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思い起こせば、気付いていながら知らないまま素晴らしい経験をしていたということが、人生にはある。
それが花巻城、つまり鳥谷ヶ崎城の想い出である。
花巻は、あの有名な宮澤賢治の出身地。
そして、その中心部(市町村合併された今では、南端というべきか)に築かれた城が鳥谷ヶ崎城である。
昭和の頃、すでに城はなく、東の一角は鳥谷ヶ崎神社となり、残る大半は官公庁と、広大な運動場を擁する小学校、幼稚園、児童公園に変わっていた。
そこが、もとお城ということを知りつつ、その価値を知らぬまま、幼稚園から小学校卒業までの7年間、長く曲がりくねった急勾配の坂を通っていた。
いま、「縄張り」という言葉を知って振り返ってみると、見事なまでに城の縄張りが地形として残ったいたことに驚く。
運動場や敷地にも三角山とか四角山とかいう小山が残っていたし、切り岸、空堀と思われるものもあった。
学校の裏手に当たる西側と北側、それから児童公園、神社の東側は急勾配に削り取られていたし、登る道は曲がりくねっていて無駄に遠回りをさせられているような気がしたものだ。
児童公園にある古井戸は実は地下道で、そこから神社の下にある元家老の家につながっているのだといわれていた。
真偽のほどは定かではないが、金網で覆われた井戸を覗き込みながら、そんな話がいつも交わされていたことを思い出す。
周囲にはまだお堀が残っていて、広い金魚の養殖池か釣り堀のようなものがあった。
冬になると氷が張り、スケートができた。
お堀沿いには格子の潜り戸のある古い木造家屋が並び、もと武家筋の人たちが住んでいたと聞いた。
何年かのうちに、そこは埋め立てられて自動車学校になってしまった。
今でもあるのか分からないが、花城町、大工町、鍛治町、愛宕町など城下町をしのばせる町名が残っていた。
また一日市、四日町など市場も盛んに開かれたと思われる地名も残っていた。
秋に行われる花巻祭りも雅で、美しく華やかで哀愁がある。
京都の影響を受けているのだろうが、花巻城主だった北松齊を偲んでの祭りだと聞いたことがある。
いずれにしても、祭り好きだからこれまでにも各地の祭りをたくさん見たが、花巻祭りほど華やかで雅な祭りは見たことがない。
もっと認められても良いと思うが、全体に、花巻の人は宣伝が下手だから仕方ないのかもしれない。
花巻の地名は、アイヌ語でパナマキ、つまり豊かな土地という意味だと聞いたことがある。事実ではないかもしれない。
しかし、確かに花巻は盆地とは言え土地が広がり、東北のイメージとは違って気候も比較的温暖である。
藩の財政を支えるところでもあり、藩の最南端の砦としても重要なところであったことは間違いない。
機会があれば、もう一度、城跡を見に行きたいものだと思っている。
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岩手県の史跡
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