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プログラム(考え方や見方)を入れ替えればこの世の事はどうにでも解釈できる
無常なんてくそくらえ
人間は自由の刑の処せられているんだ
現実存在としての現人(うつしおみ)はそのあり方を自分で規定しつつ生きていく
そんな現人の総体または関係性としての現世・世間もまた同様
だからこそ理想を追い求めるんじゃないか
とバタ臭いこと(西洋哲学的なこと、実存主義)を言ってみる。
セムハム系思想なら
現実を前にして観照することで真理(神)を体得できるとし
知りえた真理を命題化して残し(タルムードやコーラン)
のちの世の者がそれを足がかりにより高みを目指すのは良いが
イスラム世界は高みを目指すというよりコーランの墨守により
時空を固定しようとしているように見えて仕方がない。
イスラムの影響の強いラテン世界は標準的なやり方の温存により
打ち合わせ無しで即興で現実を構築できる。
ただしうまく行かないので細かいことは気にしないという精神構造になる。
インドアーリア世界では
純粋な自己と宇宙原理が同一化するとし
自己実現として外界を変えようと実行していく。
これは日本の右翼にも通底する行動様式である。
世界の在り方は個人の考え次第ということになる。
しかし行動する個人が宇宙原理を体得しているかどうかの保証は一切なく
実際は教育出版通信放送その他の情報伝達の結果
少しづつ各人が世界の在り方や真理を知り得ているのであって
各人の相克や流行廃れにより社会全体としてなんとか妥当性のある真理世界が顕現していると言える。
インド世界においてチベット系かそこらの黄色人種の思想とされる仏教では
流転する現実に執着するなという訳のわからない理屈を建てているが
ここから何が生まれるのか理解できない。
スラブ系や東欧は神秘主義やイデオロギー的な思考傾向があり
チュートン系は経験的実利的帰納法的な思考が幅を利かせるが
冒頭のディゼーニュ(デザイン)主義はルネサンスの頃のイタリアで生まれた考えであり
実存主義よりずっと前に出てきた考えとしてヨーロッパ西洋的な思想といえる。
それぞれ一長一短があり天衣無縫の思想などありえないが
日本の考えだけは世界的標準の論理から大きく外れ理解に苦しむ。
世界の思想を大まとめにするなどできるはずもないことを愚かな私はやってしまった。
しかも何も文献を見ずやってるのだから愚の骨頂である。
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