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この絵が描かれたのはいつか?
 
結論
「夕顔棚納涼図屏風」は、1655年頃久隅守景が金沢に来て間もなくの頃、
久隅守景31歳、後妻26歳、息子5歳で、加賀藩金沢城近郊の自宅で夏の夕方夕涼みをしている家族の様子をリアルタイムで描いたものと思われる。
 
絵画史における位置付け
従来の説では「四季耕作図」を長年描き続け画境を極めた結果、晩年になって「夕顔棚納涼図屏風」を描いたとされてきた。
実際は、久隅守景が30歳過ぎの順風満帆の頃に肩の力を抜いて自由に題材を見つけて描いたことで、
花鳥風月でもなく獅子や鷹が出るでもなく家族の団欒という近代的モチーフを先駆けて見つけ得たと言えるのではないか。
 
経緯
久隅守景は狩野探幽の下で頭角を現し、19歳の時に狩野探幽の姪との間に娘を儲ける。
その後二人の間は破局し、妻は狩野探幽の姪なので、娘は狩野派一門の中で研鑽を積んでいき、
この娘は後に女流作家として活躍する。
久隅守景は別の女性との間に息子を儲ける。
31歳のころ金沢に招かれたため後妻26歳、息子5歳とともに金沢に赴く。
夏の夕方金沢城近郊の自宅で夕涼みをしている家族の様子をリアルタイムで描いたものが「夕顔棚納涼図屏風」と思われる。

国(前妻・狩野探幽の姪)=久隅守景=後妻
   |                |
清原雪信(姉)      久隅彦十郎(弟)  
 
西暦 久隅守景の年齢 金沢滞在期間は****で表す。妻子の年齢は推定。
1624 寛永 1年   0
1625 寛永 2年   1
1626 寛永 3年   2
1627 寛永 4年   3
1628 寛永 5年   4
1629 寛永 6年   5
1630 寛永 7年   6
1631 寛永 8年   7
1632 寛永 9年   8
1633 寛永10年   9
1634 寛永11年 10
1635 寛永12年 11
1636 寛永13年 12
1637 寛永14年 13
1638 寛永15年 14
1639 寛永16年 15
1640 寛永17年 16
1641 寛永18年 17
1642 寛永19年 18
1643 寛永20年 19 狩野探幽の姪との間に娘を儲ける。弟と7つ違いという。
1644 寛永21年 20
1645 正保 2年  21
1646 正保 3年  22
1647 正保 4年  23
1648 正保 5年  24
1649 慶安 2年  25 別の女性との間に息子を儲ける。守景は20代で結婚したらしい。妻が20歳位だろう。
1650 慶安 3年  26 息子がこの頃に生まれたとする。
1651 慶安 4年  27
1652 慶安 5年  28
1653 承応 2年 29
1654 承応 3年 30
1655 承応 4年 31 **** 来沢 瑞龍寺書院に四季山水図を描く 。妻26歳息子5歳娘12歳 この頃リアルタイムで夕顔棚納涼図屏風を描いたのではないか。前妻と娘は江戸に残り、娘は狩野派一門の中で研鑽を積んでいく。夕顔棚納涼図屏風の場面は金沢のどこかだった可能性が高い 。
1656 明暦 2年 32 ****
1657 明暦 3年 33 ****
1658 明暦 4年 34 ****
1659 万治 2年 35 ****
1660 万治 3年 36 ****
1661 万治 4年 37 ****
1662 寛文 2年 38 ****
1663 寛文 3年 39 ****
1664 寛文 4年 40 **** 金沢を離れた理由がよくわからない
1665 寛文 5年 41
1666 寛文 6年 42
1667 寛文 7年 43
1668 寛文 8年 44
1669 寛文 9年 45
1670 寛文10年 46
1671 寛文11年 47
1672 寛文12年 48 息子22歳が悪所通いの不行跡を咎められ、その果てには刃傷沙汰を起こして佐渡に島流し。娘29歳も同じ狩野門下の塾生と駆け落ちをする。守景は酔って師である狩野探幽の絵に男根の行列を描く。守景が狩野派に恨みを持っていたからであろう。これらが原因で守景は狩野派から距離を置き金沢に向かう。
1673 寛文13年 49 **** 二度目の来沢。金沢で 充実した制作活動を送った。
1674 延宝 2年 50 ****
1675 延宝 3年 51 ****
1676 延宝 4年 52 ****
1677 延宝 5年 53 ****
1678 延宝 6年 54 **** 四季耕作図を盛んに描いていた
1679 延宝 7年 55 ****
1680 延宝 8年 56 **** 金沢を離れた理由がよくわからない。諸国を放浪したという。
1681 延宝 9年 57
1682 天和 2年 58 娘39歳 尼崎で没す。
1683 天和 3年 59
1684 天和 4年 60
1685 貞享 2年 61
1686 貞享 3年 62
1687 貞享 4年 63
1688 貞享 5年 64
1689 元禄 2年 65
1690 元禄 3年 66
1691 元禄 4年 67
1692 元禄 5年 68
1693 元禄 6年 69
1694 元禄 7年 70
1695 元禄 8年 71
1696 元禄 9年 72 夕顔棚納涼図屏風は晩年の作と言われているがはたしてそうなのか 。最後まで手元に置いておいただけではないか。
1697 元禄10年 73
1698 元禄11年 74 京都に住む 。茶人藤村庸軒の肖像画を描いたとされ、この後に亡くなったと推定される。
 

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