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いよいよ、八幡山城登城。
ここは、羽柴秀次の城である。
歴史には多くの過小評価されている人物がいるのだが、秀次も、その一人ではないだろうか。
戦いの記録を見ても、敗戦は長久手のときだけで、あとの戦には勝利している。
そもそも、子どものいない秀吉が、自分の跡継ぎにとまで考えた甥なのだから、少なくとも出来損ないだったとは思えない。
察するに、秀次は、秀吉とは全く違ったタイプの風流人、教養人だったようだ。
最初に養子に出された三好家で育つうちに身についたものである。
実際、文化・学問の保護や存続に理解を示し、後押しもしている。
皇室や公家達との交流のパイプにもなっていたわけだから、本物だったのだろう。
その質は、恐らく石田三成や明智光秀に近いものだったのではないだろうか。
そのまま行けば、秀次は秀吉の自慢の跡取り息子になるはずだった。
しかし、秀吉に子どもが産まれたことで運命は一変。
もし、秀頼さえ生まれていなければ、運命は真逆に流れていたに違いない。
突然、蟄居を命じられ、ほどなく切腹と言い渡されるまでの秀次の心境を考えると察するに余りある。
20代半ばという年齢を思ってみても、納得できない悔しさ、憎悪があっただろう。
共に処刑された側室や子どもの数などから、秀次は、あたかも色情狂だったかのようにも言われている。
しかし、当時の武将達なら、そう珍しい数でもない。
切腹の正当な理由付けをするために、意図的に悪評を流したものと思われる。
恐るべきは、秀次の跡継ぎの根絶やしを謀った秀吉の思いこみである。
百姓から天下人となるまでの彼のヒストリーは、尊敬に値する。
が、晩年の秀吉の言動は、どう考えても普通ではない。
日本の歴史に禍根を残した朝鮮出兵と言い、この秀次の事件といい、常軌を逸している。
結局、秀次の処分により秀吉は自ら、豊臣家の血を根絶やしにした。
もし、そうせずにいたら、もしかしたら、関ヶ原対戦の両軍メンバーも違っていたかも知れない。
実は、秀吉のようにせっかく政権を握りながら、後継者を守るために同じように自らの血を根絶やしし、部下の忠義に期待して亡びた家がある。
源氏である。
頼朝も自分の子ども達の権力を守るため、次々と血のつながった者たちを殺していった。
その結果、妻方の親族に滅ばされてしまうのである。
こうした史実を秀吉は知っていたかどうか知らないが、もし、秀次を殺さなかったら…
それでもやっぱり、権力の座を狙う秀次に秀頼は殺されていたのか。
それとも、傀儡政権ながら秀頼を立てて豊臣幕府ができていたのか…
歴史に「もし」は禁物とは言うが、色々な可能性を考えてみるのも一興である。
さて、八幡山城。
めまいがするほど石垣の崩れた山城。
道幅も狭く、けもの道状態。
とはいえ、曲輪や切り岸、虎口などの跡は残っており、礎石も露出しているところもある。
隅部分は算木積みのしっかりした石垣で、傾斜はあまりないもののその高さには威力を感じる。
しかし、他の斜面に当たる部分の多くは、石垣を組むと言うより石をペタペタ乗せていっただけのような状態になっている。
恐らく、土砂崩れによる崩落の名残だろう。 史跡保護のため、市も努力しているようではあるが、崩落面が多く、かろうじて残っているところも、いつ崩れてくるか分からない状態なのである。 攻め手の目から見れば、石垣のずれている部分に手足をかければすいすい登って行けそうだ。
が、1つでも石が崩れたら一気にガラガラと崩壊しそうで恐ろしい。 とはいえ、山城跡などというものは、こんなものだ。 びびっていては、城攻めはできない。 けもの道のような道をさらに進むと西の丸跡に出た。
上の写真の右にある長命寺にも砦があった。
また、左の小山は水茎岡山城跡。
下の写真で見ると、中央にある小山である。
開けた展望台になっているが、建物跡と思われる礎石が露出している。
ここからは琵琶湖方面が見渡せるのだが、開けた田も当時は湖。 周囲の小高いところは、とにかく砦や城として利用されていたのである。
西の丸から下り方面に、出丸方向の矢印もある。
暗がりで不気味ではあるが行ってみる。
草ボウボウなれど、こぢんまりとした出丸跡。
が、なんと、そちらこちらに「スズメバチ注意」の看板が立っているではないか。
その上、足元を見ると、ミミズの死骸に大きい蜂たちが群がっている… 確か、「蜂は黒いものに反応する」という蘊蓄が脳裏をよぎる。 で、ふと、我が身を省みると…頭に日よけの黒い帽子、 同行の若者は黒いシャツ… こりゃたまらんと、とっとと立ち上がり、北の丸跡へ向かう。 北の丸もやや広い展望スポットになっているが、礎石がある。
ここからは、ほとんど真正面に安土山と観音寺城のあった繖山(きぬがさやま)が見える。
互いに見える位置にあるということは、安土城時代から既に、この八幡山に城を築こうという思惑があったに違いない。
さて、登り詰めると本丸跡であるが、それについては 次回……
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