謡曲ってどういう趣味なんですか?どんなことをしていくのですか? 上達の段階...質問者
2014/9/1219:01:57 謡曲ってどういう趣味なんですか?
どんなことをしていくのですか? 上達の段階も教えてください。 どんなところが面白いのですか?
2014/9/1303:55:15 謡曲は、古くは武家のたしなみでしたから、
諸大名諸侯から下士に至るまで、茶華道と並んで、 立ち居振る舞いや所作の型を身につけるための実用的な目的で稽古された芸事です。 現在では、ありていに言ってしまうと、 経済的に余裕のある定年後のサラリーマンや有閑マダム、 ちょいセレの「高尚な御趣味」ということになるでしょうか。 お稽古なさっているお弟子さんの大半は、こういうステイタスの方だと思います。 尤も、近年は、もう少し敷居が低くなっているかもしれませんが、 年配の方が多い、ということは、あまり変わらないかと思います。 謡曲は、ふつう、仕舞とセットになっていますから、 謡曲だけとか仕舞だけとか習う形にはなりません。 身体的な理由で仕舞ができないなど、特別な場合を除き。 紹介者がいる場合は、紹介者を通して適当な能楽師に入門しますが、 途中で師事する能楽師を変更することはたいへんしにくいことですから、 よほど慎重に選択しなければなりません。 紹介者がいない場合、通常は、まず、自宅から行動圏内の「能楽堂」で能の催しを鑑賞します。 たいてい、能楽堂のロビーなどに「おけいこのご案内」等と書かれたパンフレットが置いてあります。 見当たらなければ、受付の人に聞けば出してくれます。 それを見て、自分の都合の良い稽古場、稽古日、気に入った能楽師などからだいたいの見当をつけ、 然るべき手続きをして入門します。 カルチャーセンターなどで月に2〜3回の入門コースが開講されていることもあり、 こういう稽古場は、おおむね敷居が低いのです。 特別な紹介者がなく、飛び込みに近い形で稽古を始める人は、ほとんどの場合、 能楽師のヒエラルキーで言うと若干下位にあたる、 「師範」とか「準職分(じゅんしょくぶん)」と呼ばれる人に師事する格好になると思います。 これらの階級の能楽師は、能楽堂を所有、運営できません。 能楽堂を持てる階級の家柄は職分家以上です。 こういう家柄の師匠に付こうと思ったら、それなりの紹介者が必要になりますし、 いわゆる「お社中」になる時点から、月々のお月謝、 何かの折につけての謝礼金から何から何まで、いちいち桁が違ってきます。 宗家(家元)になると、通常、一般の門人には稽古を付けません。 私は観世流の事情しか知りませんので、 以下は、この流儀の一例として説明を進めます。 入門しますと、足袋や謡扇(うたいおうぎ)、袴などのひととおりの道具をそろえ、 初級の謡と仕舞から稽古に入ります。 たいていは、師匠とのマンツーマンで稽古が進みます。 謡は、ほとんどの場合、五番綴り謡本の初級の上巻から中巻、下巻の順に、 子弟が相談のうえで進めていきます。 上巻:鶴亀、橋弁慶、吉野天人、大仏供養、土蜘蛛。 中巻:竹生島、経正、羽衣、小袖曽我、猩々。 下巻:菊慈童、田村、東北、富士太鼓、紅葉狩。 この15曲を網羅して全曲仕上げるわけではないですが、 だいたい難易度に沿って1曲ずつ仕上げ、段々難しい曲を習えるようになっていきます。 下巻までをだいたいかいつまんでおさらいできたら、その後は、 ある程度、弟子の好みに応じて、実力相応のものを習わせてくれます。 下巻までのおさらいで、だいたい5級、4級といわれる曲を修めたことになりますから、 5〜4級の曲なら、だいたいどれでも希望すれば教えてもらえます。 3級以上の曲は、上達の程度に従って、師匠の許しが出れば習えます。 1級以上に、「準九番習(じゅんくばんならい)」「九番習」「重習(おもならい)」とよばれる格式の高い曲があります。 これらを習うのには、相当な年月の修業が必要ですし、 また、免状料としてかなりお金もかかります。 上記の等級にどういう曲が属するかが知りたければ、また改めて聞いてください。 たいていの曲はわかります。 稽古の仕方は、ピアノやヴァイオリンのおけいこと同じような要領と思えばいいでしょう。 「ゴマ点(音符の代わりのようなもの)」の付いた謡本を見ながら、 師匠が謡い方を実演してみせてくれるので、 真似して同じように謡ううち、ゴマ点の読み方がわかってきます。 師匠の謡を録音したものを繰り返し聞いて、自習や予復習もします。 謡の個人レッスンがある程度進んできたら、 「連吟」といって、素人のお弟子さん同士で「合唱」する形式の謡い方に参加させてもらえることもあります。 「素謡(すうたい)」といって、お弟子さん同士でシテ、ツレ、ワキなどの役を決め、 それぞれが自分の役を謡うという形式で、能一番を丸ごと謡うこともあります。 謡は自分一人で、お囃子の楽器の一つ(または、それに笛を加えて)と合わせる、 「独鼓」とか「一調」とか「一調一管」といった演奏形式は、 格式の高いので、熟練した修業者でないと許してもらえません。
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910日本文学
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風姿花伝(花伝第七別紙口伝)
秘する花を知ること
純粋な心持の状態の時にこそ感動は起きることを知らねばならない
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。
「予備知識を持たなければ感動もするが、予備知識を与えると感動は薄れる」という。
この分け目を知ること、肝要の花なり。
この違いを知ることで真の感動を起こせる。
そもそも、一切の事(じ)、諸道芸(しょどうげい)において、その家々に秘事(ひじ)と申すは、
そもそもあらゆる事、特に芸の道において、蘊奥というのは
秘するによりて大用(たいよう)あるがゆゑなり。
蘊奥に指定することで意味が出るのである。
しかれば、秘事といふことをあらはせば、させることにてもなきものなり。
そういうことなので蘊奥だけを聞いても大したものでも無かったりする。
これを、「させることにてもなし」と言ふ人は、いまだ秘事といふことの大用を知らぬがゆゑなり。
蘊奥を「大したものでは無い」と言う人は、蘊奥を決めておくことの効用をまだ知らないからである。
まづ、この花の口伝(くでん)におきても、
ともかく、この花の口伝の書においても、
「ただめづらしきが花ぞ」と皆知るならば、
「知らない物のみが感動を起こす」と皆が身構え
「さてはめづらしきことあるべし」と思ひまうけたらむ見物衆(けんぶつしゅ)の前にては、
「きっと今から感動的なものを見せるのだろう」と思って待ち構えている観客の前では
たとひめづらしきことをするとも、見手(みて)の心にめづらしき感はあるべからず。
たとえ珍しい芸をしたとしても、観客の心には珍しさは沸き起こらないだろう。
見る人のため花ぞとも知らでこそ、為手(して)の花にはなるべけれ。
観客にここが山場ですと教えないことで、役者はそこを山場にできるのである。
されば、見る人は、ただ思ひのほかにおもしろき上手とばかり見て、
そうすれば観客はただ「感動的な場面だ」とのみ見て、
これは花ぞとも知らぬが、為手の花なり。
ここにはいろんなしかけがあると知らせないので、役者にとって作りやすい山場となる。
さるほどに、人の心に思ひも寄らぬ感を催す手だて、これ花なり。
そういうわけで、人の心に思いもよらない感動を催す手立てを「純粋な感動」と言っているのだ。 |
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帰命頂礼地蔵尊
無仏世界の能化なり これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる さいの河原の物語 聞くにつけても哀れなり この世に生まれし甲斐もなく 親に先立つありさまは 諸事の哀れをとどめたり 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬおさなごが さいの河原に集まりて 苦患を受くるぞ悲しけれ /クゲン 娑婆と違いておさなごの 雨露しのぐ住処さえ 無ければ涙の絶え間無し 河原に明け暮れ野宿して 西に向いて父恋し 東に向いて母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とは事変わり 悲しさ骨身を通すなり げに頼みなきみどりごが 昔は親のなさけにて 母の添い寝に幾度の 乳を飲まするのみならず 荒らき風にも当てじとて 綾や錦に身をまとい その慈しみ浅からず 然るに今の有様は 身に一重さえ着物無く 雨の降る日は雨に濡れ 雪降るその日は雪中に 凍えて皆みな悲しめど 娑婆と違いて誰一人 哀れむ人があらずなの ここに集まるおさなごは 小石小石を持ち運び これにて回向の塔を積む 手足石にて擦れただれ 指より出づる血のしずく からだを朱に染めなして 一重つんでは幼子が 紅葉のような手を合わせ 父上菩提と伏し拝む 二重つんでは手を合わし 母上菩提と回向する 三重つんではふるさとに 残る兄弟我がためと 礼拝回向ぞしおらしや 昼は各々遊べども 日も入相のその頃に 地獄の鬼が現れて 幼き者の側に寄り やれ汝らは何をする 娑婆と思うて甘えるな ここは冥土の旅なるぞ 娑婆に残りし父母は 今日は初七日、二七日 四十九日や百箇日 追善供養のその暇に ただ明け暮れに汝らの 形見に残せし手遊びの 太鼓人形風車 着物を見ては泣き嘆き 達者な子供を見るにつけ なぜに我が子は死んだかと 酷や可哀や不憫やと 親の嘆きは汝らの 責め苦を受くる種となる 必ず我を恨むなと 言いつつ金棒振り上げて 積んだる塔を押し崩し 汝らが積むこの塔は ゆがみがちにて見苦しく かくては功徳になりがたし とくとくこれを積み直し 成仏願えと責めかける やれ恐ろしと幼子は 南や北や西東 こけつまろびつ逃げ回る なおも獄卒金棒を 振りかざしつつ無惨にも あまたの幼子睨み付け 既に打たんとするときに 幼子怖さやる瀬無く その場に座りて手を合わせ 熱き涙を流しつつ 許したまえと伏し拝む 拝めど無慈悲の鬼なれば 取り付く幼子はねのけて 汝ら罪なく思うかよ 母の胎内十月の内 苦痛さまざま生まれ出て 三年五年七歳と わずか一期に先だって 父母に嘆きを掛くること だいいち重き罪ぞかし 娑婆にありしその時に 母の乳房に取りついて 乳の出でざるその時は 責まりて胸を打ち叩く 母はこれを忍べども などて報いの無かるべき 胸を叩くその音は 奈落の底に鳴り響く 父が抱かんとするときに 母を離れず泣く声は 八万地獄に響くなり 父の涙は火の雨と なりてその身に振りかかり 母の涙は氷となりて その身をとずる嘆きこそ 子故の闇の呵責なれ かかる罪とがある故に さいの河原に迷い来て 長き苦患を受くるとぞ 言いつつまたもや打たんとす やれ恐ろしと幼子が 両手合わせて伏し拝み 許したまえと泣き叫ぶ 鬼はそのまま消え失せる 河原の中に流れあり 娑婆にて嘆く父母の 一念届きて影映れば のう懐かしの父母や 飢えを救いてたび給えと 乳房を慕いて這い寄れば 影はたちまち消え失せて 水は炎と燃え上がり その身を焦がして倒れつつ 絶え入ることは数知れず 峰の嵐が聞こえれば 父かと思うて馳せ上がり 辺りを見れども父は来ず 谷の流れの音すれば 母が呼ぶかと喜びて こけつまろびつ馳せ下り 辺りを見れども母は無く 走り回りし甲斐もなく 西や東に駆け回り 石や木の根につまづきて 手足を血潮に染めながら 幼子哀れな声をあげ もう父上はおわさぬか のう懐かしや母上と この世の親を冥土より 慕い焦がれる不憫さよ 泣く泣くその場に打ち倒れ 砂をひとねの石まくら 泣く泣く寝入る不憫さよ されども河原のことなれば さよ吹く風が身にしみて まちもや一度目をさまし 父上なつかし母ゆかし ここやかしこと泣き歩く 折しも西の谷間より 能化の地蔵大菩薩 右に如意宝の玉を持ち 左に錫杖つきたまい ゆるぎ出てさせたまいつつ 幼き者のそばにより 何を嘆くかみどりごよ 汝ら命短かくて 冥土の旅に来るなり 娑婆と冥土はほど遠し いつまで親を慕うとぞ 娑婆の親には会えぬとぞ 今日より後は我をこそ 冥土の親と思うべし 幼き者を御衣の /ミゴロモ 袖やたもとに抱き入れて 哀れみたまうぞ有難や いまだ歩まぬみどりごも 錫杖の柄に取り付かせ 忍辱慈悲の御肌に /ニンニクジヒ オンハダ 泣く幼子も抱き上げ /イダキ なでさすりては地蔵尊 熱き恵みの御涙 /オンナミダ 袈裟や衣にしたりつつ 助けたまうぞ有難や 大慈大悲の深きとて 地蔵菩薩にしくはなく これを思えば皆人よ 子を先立てし人々は 悲しく思えば西へ行き 残る我が身も今しばし 命の終るその時は 同じはちすのうてなにて 導き給え地蔵尊 両手を合して願うなり 南無大悲の地蔵尊 南無阿弥陀仏阿弥陀仏 真言 口奄 訶 訶 訶 尾 娑摩 曳 娑婆訶 |
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「たらちねの」という枕詞はいつごろできたものでしょうか?http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1274328527
こんにちは。 枕詞ということは、よく和歌で使われる枕詞ですね。例えば百人一首の「たらちねの 母がつりたる青蚊帳(あおがや)を すがしといねつ たるみたれども」とかでしょうか。これを使って解説していきます。 まずこの百人一首の意味についてですが、「久しぶりに里帰りした日、母が私(作者)のために青蚊帳を釣って寝床を用意してくれて、母の心遣いがとても嬉しく清々しい気持ちで寝ることができた。その老いた母が釣ってくれた蚊帳は少しばかりたるんでいたけれども。」ということです。 いつごろと言われると明確に言えないのですが、万葉集の中の歌で使われている物がありますのでそういう時代からあると解釈した方が分かりやすいと思います。まあでも言葉っていうのは時代の流れに乗って自然と出来るものですから何とも言えませんが。 たらちねの というのを漢字に直してみると「垂乳根(足乳根)の」となります。語源は「母」です。「垂」は「たらす」、「乳」は「胸」、「根」は「女性」。言い直すと「胸を垂らした女性」となり、たらちねの が来ると次にかかる句は必ず「母」になります。 まあ母親のことだと思えばいいと思います。
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