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城にあこがれるという経験の最初は、弘前城である。
江戸時代に建築された天守と櫓の現存ということで、早い時期から国宝(旧国宝、現在は重要文化財)に指定されていたと記憶している。
桜のなかにそびえる天守の写真が美しく、いつか行きたいという思いは小さい頃から持っていた。 しかし、青森は遠い。
当時はまだ交通の便も悪かった。 あこがれのまま、何年も過ぎた。 念願の弘前を訪れたのは、ずいぶん後のこと。
両親を連れてのドライブ旅行だ。 季節は夏。
薄曇りの中、ビュンビュン青森に向かった。 まだ観光化が進んでいなかった頃で、木造の小さな三層の天守閣が建っていた。
質素な建物の内部は公開されていて、中に入り、天守まで上ることができるようになっていた。 両親にとっても、ずっと、あこがれだった城である。
一緒に上って、城下をながめようと思った。 しかし、その数年前に脳梗塞で倒れた母はすでに右半身麻痺で、背負ってまで上ることは無理だった。
せめて父だけでもと声をかけたが、想像以上に足腰が弱っていることに気づいて愕然とした。 普段、遠く離れて暮らしていたので、いつのまにか両親が弱っていたことに気づかなかったのだ。 顔には出せなかったが、その姿にショックを受け、胸がいっぱいになったことを覚えている。 天守を諦め、そのまま周囲の庭園を散策した。
城の庭園は素晴らしく、体の不自由な両親に合わせてゆっくりと散策した。 園内は往時の状態を保存したまま、年月を重ねて、趣のあるものとなっている。 日本三名園には入っていないが、決して引けは取らない優れものだ。 城を去る頃には、深く茂った樹木に癒されていたのだった。 弘前城をあとにして向かったのは、竜飛岬。
♪津軽海峡冬景色♪の舞台である。 夏というのに吹き荒れる風は冷たく、雲のかかる海の向こうは何も見えなかった。 ここが北の外れか… と、感慨にふけって、佇むばかり。 演歌を口ずさむ余裕もなく、青森に向かう。
宿の予約をしていなかったので駅で紹介をしてもらう。 なかなか宿が見つからず、暗い青森市内をさまよってやっと旅館に到着。 車内の空気が、険悪になる寸前の到着で、ほっとする。 翌日は、棟方志功記念館をのぞいた。
あとで知ったのだが、この記念館のある辺りは、南部氏の壮大な屋敷(大古館)跡だったらしい。 知っていたら、じっくり回ったのに…と、残念でならない。 慌ただしく見学してから、一路、八戸に向かった。
イカを食べに、である。 いま思えばここにも、根城なるものがあった。
八戸市内をずいぶんウロウロと走り回ったので、きっと近くを通り過ぎていたに違いない。 しかし、当時はまだ根城を知らず、ただただイカを求めて、さまよっただけだった。 返す返すも無念の極みである。 だが、無念の極みの上を行く極みが残ってしまった。
両親との約束である。 それまでにすでに、岩手、秋田、宮城の東北巡りが終わっていた。 父は、さらに福島にも旅行したことがあった。 残る東北の地、山形に言ってみたいというのが、両親の希望だった。 「じゃぁ、来年は、山形に行こうね」
と言って実家をあとにした。
そして翌年、父は入院、一年の闘病の後、戻ることもなく亡くなってしまった。
約束はそのまま、残されてしまった。
いまでも弘前城を見るたび、階段を上れなかった両親の姿が浮かび、つんと胸を走るものがある。 そして果たせなかった山形旅行を悔やんでしまうのである。 |
青森県の史跡
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