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[未来派] マリネッティ ボッチォーニ バッラ セヴェリーニ カッラ デペーロ プランポリーニ ムナーリ
ウンベルト・ボッチォーニ
Umberto Boccioni (1882年10月19日 - 1916年8月17日)
イタリアの画家、彫刻家、理論家であり未来派の主要メンバーであった
 
■生涯
1882年10月19日、イタリア南端レッジョ・カラブリアに生まれる。
生後すぐに家族はフォルリへ移住し、この地で幼年期を過ごした。
1901年、ローマの美術アカデミーのヌードコースに通い、独学で美術を学ぶ。
ローマでセヴェリーニとともに、バルラに学ぶ。
1902年、パリに移住し、印象派、ポスト印象派のスタイルを模倣した。
1907年、ミラノへ移住後、詩人の マリネッティや色彩分離派(ディヴィジョニスモ)の画家たちと交流。
動きを重層的に描くようになる。未来派運動の画家、彫刻家、理論派として活躍。
1910年、カルロ・カッラ、ルイージ・ルッソロ、ジャコモ・バッラ、ジーノ・セヴェリーニとともに、
未来派画家宣言、未来派運動の技術宣言を発表した。
彼らによれば、近代のアーティストの目標は、モデルや過去の具象美術の伝統の束縛から、自由となって、
同時代のダイナミックで発展し続ける社会へと、決然と進んで行くことだとされた。 
1910年 「未来派宣言」を前年に発表した詩人のF.T.マリネッティを訪問。
その後、「未来派画家宣言」と「未来派絵画技術宣言」の起草に関わる。
未来派グループの参加者は、他にジャコモ・バッラ、ルイジ・ルッソロ、カルロ・カッラ、ジーノ・セヴェリーニ。
同年、ヴェネツッアのカ・ぺサーロ画廊で個展
イタリア未来派運動の先頭に立ち、絵画、彫刻を制作。
「運動」と「スピード」の表現を追及。
1910 絵画作品『決起する都市』を制作
1911 パリへ旅行。そこで初めて立体派を知る
 
▼States of Mind II: The Farewells (1911)★
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▼La Risata (1911)
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▼A strada entra nella casa (1911)
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1912 絵画作品『弾性』を制作。
パリで未来派展(ベルネーム・ジュヌ画廊)単独で「未来派彫刻技法宣言」で伝統的彫刻概念を拒絶。
サロン・ドートンヌに彫刻作品を出品
▼弾性 Elasticity (1912)
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▼Materia (1912)
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▼Horizontal Volumes (1912)
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1913 彫刻作品『空間のなかに連続する単一の形態』を制作。
パリのラ・ボエティ画廊で彫刻の個展を開催し成功。アポリネールとも親交。
「未来派絵画と彫刻(造形的ダイナミズム)」を著述して理論を固める
 
▼空間における連続性の唯一の形態 Unique Forms of Continuity in Space (1913) 
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▼Glass and Syphon (1913)
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▼Dinamismo di un footballer  (1913)Dynamism of a Soccer Player 
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▼Dynamism of a Human Body (1913)
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▼Dynamism of a Cyclist (1913)
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▼Dynamism of a Woman's Head (1914)
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1915年、第一次世界大戦の勃発とともにイタリア軍に志願するが、
1916 徐隊後、再び召集を受け、前線にて乗馬の訓練中に落馬したことがもとで夭逝した。34歳だった。
彼はマルクス主義者のアナキストだった。
 
典拠
 
 

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