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往時再現の赤瓦の城と言えば、会津若松城(鶴ヶ城)。
地震、津波の自然災害に加えて原発被害まで抱えている福島にある。
幸いかどうか、付近の旅館や観光地の情報を見ると被害も少なかったようで、昨年5月にはお披露目セレモニーが開催できたようだ。
私が会津城攻めしたのは、3年ほど前。
従って屋根はまだ、黒瓦のままである。
天守閣内の展示や史料は優れている。
また城の周りの縄張り、堀、土塁、石垣など非常によく残っている。
会津の方達の誠実な努力を感じる素晴らしい史跡である。
本丸内には、土井晩翠の荒城の月の碑などもあるが、さもありなん。
ここで詩稿を練ったというのが、うなずける光景ではある。
とにかく、行って満足する城である。
また近くには、御薬園という素晴らしい薬草園がある。
園内の池の中島に小さな東屋があり、そこで大事な密談が行われたのだとか。
ひそひそひそ・・・・
忍者も入り込めないよう、島なのだろうが、拙者なら麦のストローで潜行。
ここまで美しい町であるのに、選挙の度に違反者が出るのだとか。
地元の人が嘆いていたが、外と中との顔が違うのだろうか。
さて、会津若松城と言えば「白虎隊」というほど、幕末の悲劇で知られている。
が、この城は、それだけではない歴史やエピソードを秘めている。
1384年、芦名氏が城のもとを築き、黒川城と称したのが始まりである。
およそ200年後、芦名氏は滅亡し、伊達政宗の居城となる。
しかし、小田原平定後、城は秀吉に召し上げられ、蒲生氏郷に与えられた。
氏郷は新城築城に力を注ぎ
「七重の殿守、月見矢倉に太鼓門、その外の殿々金銀ちりばめたり。大名小名出仕は、座中日々に市をなす。めでたかりしことどもなり」
と、『氏郷記』にあるほど、豪壮なものとなった。
氏郷は鶴ヶ城と命名し、城下町も若松と名付けた。
氏郷は松阪城の見事な石垣を築きながら、完成しないまま会津に行った人で、築城名人でもあった。
鶴ヶ城はその後、上杉、蒲生、加藤と城主が変わり、加藤氏の時、天守閣は五層に改築された。
そして1643年、保科正之が城主として入った。
彼は、秀忠の第四子であるが、お江様の悋気を避けて養子に出された人である。
保科氏は、三代目の時、松平氏を称し、そのまま子孫相継いで、幕末を迎えた。
最後の藩主は、高須藩から養子に入った松平容保である。
高須四兄弟の一人。
(高須藩の詳細については、以前のブログ参照)
容保さん、写真で見るとかなりイケメン。
瓜実顔にきりりとした引目。
京都守護職の頃は、宮中の女官たちから大人気だったという。
それはさておき…
会津の悲劇『白虎隊』の話はあまりにも残酷で、胸が痛む。
本来なら前線に出て闘うべき年齢でもない純粋な少年達を集団自死に駆り立てたものは、なんだったのか。
それは、代々会津に根付いた教育『什の掟』にあったと思う。
ならぬことはならぬものです
儒学的にも倫理的にも、たしかに正しいことばかりである。
しかし、彼らはこの縛りによって年長者から至上命令として与えられた戦いを徹頭徹尾遂行しなければならないと考えたのである。
そして、形勢不利と知ってもなお、そこから逃げることは卑怯なことであり、やってはならないことは絶対にしてはいけないことなのだと考えたのだろう。
彼らの悲壮なまでの意識と取った行動を見ると、戦時中の特攻隊とダブってくる。
ある意味、それは教育の結果でもある。
最近、この「什の掟」がしつけの手本として取り入れようとしている所もあると言うが、どうなのだろう。
集団自決の前に山中ではぐれて生き残った少年は、知り合いの農民に声を掛けられた。
「死んではいけない、まずはお屋敷にお戻りなさい」
と、農民に説得されて少年は家に向かった。
恐らくまだ放心状態のままだった少年が山を下りて町に入ったとき、一匹の犬が少年目がけて走ってきた。
それは少年が家で世話をしていた犬だった。
駆け寄ってくる犬を抱いたとき、少年はやっと生きようという気持ちになり、家に帰ったという。
集団催眠から覚醒した瞬間だった。
この戦いで戦死した会津藩士達の遺体は、葬られず、長く野ざらしのまま放置された。
地元の人たちがあまりにもむごいと感じて葬ろうとしたが、官軍がこれを許さなかったのである。
許さないばかりか、葬ろうとする人々まで罰したという。
戦後数十年経った頃でも、会津の人は長州の人との縁組みを許さなかったという話を聞いたことがある。
実際、学生時代の友人も卒業と同時に恋人と別れている。
まぁ、その程度の愛だったのかも知れないが…
ところで会津の街中にレトロなロンドンタクシーが走っているのを知っているだろうか。
実際に英国で使われているタクシーを買い入れ、運転している。
乗車の際は運転手自らドアを開け、小さなステップを用意して乗せてくれる。
中は、運転席と客席の間がガラスで仕切られていて、映画のワンシーンに入り込んだ気分になる。
乗車賃は驚きの金額。
つまり、一般タクシーと同額なのである。
いったのは3年前。
今も営業しているのかどうか分からないが、目にする機会があったら利用されることをお薦めしたい。
興味のある方は「広田タクシー」で検索すると素敵な車の数々が見られます。
ちなみに、広告料は一切頂いていないので、ご安心を。
で、下の写真は、有名な福島のあかべこをモデルにしたあかべぇ。
由緒正しきキャラである。
素朴なあかべこより、ちょぃとモダンな顔つきになっている。
このほか、会津には小原庄助さんのモデルになったという人の子孫など知り合いがいるのだが、それについてはまた…
ちなみにその人は、平家の落ち武者の子孫でもあったりするのである。
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福島県の史跡
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