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自分が神になろうとしていたのではないかといわれる信長。
そのシンボルとして、よくあげられるのが安土城である。
それが一体、どれくらいの効果があったのか…
というのが 下の写真。
伊勢に向かう高速から見える安土城である。
イベントパークに建てられたものであるが、一応、安土城を模している。
写真では、かなり拡大して撮っているので大きく見える。
しかし、実際には、かなり遠い所からでも目立つ。
これを見ていると、当時の人々が、どんな思いで見ていたか、想像できるのである。
信長の意向はともかくも、この建物に多くの人々が畏敬の念を抱いたことは間違いない。
しかも、麓には、こんな砦風のものも建てられている。
たまたまの安土城ではあるが、これを見ると、一般的に、当時の人々が城に攻めていったときの視点や心理が、よく分かる。
戦いは相手の領地に攻め入っても、まだまだ始まらない。
まずは、この物見櫓からの攻撃を打ち破り、それからの山登りなのである。
山頂までは、屈曲を繰り替えず悪路。
そして、やっと城である。
それとても簡単に攻め落とせるものではない。
あっちからこうやって、こっちからああやって……
作戦は念入りにしなければならない。
このイベントパークには、一度しか行ったことがない。
二度と行かないのは、あまりにも散財が求められるからである。
入場料を支払ったにもかかわらず、さらに中にある各イベント小屋で、また入場料を求められる。
まるでお札に羽が生えているのではないかと思うような支払いであった。
それ以来、近づいたことがなかった。
しかし、今回、高速からこの城を眺めて思った。
下々の領民はもちろんのこと、戦いに向かった武将や兵たちに与える城という建物の影響である。
山上にこうした建物があることは、見上げる人々に、かなり心理的なプレッシャーを与えるだろうということが、実感できる。
それが、たとえこんな光り物の城でないとしても、である。
そうした当時の人々の心理を教えてくれる意味で、このピカピカ城は、かなり価値があると思うのだが、いかがだろう。
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重ねて赤穂の話である。
幕府が赤穂浪士たちの扱いについて論議した折り、こんな意見もあったという。
つまり、忠義者として仇討ちを成し遂げたが、このまま生きながらえさせて、将来、生活が乱れ、その名を汚す者も出てくるのではないか。
それなら今、殊勝な忠義者のまま切腹させた方が彼らのためではないか、というのである。
そうした配慮もふくまれての評定だったという話も伝わっている。
ということは、赤穂浪士達はある意味、無頼の徒の臭いを漂わせていたのではないかと思うのである。
全員とは言わないが、恐らく将来が心配されるようなメンバーもいたということなのではないか。
思えば過激な急進派の筆頭堀部安兵衛は人の仇討ちに駆けつけ、3人を斬り殺した御仁である。
当時は確かに勇者だろうが、すさぶる無頼の態は漂っていたのではないかと思うのである。
ナマの人間の行動として考えると、果たして元禄赤穂事件は美談なのかと疑問がわいてくる。
そんなわけで、赤穂城ブログで載せそびれたウサコの写真である。
赤穂に別れを告げる哀愁漂う表情に注目。
そしてこれが、豪徳寺にいたジブリ風ネコの置物。(さしあたり関係のない写真だが…)
ちなみに、なぜこんなに赤穂浪士の話に肩入れしているのかと思われるだろう。
実は、なぁんにも関心がないのである。
ほんの出来心、行きがかり上のブログなのだった。
赤穂ファンの方がいたら、すみません。
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出来心で「日本100名城公式ガイドブック」を購入した。
出来心で、征服済みの城を数えてみた。
58城だった。
ため息が出た。
悔しいので、これまでに征服した城の数を、数えてみた。
思い出せるだけで、まずは、120城を越えている。
おぼろなる記憶なので、漏れがあるやも知れぬ。
その上、公式ガイドブックでは、吉野ヶ里などの古代遺跡も城としてカウントしている。
それに習うならば、征服数は、もっとあって120を優に超えているはずだ。
ほとんどが公式ガイドブックには載っていない、遺跡、城祉、砦、柵で、制覇数は限りない。
それをここに、一日一城として記録しても、書ききれるかと、ふと不安になる。
記憶は混沌。
密かな楽しみの城巡りだったから、写真の記録もそれほど残っていない。
まずは、想い出探訪の記録のつもりで、ぼちぼち書いていくしかないかなぁ…
思い起こせば、史跡巡りはもともと好きで、なんとなく続けていたが、それに弾みがついたのは、17年前。
「歴史と旅」臨時増刊号の「日本城郭事典・上・下巻」を手に入れてからだ。
全国1100城を集大成して、五十音順に配列した優れものの城郭史事典である。
本を手に取った瞬間、生きている間に、すべて制覇してみたいと思い立った。
もちろん、無理を承知である。
しかし、事典に載っている城を目指して行った結果、ついでに周囲の城跡をいくつか巡ることになったりすることが多い。
小さな山城だったり、一時的な砦の跡だったりして、城郭事典に載っていないものが多い。
そんなこんなで、事典通りの制覇とは行かないが、無名でマニアックな城巡りになってしまっている。
そしてそれが、密かな自慢になっていたりする。
と言っても余程の城フェチでなければ、自慢してもなんにもならず。
結局、自慢する相手のないまま自己満足の城巡り。
それでも史跡巡りは、その場に行かないと分からないことが多い。
周りの地形をながめ、人工的に形作られたであろう堀や切り岸や柵の後から、当時の様子を探ることができる。
そこから暮らしの様子や戦いの様子、当時の人が何を怖れ、何を求めていたのか想像するのは楽しい。
あまりに地味で忘れてしまった史跡城跡もあるが、記憶の引き出しを探りながら、これからも続けて書いていこうと思っている。
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