|
「一宿一飯の恩義」という言葉があるが、ほんとにそんな城があった。
恩義は支払ったかどうか知らないが、将軍が宿泊するために築城しながら、たった一度しか使わなかったという城である。
それが、本日紹介の城である。
別称とはいえ「碧水城」という何とも言えずロマンティックな呼称故に、以前から秘かな憧れを感じていた水口城。
所在は旧住所で言うと滋賀県甲賀郡水口城御茶屋。
現在は甲賀市となってはいるが、この地名を聞くだけでもワクワクしてくるのではないか。
とはいえ、水口城は戦いの城と言うよりは住所が示すとおり、将軍の「御茶屋」として築かれた城。
珍しく家城とか宿城と呼ばれる近世の平城である。
築城は、日本の城郭技術がピークに達した寛永十二年(1635年)。
江戸城、大坂城の寛政再築の完成と同時期でもある。
作事奉行をあのセンス抜群で有名な小堀遠州が務め、二条城を模して作ったと言われている。
つまり今で言うミニチュア版二条城というわけであるから、その美しさは推して知るべし。
縄張りは凸型で、総石垣作りで正方形の本丸部分と、長方形の出丸部分から成る。
ご多分に漏れず明治維新後の廃城では公売の憂き目に合い、建物は一部を残して撤去された。
また、石垣のほとんどは、近江鉄道の線路敷設に使われたという。
本丸跡は現在は水口高校の運動場となり、若人らの元気な声が響いていた。
城攻めの日は曇天豪雨が繰り返す悪天ながら、サッカーの試合が行われていた。
大分県名の見られるユニフォームをきた選手が行き交い、どうやら全国大会だった模様。
すれ違ったマネージャーらしき乙女子が、見知らぬ我々にさわやかな挨拶をしてくれた。
胡散臭さを隠しつつ、こっそりグランドに残る土塁跡など拙者が接写。
ジョシコーコーセーを撮すアヤシイ人と思われてはいけないので、彼女たちを撮さないようにするのに苦労した。
さらに話が逸れてしまうが、この日、水口城は入場無料。
聞けば、市内の公共施設はいずれも無料とか。
酷暑ながら東日本大震災から一年半の夏で、全国節電ムード。
少しでも家から家族連れで出かけられるなら、節電に繋がるのではないかという市全体の計らいなのだという。
なかなかの心意気に感心したのだった。
ということで、水口城は東海道を上下する将軍の宿城として作られたわけであるが、位置を見るとなかなかすごい。
城は野洲川中流域にある丘陵地帯にある。
我々は南東から攻め入ったのだが、関宿を抜け鈴鹿峠を越えると土山宿で、それを直進していくと水口がある。
が、水口の東の山の向こうは甲賀、伊賀。
良くも悪くも胡散臭いところである。
そして城の北には東海道。
将軍が宿を取るだけあって、確かに便利なところにある。
が、裏返せば、この付近、軍事的にも要所だったともいえる。
そのためか水口城は、将軍家光がたった一度だけ使用した後は、幕府任命の城番が管理する番城となった。
いつでも将軍を迎えられるよう、加藤氏と鳥居氏が入れ替わって居城としたが、本丸は使わなかったという。
城の周りは、碧水城と呼ばれるほど美しい水をたたえた堀があったと思われるが、現在は、復元出丸部分を取り巻いているだけである。
天守もなく、街中に、こじんまりとした破風建築の矢倉が桜の葉の陰から見られるだけなのだが、なんとなく心を惹き付ける風情が、ここにはある。
堀の前のほとんど城の敷地とおぼしきところにアパートがある。
行く度、城の真ん前に住むというのは、一体、どんな気持ちがするものなのだろうと思うのである。
維新を迎え、城は、なし崩しに解体撤去されていった。
そして、開発の波の中で、残っていた水堀まで埋め立てようと言う話まで進んでいった。
しかし、時代の流れが味方したのか、「将軍宿城」としての貴重さが見直され、保存整備しようという動きに変わっていった。
歴史ファンならずとも、史跡保存という意味で、本当に良かったと思う。
本丸部分は既に学校の敷地になっていたが、石垣が残っていた出丸部分を整備修復し、資料館を造った。
建物は往時の矢倉を模した木造2層2階破風造。
中は自由に見学することができる。
二階の窓から東の方向に、水口岡山城があった古城山が見えた。
周辺は、あやしい形の山ばかりではあるが、まずは、古城山を攻めてみなければ…
と、ねらいを定めて階下に降りた。
ところで、この資料館でうれしいのは資料館の女性職員の優しさ。
いつ行っても(と言っても、たった2回だけだが)、フレンドリィで親しみやすく、一生懸命。
先回は温かいお茶、この日は冷たい麦茶を出してくれ、資料DVD をかけた後、出版されたばかりの郷土資料を見せてくれた。
一回りして見学して来た後は、爪楊枝入れにと言って手作りの折り紙を、プレゼントしてくれた。
良い人だなぁと、しばし、胸が熱くなる。
年寄りは、些細な優しさでもうれしいものなのである。
余談ながら、水口は「巖谷小波の出身地」であり、「かんぴょうの産地」であることも、この資料館で知った。
ちなみに水口城の真横に「しまむら」があった。
上の写真は、「しまむら」方向から撮った。
城巡りしていると、行く先々に「しまむら」がある。
恐るべし「しまむら一族」…
全国制覇も近いのではないだろうかと、秘かに怖れているのである…
最後に復元された「お成り橋」欄干に潜むインカの謎…
左手方向は水口高校運動場。
欄干越しに秘かに本丸方向を伺っている………のだろうか?
|
全体表示
[ リスト ]



