を当てるものにもなっている。

 ナッシュ氏は「この著書が、今でも米国の英雄とされているルーズベルト大統領への歴史評価を見直すきっかけになってほしい」と話している。


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