めぐるさかずき

藪の奥の朽ち果てた庵で、スルメを噛み噛み、過去の城めぐりを書き記す

大阪府の史跡

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立ち入り禁止の大仙古墳ではあるが、亀は別格。
これは五月連休の昼さがり。
名実共に甲羅干しの真っ最中。
日本古来の墳墓の堀にいる亀さん、よく見れば、外来種…
動物世界もめぐるさかずきの様相を呈してきている。
イメージ 1
 
下は、古墳時代の堺市の地図である。
周囲は、古墳でいっぱい。イメージ 3                   
 
 
そう言うことで、大仙古墳から藤井寺、羽曳野と足を延ばす。
まずは、仲哀天皇陵。
当然ながら、ここも立ち入り禁止。
イメージ 2
仲哀天皇は、あの日本武尊さんのご子息ということになっている。
かの有名な神功皇后の旦那様でもある。
ところで、この神功皇后の勇ましいエピソードに、こんな話がある。
すでに妊娠していた皇后であったが、戦いが迫っていた。
しかし、これから攻めていくときにお腹の子どもが産まれてはやっかいである。
そこで石を股に挟み、三年間生まれないようにしたという。
そのお腹の中で三年過ごした子どもが応神天皇である。
仁徳天皇は、この応神さんのご子息と言うことになっている。
 
ところで、女房の神功皇后がそこまで頑張っていた時、仲哀天皇は何をしていたのか。
実は、すでに死んでいたのである。
しかも、その死に方が不自然……
歴史の謎の登場人物は3人。
まず、仲哀天皇、神功皇后、建内宿禰。
ある日、
「海の彼方に豊かな国があるから攻めて取れ」
という神のお告げがあった。
ところが、仲哀天皇は
「海の向こうを見ても何も見えないよぉ」
と言って、お告げを無視してしまった。
神は怒って
「お前のような奴に用はない」
と言った。
で…
ふと、気づくと天皇が死んでいたのである。
 
一説に、この場面をもって、実は皇后と建内宿禰が共謀して天皇を暗殺したのではないかという人もいる。
そして、皇后の子どもと言われる応神天皇は建内宿禰の子どもではないかという説もある。
真実は闇の中ではあるが、いずれにしろ、朝廷内で何らかのもめ事があったということか。
 
話が飛んでしまった。
まぁ、とにかく、この周辺には、数々の古墳があっちにもこっちにも…
ということで、大鳥塚古墳、古室山古墳、白鳥陵等々全てを回ることはできないながらも古代日本の名残を見て回った。
藤井寺市は百済からの渡来人葛井(藤井)連の氏寺があった所と伝えられている。
これから見ても、この周辺は瀬戸内海を海路として、古くから渡来人が上陸し、住み着いていたことが分かる。
古墳が多く作られた理由も、なんとなく分かってくるのである。
 
最後にどうでもよいが、閑話休題…
羽曳野はかの有名なダルビッシュの出身地。
そして藤井寺は、今は無き近鉄バッファローズの本拠地、藤井寺球場があったところ。
ちなみに、近鉄バッファローズと言えば太田幸司。
当時本拠地だった日生球場に初めて女子用トイレを設置させたと言われている。
それぐらい、凄い人気だった。
ハンカチ王子も真っ青。
古い話である w

大仙古墳(その1)

ここだけの話であるが、一見、城フェチの私の実像は、古代史マニア。
従って、城巡りに憂き身をやつすようになる前も今も興味があるのは古墳である。
更に言えば、邪馬台国はどこかと言うことが最大の関心事だ。
そのため、古墳などの遺跡発掘から何かが出た、と聞くと血が騒ぐ。
遺跡の位置や出土品から、邪馬台国がどの辺りだったかを想像することは、今も最大のロマンである。
 
というわけで、大仙古墳へ行ってみた。
大仙古墳は日本最大の前方後円墳で、墓域面積で見ると世界最大とも言われている。
宮内庁が仁徳天皇の墓と認定しているため、仁徳天皇陵と呼ぶこともある。
イメージ 1
 
周囲は堀に囲まれ、その名の通り、街中とは思えない緑豊かな大山である。
天皇陵ということで、ここも立ち入り禁止。
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もし、全国にある皇族関係の古墳の発掘調査を宮内庁が認めたら、もっと日本の歴史の実態が明らかにされるのではないかと思う。
これまで伝えられてきた国の成り立ちや言い伝えが、発掘によって証明されるかも知れないし違ってくるかも知れない。
どちらになっても構わないではないか。
日本人として知りたいのは歴史の真実である。
 
 
ところで、現在の大仙古墳は街中にある。
しかし、古墳が築かれた頃は、大阪湾はもっと近くまで迫っていた。
さらに、今、我々の見る古墳は、たんなる丘か小山でしかないが、当時は、もっと美しく目立つ墳墓だったのである。
真っ白い石が丘全体に敷き詰められ、ベンガラで赤く塗られた埴輪が、その墳墓の周囲に並べられていた。
それは、想像以上の大きさの美しい山で、いわゆる建造物とも言えるものだったと思う。
なぜかというと、墳墓は埋葬される本人の権威を示すものでもあったが、本当の目的は別の所にあったからである。
 
当時、海外からの来航者たちの多くは、瀬戸内を通って大阪湾に入ってきた。
それらの人々に、日本の為政者としての権力を誇示するためのものが古墳であった。
海上から陸を眺めたとき、墳墓を覆う白色珪石は日光を浴びて輝き、赤い埴輪の作るラインとのコントラストは、きっと息をのむような美しさだっただろう。
その壮大な墓は、権力の証であり、日本の技術力の高さを誇示するものでもあった。
イメージ 3
時は流れ、ここは緑豊かな山となった。
さらに、周囲は百舌鳥古墳群として多くの古墳が残っている。
学術調査の手が入らないまま、歴史の謎を秘めて眠っているのである。
 
 

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